欲望

 カーテンに覆われた窓外から、目も眩むばかりの朝焼けが差し漏れる室内。天窓の陽光を手元灯りにし、エゴは本日も変わらず幽閉塔の最上階で縫合の手を進めていた。赤や黒、白の彩色を施された手縫いの糸。ビザールレディが負傷すれば容易く千切れ飛ぶ安価な素材。

 新規解体された死体が搬入されては縫い繕って、戦場で弾けた四肢は再利用。肉体は循環して新たなビザールレディを製作し、それが破壊されたら別個体に付け替える。今までもこれからも、腐敗のしない傀儡兵は、そして戦場に縛りつけられる。

「魔女。これを使ってセシア様の肉体作成の最終段階に取り掛かれ」

 エゴの作業途中の卓上に置かれたのは、硝子細工の円状の入れ物。上面から覗き込んだ内部には、青薔薇の花弁に囲われた、人の脳髄が収められていた。透明の容器の底にこびり付いた赤い濁りは、脳味噌から僅かに垂れた血液の固形物。

 普段であれば、優良な保存環境に置いた上で運ばれるはずの女神の素材が、血も抜け切らない管理状態のまま運び込まれている。ぞんざいに扱うこともできないはずの、将来女神の一部へと昇華するものなのだから。

 僅かに肢体を動かし、後方からエゴの肉体に影を落とすヘレンの姿を確かめた。白い祭服の彼女は、心中で渦巻く焦燥と感情の高揚をあらわにした微笑を浮かべている。

「これは一体、誰の脳髄、ですか」

 僅かに震えた声で、エゴは入れ物を指差した。目の前に構えるその脳味噌は、セシアの中枢機関である頭として活用される。

 そしてこの脳は、セシアを構成する最後のパーツだった。

「正真正銘、ドロテアの総統ガスト・イェスパールだ。間違いはない、私が取りに行かせたのでな」

「取りに行かせたって、誰に」

「現存する最高傑作にして──一番の出来損ない処女作のアリスに、だが?」

 エゴは戦慄して目を見開いた。その驚愕を隠せない面持ちを滑稽だとでも言うように、ヘレンは彼女を嘲笑う。

「な、どうやって」

「頼んだだけだ『これはお前にしかできないことだから、どうか果たしてほしい』と。あいつに行動原理なんて概念は存在しないと、お前が一番理解しているだろう」

 エゴの処女作、ビザールレディ試作品のアリス。胴体を乱雑に縫い付けたような戦争兵器の類ではなく、セシアを招来する本願を叶える崇高な偶像になるべくして産まれた、厳選された存在──に、なるはずだった失敗作。不慣れな制作過程で鼻が剥がれ落ち、再縫合される前に意識を持ってしまった不完全。

「男性器や女性器も伴っておらず、性別的概念も無い人間の下位互換。未熟者半端者、他者依存でしか存在を確立できない操り人形にも、できることがあったのだな。珍しく、奴に対して好感を抱いたよ」

 アリスという存在は、殺戮の権化である通常のビザールレディとは違って、思考し行動をし、言葉を発することができる。しかし自主性に欠けていて自発的に行動することが少なく、人に依存して頼りすぎる傾向にあり、受動的にやれと言われたら何でもやる

 エゴが産み出してしまった、可哀想な生物兵器。

 自身の手によって創造された怪物が、司令によって人を殺害した事実に絶句して、エゴは憤慨すれば良いのか悲哀を抱けばよいのかわからなかった。これまで数千数万の傀儡を戦場へ狩り出させて人を殺しているのだから、対象に同情するのも今更な事だが。

「無性の失敗作とは違い、セシア様には胎盤も子宮も備わってらっしゃる。神子を孕み、産み育てることも可能なんだよ」

「貴方は一体、何を仰っているんですか?」

 狂信的なまでのヘレンの風貌に、エゴは最早大仰な疑問すら抱くことができなかった。発言を当然のものと言いたげなヘレンの様相が理解不能で、エゴは一瞬自分自身の常識にすら疑念を抱いた。

「理解できずとも構わない。元より貴様の知力で把握できるとも思っていないのでな。貴様はただ、セシア様のために尽力していればいい。自身の汚名を晴らす努力をしろ」

 疑問に嘆息を漏らし、眼下のエゴを侮蔑の目で見てヘレンは言う。

「汚名だなんて、そんなもの着せられた覚えがありませんが」

「思い当たる節も無いか?先月の貴様の愚行、晴れたわけではないぞ、。貴様はあの娘を──ステラを、魔境へ追いやった。到底許される行いではない」

 いいながらヘレンは、エゴの髪を掴んだ。ぶつりぶつりと頭髪の抜ける刺すような痛みに顔をしかめながら、エゴは引き攣った笑みを貼り付けて優位を気取る。

「追いやるも何も、取り立てて悪行を働いた覚えはありませんが……だってほら、彼女は司令官では無く指揮官ではありませんか?指揮官が戦場にいなくてどうしましょう」

「貴様、自分が何をしでかしたか理解しているのか?」

 握る手に力が入り、反動でエゴの華奢な体躯がロッキングチェアから浮き上がる。嫌がるようにヘレンの腕を掴んだが、エゴは抗って伸ばしたその手を思わず咄嗟に離した。

 冷たい。触った手指の芯から凍ってしまいそうなほどに、非人間的な冷寒さを帯びている。白手袋を纏っていながらも、ヘレンの腕は無機質な冷たさに満ちている。触れた指先に熱をもたせるように擦りながら、エゴは諦めて痛みに耐えて睨みつけた。

