魔女

「テラ、話してくれねぇか?」

〈わからない〉

 先ほどと同じ文章が、ページを捲って書き直すことすらされずに再度提示される。頑なに知らぬ存ぜぬを突き通すような一辺倒な態度は、本当に何も知らないのか、はたまた機密情報を保持していながらそれを防守しているのか。

「馬鹿みてぇに明るい新人の兵士が、所属三日で死体になった」

 グレイはゆっくりと、一言一言を噛み締めるように言った。一瞬ステラの肩が大きく震えたような気がするが、それに構う気すら起きず、虚構を見つめて言葉を吐き連ねる。

「気の良いおっさんが、化物みてぇな体になって帰ってきた。ようやく親しくなれた同室の仲間が、俺を酒の席に誘って死んだ。残ったのは親指の爪一つだ」

 言葉を遮るようにテラが耳を塞いだのが見えて、グレイは一瞬息を飲んだ。静かに首を振り続ける彼女は、抱えた足に顔を埋め、言葉を聞くこと自体を拒絶したがっているように伺える。

 グレイは格子を掴むと、諭すような柔和な声音で語りかけた。その内心に、今にも煮え立ちそうな悍ましい苛立ちを抱えながら。

「なぁ、テラ。なんで皆、死ななくちゃいけなかったんだ?お前達は一体、何がしたかったんだ?どうして、皆を殺したんだ?あの傀儡は一体何なんだ?」

 テラ、テラ、テラ。

 本名ではなく彼女が名乗っていた偽名を呼び続ける。情報を引き出すための悪知恵による同情心を引き出すための行為。しかしグレイは行動と相対して、ステラの口から合の良い言葉が話されることを切に願っていた。何か抜差しならない理由があった故の戦争で、殺されたはずの人々は今も何処かで生きている。嘘でもそう言ってほしいと。

 やがてステラは、小脇に置いてあったノートを震える手で掴むと、ページを一枚捲って文字を書き始めた。

〈傀儡は、マダスティアの魔女が作ってる、殺戮兵器〉

 暗がりへと僅かに差す朧気な薄明かりが照らした文字はか細く、弱々しい主張で書かれている。夜目と遠目の効くグレイは細目でそれを見て、首を傾げた。

「魔女?」

〈異常を成し遂げる人間のこと。マダスティアはその魔女を閉じ込めてる〉

 こちらの様子を伺いながら、ステラはそう書いた紙を掲げる。グレイには、魔女という文言に思うところがあった。魔女という存在は知っている。しかし、神聖国であり唯一神を崇めるとされるマダスティアが、そのような邪な存在を有しているとは思えない。偏見だが、聖職者達はそういう存在を邪険に扱うものだと考えていた。

 しかしこの状況でステラが嘘をついているとも思えず、グレイは冷たい格子戸を握って最奥のステラへ声をかける。

「力ってなんだ、ビザールレディを召喚でもすんのか」

〈違う〉

「じゃあなんだ」

〈断裂した人体を繋ぎ合わせることで、新しい生命体にする力。縫合の、魔女〉

 絶句した。その文面に対して咄嗟に返答することができず、代わりに格子を握る手に力が入る。後方のオーガストが息を呑んだ音が聞こえ、彼ですら驚愕していることが理解できた。

