停止

 マダスティアの乱立する屋舎を渡り越え、暗澹とした森林を抜ける。遠方の業火に怯えた野生動物が身を潜める中、群狼の唸り声を耳にして駆けた。煽りによって巻き起こる強風で舞った草木が肌を裂き、節々の出血と痛苦を抱えながら、エゴは余力の全てを振り絞ってオーガストに掴まっている。

 オーガストはエゴを横抱きにし、国境部へ向けて走っていた。その走力は人間や走行車に勝り、魔女という存在の逸脱加減をありありと示す。

 対面時よりは幾らか緩和した疑心を募らせて、エゴはオーガストを見上げた。

「貴方は一体?如何して私を助けてくださったんですか。そもそも何故私の存在を」

 疑り深い彼女の視線に嘆息して、行く先を見ながらオーガストは苦笑いを浮かべる。

「質問の多いお嬢ちゃんスねぇ、舌噛んでも知らないスよ。ちなみに僕はオーガスト、マダスティアの魔女ス。君のことはステラってお嬢ちゃんが教えてくれたんスよ」

「ステラが?」

 信じられないと言いたげにエゴは目を見開く。当時エゴの世話を行っていたステラは確かに器量が良くて知能が高かったが、赤の他人にまで自身の意見を伝える気概を伴っているようには思えなかった。そもそも、会話をするための声帯が無いのであれば、進言も何もない。

「僕はこれから君を、数週間ぐらい安全なところに匿わせてもらうス。大丈夫、心配しなくても悪い目には合わせないスよ」

 オーガストの言葉に対して、エゴは存外容易に事を受け入れたように頷いた。隣国の人間の口からステラの名前が発されたことによる、彼女の生存確認。魔女であることを明確に表すオーガストの技量と、走行中の反動からエゴを守ろうとする姿勢。収束したそれら全ての事項が、エゴに安堵感をもたらす故であった。

 やがてオーガストは巨木の側面を駆け、その頂点から大きく跳躍するとそびえ立つ防壁上に着地した。

木々の合間を切り抜けてようやく、いつの間にか天候が危うくなっている事実を知る。遠方の嵐によって空から雷鳴がして、烈風によって流れる雲の合間に月光が隠れた。それでも視界が明々としているのは、視界いっぱいに広がる数十キロにもなる丘陵と平原の地帯が、戦火を帯びて燃え盛っているから。

 俯けば、眼下の防壁沿いで数十あら数百にもなる傀儡が、蛆虫のように壁に集って蠢いているのが伺えた。藻掻くそれらは防衛用に配置された人員らしく、二人に反応したようで必死に壁を登ろうとしている。

 少し遠くに目をやれば、各所に配置された死体の兵士がごろごろと見えた。ドロテアへ進行する者、当て所なく彷徨う者様々であり、数えるには気の遠くなる量のそれにオーガストは嘆息する。

「問題は、あの傀儡軍をどうやって切り抜けるかなんスよね。つか、傀儡って動けなくなったんじゃなかったんスか?ばりばり暴れ散らかしてるじゃないスか」

「本来であればそのはずです。ヘレンさんが、一ヶ月で駆動する人員を工面したのではないでしょうか」

「ひぇ、おっかないスねぇ。はやく逃げなきゃ僕らも何されるかわかんないスね。あの女の人、血相変えて無理矢理にでも化物達を動かしてきそうじゃないスか。僕らを殺せ〜って、怖い怖い」

 軽口を叩きながら、オーガストは身軽に壁上から飛び降り、傀儡の群衆から離れた位置に降り立つと、間もなくその場から駆け出した。

「イィぃィアウぅぅゥアァぁァぁ」

 人ならざる声を発してながら傀儡がその後を追う。地を鳴らして迫りくるそれらを振り返れば、異形のそれらは二足のみならず、腕で地を這って来る者も居た。自身で作り上げたはずのそれらに恐怖を抱いたように総毛立たせながら、エゴは無意識にオーガストに掴まる手に力を入れる。

 それすら意に介さぬように、オーガストは地を蹴った。飛びかかる傀儡を避けて跳躍し脳髄を蹴り飛ばす。仁王立ちで構える木偶の坊に足払いをして薙ぎ倒し、オーガストはエゴを横抱きにしたまま舞った。