「私はただ、居るべき場所へと彼女を導いただけのこと。内地にこもって家畜のように肥え太るよりも、若い子供は外に出て遊ばなければではありませんか?」

「あの子が居なくなってから、ビザールレディは本来の機能──殺戮兵器という本願を失った。貴様にも、それが何故かわかるだろう」

「ええ。彼女が聖職者となる以前に操縦を行っていた人達は、ステラの前では無能も等しくなりました。なのでご希望どおりに、私が縫合して戦場へと廃棄致しました」

 ステラは、電脳においては秀才だ。マダスティアはその力とビザールレディに助けられて生活をしている。日常では肉体労働を行う人材の代わりに傀儡を用い、戦場では殺人兵器を人間が操縦する。八年ほど前から、そのような基盤が築き上げられた。

──エゴのせいでその体制は、確立してしまった。

「つくづく貴様は、魔女の名を冠するに相応しい女だな。貴様と話すのは時間の無駄なようだ。余罪は追って伝える。国外逃亡など図るなよ──逃げられるはずもないがな」

 ヘレンはそう吐き、乱雑にエゴの髪を捨てて汚れ物を扱った後のように手を払った。痛みを帯びる頭皮を抑えながら、エゴは置き残された硝子の容器に手をかける。

 このままこれを壊してしまえれば、どれほど楽だっただろうか。今ではそうする自由も無い。脳髄を使い物にならなくすれば肉体に鞭を打たれ、素材にされた人間の死も無駄になる。縫合前に祈りの指組みをするのもやめた。自身がこれから冒涜する死に対しての弔いなど、等しく不敬で巫山戯た事に過ぎないから。

「ステラの救出が急務だ。なにか、なにか策を」

 後方で戸口の閉じる昇降機の中で吐露する声を、エゴは聞き逃しはしなかった。

 ステラは、エゴが追い出したのだ。

 幽閉状態のエゴは自身で身の回りの事柄を成すこともできず、女性聖職者の助力の元で生活を行っている。主に入浴、着替えの全般。約二年ほど前から、新人の聖職者になったステラがエゴの担当をしている。

 今から数えて一ヶ月前、幽閉塔に身辺の世話をしに来たテラに対してエゴは言った。

「ステラ、貴方はここから逃げなさい。ドロテアの人々は優しいからきっと、事情を知らずとも貴方を助けてくれることでしょう」

 縫合しながら後方を見ずに言ったエゴに驚愕して、ステラが息を呑む吐息が聞こえたのを覚えている。既にその時彼女の声帯は無く、反論も質問もする術は持たされていなかった。

「ごめんなさいね、ステラ。私は貴方の気持ちを聞くことができません。ここには紙片も筆も置かれてはいないから、貴方に声の代わりになるものをあげることはできないのです。だから今は、私が一方的に喋らせてください」

 室内の隅に設置された監視カメラに異常を撮られてはいけないから、エゴは縫い合わせる手を止めることは無かった。

「貴方はここに居てはいけない。貴方はこの国の現状に違和感を抱いている、珍しい人材です。貴方は未だこの国に染まりきってはいないから、抜け出すことができるでしょう。ごめんなさい、巻き込んでしまって。この戦争は、私のせいです。私が居るから、この争いは終わらない」

 その後ステラはビザールレディに担がれ、昼下がりの喧騒の中、高層の建築物の屋根上を渡って中央街を飛び出し、やがて国境を超えたのだ。


「どうか、もっと遠くまで。宗教家共の魔の手が届かないところまで逃げなさい、ステラ。貴方が二度とこの国の土を踏むことが無いよう、祈っています」

 硝子ケースの蓋を開き、エゴは脳髄を撫でて言った。指先に付着する血液の層は、未だヌメリとした独特の感触を持っている。

 ドロテアへの潜入、詮索などどうでも良い。牢獄のようなマダスティアからステラが逃げ延びることができるのであれば、エゴは悪辣な罵倒も代償も背負う覚悟を決めている。それが、エゴの欲だった。

「私のことは忘れて、幸せに生きて」

 ヘレンの来訪でずれた定位置を戻すように、エゴは一度立ち上がって椅子を引く。その足元で、鉄が擦れる金属質な音が鳴る。

 彼女の片足には、窮屈な足枷が嵌められ、数メートル程の鎖が続いた後、床に打ち付けられた器具と固定されていた。長年の拘束によって肉の減った下肢は、到底一人で逃げ延びることができるような代物では無く、エゴはそれを見下ろして大きく嘆息する。

 マダスティアは異常だ。誰もそれに気がつく素振りは見せず、これを普通として扱って生活しているけれども、この国には人道も倫理も糞も無い。

 それでも、逃亡を謀ることもできなくなったエゴの肉体はもう、縫合を続けることしかできないのだった。

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