「は、繋ぎ合わせるって、じゃあ」

〈グレイの言う人達ももう、多分〉

 震える声で問うたのに対して、ステラは存外呆気無くその文字を記述した。自分の顔色を悟られないようにするためか、彼女は顔を覆うように眼前に紙を掲げている。

 グレイは何度もその文面を流し読んだ。しかし、読み間違えでは無かった。

「なんで、なんでそんなことしてんだよ!一体何のために!」

 掴んでいた格子を強く強く揺すった。鉄製の物が擦れる音が狭い空間に木霊する。

 心優しく介抱して自白を促すほど、グレイは事を気長に考えることができず、相手の自戒の念を強めるような言葉を重ねて追い詰めることしかできなかった。

〈わからない〉

「わからない、じゃねぇだろ!じゃあなんで、なんでマグは死んだんだよ」

 進めた数ページを戻って、ステラはまた先程の逃避するような文字を見せた。紙面で隠れた頭部が、拒絶するように振られているのが見えて、グレイは声を荒げた。

 八つ当たり紛いの怒号。もはや説得でも懇願でも無くなったそれは、堰を切ったようにグレイの思考から反芻されることなく吐き出された。

「人を殺して兵器にして、お前らには一体どんな高尚な目的があるってんだよ!どうせお題目に決まってるじゃねぇか!」

 憤怒憤慨のままの咆哮。これまで腹の底に貯めていた感情が全て暴発したかのような勢いのそれを曝け出しながら、グレイは涙を流していた。

 しかしテラはそれに目を留めることなく、地面にノートを置いて一心に何かを書き綴っており、手を止めようとはしない。

「なんで、なんで皆を殺したんだよ!何が正義だ、被害者ぶるのもいい加減にしろ!」

「グレイ。君の気持ちもわかりまスけど、さすがに少し言い過ぎスよ!」

 格子を外して殴りかかりそうなほどの勢いのグレイを、オーガストが羽交い締めにして制止する。しかしグレイはなおも慟哭した。これまで拠り所のなかった怒りが一挙に押し寄せる。

「けど、皆死んじまった。こんなの無駄死に以外のなにものでも──」

 バンッと大きな物音が、号哭するグレイの言葉を遮った。その方向へ目をやると、鉄格子に投げつけられたらしい帳面が、形を崩して目の前に落下していた。ページが破けて散乱し、これまでに記されたと思われる言葉の数々が覗き見える。

 グレイは遠くない位置に落ちていたそれを格子の合間から手を伸ばして拾うと、一際折り目の濃いページが勝手に開かれた。

 そこには、判読不能な程に乱れた形状をした、勢い任せに羅列された言葉の数々が並んでいる。力みすぎて穴の開いた言葉尻、乱雑に書かれ過ぎて枠からはみ出た文字。一ページを丸ごと、数枚に渡って浪費したそれにグレイは顔を歪めた。

〈知らない!私も、なんでこんなことしてるかなんてわからない〉

〈ヘレンは私のことを分かってるって言うけど、全然わかってない〉

〈言う方法も言うタイミングも、全部全部ヘレンが奪った〉

〈ここ一年、魔女のお姉さん以外は誰とも話したことなんてない。だって、会話の手段が無いんだから!紙片の一枚も鉛筆の折れた芯も無かったんだから!〉

〈そのくせ、誰も何もおしえてくれないし!〉

〈このまま生きるぐらいなら、若い身空のまま死んでしまいたい。皆が私のことを天才だって褒めてくれてる間に、衰えた姿を見せずに死にたい。だって生きてるうちに私の声を忘れられて知識も用済みになるのが怖すぎる〉

〈私の声、返してよ!〉〈私に歌わせてよ!!〉

 涙も引く程の激昂からなるそれを読んで、グレイは顔をあげる。奥深く暗澹とした闇の中に、テラが立っていた。顔は陰り表情は伺えず、しかし爛々とこちらを見つめているのがよくわかる。

 肩が大きく上下し、荒い息遣いが聞こえる。しかし声帯のない彼女の呼吸は、ひゅうひゅうと空洞音が鳴っているようにしか聞こえなかった。それでも、字面と漏れる嗚咽からステラの感情が理解できた。彼女は今、泣いている。何かに悲しんでいる。

 グレイは唖然呆然とし、それと同時に自身の言動を猛省した。例えビザールレディを操っていたとはいえ、彼女の小さな背中に全ての重責を押し付けるような言動。自分の怠慢すらも人のせいにする、傲慢で非常な態度。

 謝罪の言葉が喉からこみあげてくるが、それを素直に吐き出す気にはなれなかった。彼女が傀儡を操って人を殺しているという事柄が、動かぬ事実としてそこにあるから。かといって責めるような罵詈雑言も思い浮かばず、何も言えずに黙り込んでしまう。