 しかし幾ら肉片が爆ぜようともオーガストはそれら全てを避けた。かつ回避動作の乱暴性に配慮するその様は、勢いのあまりエゴが投げ出されないよう加減しているらしい。

「僕にも、捌ききれる限界があるんスけどねぇ、っと。こりゃ、打開策見つけなきゃ本格的にやばいっスよ」

 襲い来る肉塊から逃げ、反撃し、距離を取ってまた走る。一連の繰り返しを数分に渡って行い、オーガストは肩で息をし始めた。

エゴは見上げる彼のその額に汗が浮かんでいるのを視認して、揺れる肢体に包まれた中で困惑したように眉を寄せ、やがて一度深く息を吐いた。

「背に腹は替えられません、私にお任せください。例えそれが偽善であれ、貴方は私を助け、戦ってくださっています。そのご恩に報わずして何が魔女ですか」

 エゴはオーガストの首に回していた右の平手を、前方に立ち塞がる傀儡軍へ向けて掲げた。そして、その手を強く握る。

 すると、二人めがけて飛び掛かって来た傀儡達は一斉に動きを制止させた。

 それだけではない。所狭しと蠢いていた死体が全て、事切れたように力なく項垂れる。

 やがてどちゃりと粘着質な音を立てて、縫合された肉塊は膝から崩折れ、微動だにしなくなるのだった。

「現存するビザールレディの動きを全停止させ、破壊しました。私が今後新しく作ったものは動けますが……機械のリセットのようなものです」

「こりゃ驚いた。やっぱ『傀儡は自分の手で操れない』てのは嘘だったんスね、賭けて良かったスわ」

「何故、そう思ったんですか」

 エゴは目を見開いた。幽閉された八年間に渡り、聖職者達に操縦の徒労を煩わせるほどに自身の嘘を突き通してきた。魔女は縫合して異形を生み出すことができようとも、それを操ることはできない。騙しきっていたつもりであるために、驚愕の念を隠せない。

「矛盾してるんスよ。ステラちゃんが逃げてきた日、あの娘が操縦してないにも関わらず傀儡が駆動してた。でもその時点では別の人員は補充されていない。そう考えたら、逃した本人が動かしてたって考えるのが妥当っス」

「私の考えは、そこまで見え透いた物でしたでしょうか」

 落胆に目を伏せる。いつか牢獄のようなあの場所と憂鬱から逃避する日を願って、虚言を吐き連ねて生きてきた。それが容易く露呈してしまった悲壮感は計り知れない。

「そんなの僕にゃ分からないスよ。ただまぁ、エゴちゃんが好きなように考えて選んで行動したんなら、それが正解じゃないっスかね」

「ソフォラ」

 死体の山の彼方を虚ろげに見つめて、エゴは溢れるように言う。

「ソフォラ・オクタヴィア。それが、私の名前です。エゴは、私の蔑称ですので」

「そスか。僕がオーガストで君がオクタヴィアって、どっちも八番目って意味でお揃いっスね」

 戦場に現存する人影の全てが、等しく臥せって死に絶えた。否、元より死した骸の合成体であるそれらに対して、死ぬという表現が立派であるとは思えないが。

 醜悪な死体の絨毯にむけて、空からぽつぽつと雨粒が徐々に溢れ落ち、曝け出された皮膚を濡らす。ソフォラは自身も雨の下に晒されながら、その光景を目に焼き付けて、頬を伝う雫を拭った。




 顔を覆うほどに開かれた平手が、掴みかかるその寸前で制止する。緊張感から呼吸を止めていた肺が一挙に酸素を取り込んで、グレイは急くように息を吸った。

 オーガストが計画を遂行したのか、そして同時に彼の推測が当たっていたのかという安堵感に包まれ、気の抜ける感覚に包まれる。

 よろけるように後方へ下がった直後、グレイの瞳孔は全ての傀儡が崩れ落ちる様を映した。地を這う肉塊はそのまま伏せ、直立したままの個体は糸が切れたように乱雑に地面を転がる。

 グレイの眼前に差し迫っていた傀儡は膝から力なく倒れ、その衝撃で外れた頭部がグレイの間の前に転がった。

 表情筋の強張った仏頂面の、安らかとも痛苦が浮かんでいるとも思われない表情。明らかにマグのものと思われる顔面。しかしその目元には、涙が流れたような跡があるように見受けられ、グレイは心痛に強く唇を噛んだ。

 遠くで轟いていたはずの雷鳴がいつの間にか近場で嘶いて、やがて暗雲に覆われた空から雨が降る。その雨粒がマグの顔を濡らして涙の痕を掻き消してしまうのが心苦しくて、グレイは着ていた衣服を一枚脱いで彼の顔にかけてやった。

 グレイの目頭が熱くなり、視界がぼやける感覚に手の甲で目を拭う。燃え猛っていた火は雨によって沈下され、火薬と木々の焦げ臭さと硝煙がペトリコールと混じって、鬱々とした気分と鈍痛を呼び起こした。

 ふと何処からか物の崩れる轟音が鳴り、グレイははっとしてそちらに目をやった。すると、崩壊した防壁の礫岩の合間をぬって、一人の美麗な女性が姿をあらわした。

「誰だ、お前」

 肌に沿う濡れた青髪の艶やかな流麗な容貌。硝子玉のような青の片目と、反対には果てしない空洞の眼窩覗いており、浮世離れした面持ちにグレイは思わず総毛立った。

 女性的で肉付きの良い柔らかな四肢も、水を含んで体にまとわりついた白の服によってあらわになった体躯も、およそ理想的と呼ぶに相応しい要素を網羅した魅惑的なそれ。

 しかし薄手の衣服で素足を曝け出した彼女は、人体の各所に縫合の跡を覗かせている。

 その個体が、ビザールレディであることを証明する印。そして同時に全ての傀儡が制止した状況下で動作を継続するそれが、魔女の支配下を逃れた常軌を逸した存在であることが、グレイには理解できた。脳内で情報が処理された直後。

「っクソ」

 個体が、瞬間的にグレイの眼前に迫る。咄嗟に両腕で自身の顔を覆い防御。傀儡は後方に構えた拳を勢い良く突き出して、グレイめがけて殴りかかる。受け止めたグレイの腕は熱のような痛みを帯び、胴体は衝撃で球のように地を跳ねて吹き飛んだ。

 燃え屑の屋舎に激突し、剥き出しの骨組みが音を立てて崩れ、項を垂れるグレイに降り注ぐ。頬を裂き下肢を抉るその瓦礫の下、口腔内を噛んで染み出した血を唾とともに吐き出し、グレイは口元を拭う。

「いてぇなクソが。そうか、お前が親玉ってわけか」

 肉を挟む残骸の下敷きから這い出て太腿を貫いた破片を抜くと、溢れだした血に顔をしかめながらも、グレイは平然とした面持ちを保った。それでも膝は笑い骨は軋む。裂傷を抱えた足を奮い立たせ、足元に落ちてしまったダガーナイフを拾った。

 劣勢の戦場においての常識を逸脱した、特異点たるグレイの存在。ビザールレディの猛攻を身に受けようとも堪え、人間を超えた力量をもって大立ち回りを演じてきた男。

 頑丈であるはずのその肉体の節々が悲鳴を上げるほどに、目の前の麗しきビザールレディは、比較ならない殺傷力を有していた。

「ぶっ殺す。そんで、俺の手で全部終わらせる」

 それでもなお、グレイが臆することはなく。頭部から流れた血を舐め、武器を構えた。




「そいや、君達の本丸──人造女神様の動きも止められないもんスかね?それができりゃ完全試合なんスけど」

「いえ、あれはもはや……ビザールレディの域を超えてしまいました。私の手にはおえません」

 両国防壁間の端の小高い丘陵上に雄々しくそびえる巨木の影。肉塊の埋める地を抜けた二人は、安息所の中継地点として、その場で雨宿りをしていた。既に濡れて重くなった衣服は乾かしようがないけれども、吹き荒ぶ雨風は僅かにしのぎようがある。

 足を投げ出して木の根本に寄り掛かるソフォラは、暖を取るように自身の手に息を吐きかけ、オーガストを見上げて言った。

「人々の怨念や執着心というものは、存在するようです。もしかしたら神も──存在していたのかもしれません」

 あれもただの、ビザールレディであるはずだった。製作者ソフォラの意向に伴って従順な足のように動く存在が、本来の傀儡としての役目。しかしいつの間にかソフォラは、あの個体に干渉する術を失った。

 厳選された素材によって構成された処女作のアリスでさえ、ソフォラによって操縦される。現に今もきっと、マダスティアの何処かで全機能を停止させて死に絶えていることだろう。

 気がついたらあれは、ビザールレディより高次のものに昇華していた。今のあれは、ただの泥と泥を捏ねた人形ではない。

「あれはもう、意思を持った人間です」

 ソフォラは強く唇を噛む。そんな存在を作り上げてしまった自己嫌悪に苛まれた。

「そんじゃ、倒す手段はもう無いってことスか?」

 流し目で見るオーガストに、ソフォラは強く首を振る。

「いえ、人間であるならばなおのこと、弱点は明確でしょう」

 およそ、人間と呼ぶ存在に共通する弱点。構造上あまりにも脆弱な箇所。

「心臓、または頭部を破壊すること。そうすれば、奴は死にます」

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