「あーもー面倒くさい。そんじゃあ、特別っスよ。君に貸し一つっスから」

 首が締まるような重苦しい静謐を破り、オーガストが頭を掻き毟って言う。

「オーガストお前、何するつもりだ」

「何って、これに決まってまスよね」

 やけに思い切りの良く言ったオーガストが、一度だけ、指を鳴らした。その音が空間に木霊して消えた後、また静寂が訪れる。

「貴方一体、なにを、いって……」

 グレイの耳に、聞き覚えの無い女の肉声が聞こた。それと同時に暗闇の中、誰かが息を飲んだ音がする。

「うそ、どうして、私の声」

 声の主は、ステラだった。空洞音ではなく、女性らしい肉声の吐息を漏らす彼女。年相応の鈴の鳴るような若々しさと起伏のある声音。

「はい、これが有り難い魔女の力っスよ!魔女といっても男っスけど。ドロテアの魔女、オーガストさんとは僕の事っス」

「うそ……」

 魔女は異端の存在を示す言葉であり、女に限った蔑称では無い。魔女は原理も理屈も不明だ。声帯を治したのか、新たな発声方法を与えたのか知る術は無い。しかし彼女が自らの声で会話をしているのは。オーガストが魔女だという印だ。

「嘘じゃないって、自分が一番理解してまスよね?普段ならこんな力なんて使おうとも思わないんスけど、総統さんがお嬢ちゃんに目をかけてたんスよ。そうなったらもう、僕が動かざるを得ないじゃないっスか」

 魔女という存在自体が戦争兵器として利用されかねないオーガストは、総統にドロテアという居場所を貰った。故に彼がドロテアを裏切ることは無いといっても過言ではない。ドロテアが滅びるというのは、彼という存在の在処が無くなるも同義であり、それこそが、グレイがオーガストに絶大な信頼と信用を寄せる証拠である。

「ほらお嬢ちゃん。愚痴って情報吐き出して、僕に借りを返してほしいんスけど」

 薄闇に向かってオーガストが手招く。すると奥からゆっくりと、ステラが鉄格子へ歩いてきた。今朝ぶりに注視した彼女の容貌は何処か疲弊したように見える。

「私は、何を話せばいいの」

 紫根の目の端に溜まった涙を手の甲で拭うと、ステラは決意を固めたような真摯な目で二人を見返した。それを見てオーガストは不敵に笑ってみせる。

「実は僕、ビザールレディを解体してみたんスけどね?脳味噌の中にちっちゃいチップが入ってるのを見つけたんスよ。お嬢ちゃんはそれを使ってビザールレディを操ってた、っていう考えで間違い無いスか?」

「そう。それであってる」

「それじゃあ、そのビザールレディを作ってる魔女について教えてほしいっス」

「縫合の魔女は、貴方とは違って女の人。エゴって呼ばれながら、大教会の裏の塔に拘束されてる。迫害のほうが近いかもしれない。何年間も幽閉されて、一人で歩くことも簡単にはできないから、いつも女性聖職者の手を借りて生活してる」

「その魔女が全ての元凶で、強襲を企んだ人なんスか?」

「違う。エゴは、私をこの国に連れてきてくれた。私の命の恩人、大切な人」

「なるほど、魔女はなにか目論見があったわけじゃないと。ヘレンっていうのは、どなたっスか?」

「ヘレンは、聖職者の一人。多分、聖職者の中で一番偉い人」

「お嬢ちゃんは、その人の事が嫌いなんスか?」

 全ての質問に対して淡々と返答していたはずのステラが、ここへ来て渋ったように視線を外した。伝えあぐねているような、言葉を選んでいるような様相で右見左見する。

「わからない。確かにあの人は、聖職者になりたての私に優しくしてくれた。けれど、私に何も教えてくれなかった。そのことに関しては、嫌い」

「声を返してっていうのは、どういう意味っスか?」

「それは、ヘレンが勝手に私の声帯を手術して──そうだ、声帯!思い出した」

 ハッとしたように顔をあげたステラは、懊悩が払拭されたような清々しい表情で、内側から格子を掴んだ。食い気味に寄る彼女に微笑みを向けて、オーガストは小首を傾げる。

「女神。女神ってヘレンが言ってた」

「女神?それって、確かマダスティアの信仰してる奴か?」

 泣いたことにより抱えた頭痛と脱力感にしゃがみこみながら、グレイは鼻をすすってステラを見上げる。ステラは大きく頷いて肯定してみせた。

「ヘレンは、神様を招来しようとしてる。依代を作る実験の失敗作がビザールレディ」

「は、招来って……復活ってことか」

 ステラの言葉に驚愕して息をのみ、グレイは勢いよく立ち上がった。

「だめだ。そんなの、そんな事やっても意味なんてねぇ。はやく、はやく止めねぇと」

「確かに、急いで止めなきゃいけないかも。エゴの力はかなり大きいものだから、女神の力も物凄い倍増されるかも──」

「そうじゃねぇ!そういうことが言いたいわけじゃねぇんだよ」

 同意するようなステラの言葉を、大音声でグレイが遮る。それに当惑したようにステラは眉間にシワを寄せ、心配そうな目でグレイを見つめた。

「セシアなんて神様、存在しねぇんだ」

「どうして、そんなことが言えるの?そこまで確定付けられるはずない」

「いや、絶対にいねぇ」

「どうして?」

「俺が、そいつの、孫だからだ」

 ステラが驚愕に目を見開くのが、グレイには明瞭に見えた。

 グレイは全てを知っていた。否、知らされたというほうが正しいのかもしれない。

 七年ほど前にガストによって打ち明けられた真実。それによってグレイとガストに血縁の関係など無いことが明白になり、グレイが戦争を止めるために防壁任務に就くようになった。

「お前らが神様って呼んでる奴は、何年も前に死んだ俺の祖母だ」

 マダスティアの聖職者がセシアと呼ばれる存在を神として捉え、蘇生しようとしているのなら、グレイにとってそれは全て無意味なこと。力のない人間は神格と違って、蘇ることなど無いのだから。

 そして聖職者が彼女を招来しようと目論んで人を殺害しているのならば、親族の存在によって引き起こされた戦争と言ってと過言ではない。グレイが重責を背負ったような暗澹とした気分になることは、至極当然のことである。

 しかしグレイはステラに対して、事実の全貌を明らかにしようとはしなかった。焦燥感から額に脂汗をかいて、怯えすらまとったような目でステラをみつめる。

「なぁ、テラ。どうすればいい?俺はどうすれば、お前らの国を止められるんだ?」

 格子を掴んだステラの両手に重ねるように、グレイも自身の平手を載せた。

 今現在も地上では、傀儡の蹂躙によって人が死んでいることだろう。その事実がなおも彼の心情を掻き乱し、責任感と自己否定を促進させている。

「俺は絶対に、マダスティアの侵攻を止めなきゃいけねぇ。お前も言ったろ、俺には生きた人間としての義務があるって。俺は皆の死を無駄にしたくない。立ち止まるわけにはいかねぇ。そうじゃなきゃ、今までなんのために行動してきたのかわからなくなる」

 ステラは一瞬、訝しげな顔をした。しかしグレイが真摯な目をして述べた言葉が、自身が数日前に彼に対して諭した物だと理解すると、思い悩むように顔をしかめる。グレイの発言の真偽が如何あれ、ドロテアに情報を流して助言をするということは、マダスティアを裏切るも同義。それに対する背徳感と痛苦で、彼女は唇を強く噛んだ。

「貴方は、どんな魔女なの?」

 俯いたまま、オーガストに語りかける。それに対してオーガストは少し悩んだような素振りを見せてから、声を捻り出した。

「お嬢ちゃんとこの魔女みたいに、厳密な区分は無いっスよ。殺し以外なら、やろうと思えば多分できるっス。試したことは無いから明言はできないスけど」

 確証も纏まりも無い概念的な発言に、ステラはまた思い悩んだように黙り込む。

 そしてやがてステラは、決心したように顔をあげた。

「私に、作戦がある」

 その表情は何処か開き直ったような、笑みすら浮かべているように見えた。

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