総統

 眼前に聳えるドロテア国の中枢施設は、本日も厳格な雰囲気を保っている。主要組織の総括された高層の建築物は、コンクリートに覆われて重厚な面持ちをあらわにしていた。総統閣下の控える場所というのもあり、警邏の多数配備された重厚な戸口は容易には抜けられない。

 しかしグレイは門戸に控える兵に顔を見せると、敬礼と共に建物内へ迎え入れられた。それに対してグレイは気にとめることもなく、防衛面に配慮して設計された迷宮構造を難なく抜け、昇降機を幾度も乗り継いで上階へと上がる。

 さも主要人物が居るといいたげな最上階に辿り着くと、昇降機は大きく揺れて停止した。開かれた引き戸の先に長い一路が続く。やがて荘厳な門扉が立ち塞がり、グレイはそれをノックも無しに押し開いた。

 総統執務室。ドロテアの最高権力者の控える部屋。しかしその看板に比べて内装は豪奢ではなく、年代を感じさせる大人な趣きをしていた。壁沿いの戸棚には貴重な骨董品や雑貨が飾られ、部屋の隅の瀟洒な花瓶には絢爛な花々が活けられている。

 室内の最奥に鎮座する執務机上には重要な文書が積まれており、その様は総統という職務の多忙さをあらわしていた。そしてそのさらに奥に腰掛ける、白髪の老人。柔和で人良さそうなしわだらけの表面。しかしその焦げ茶の双眸からは、威厳と冷酷さが垣間見える。彼こそがドロテア国総統、ガスト・イェスパールその人である。

 挨拶も無しに入室してきたグレイを見て、ガストの側近として控えていたディルが嘆息をしつつ発言をしようと口を開いた、その瞬間。それを遮るように、場違いな気の抜けた声がする。

「お〜グレイ君じゃないスか、いらっしゃ〜い」

 不意をつくそれに驚愕しながら、声のした方向を向く。すると部屋の隅に設置された来客用のソファに、気怠そうに腹這いになる男の姿を見た。夜空を思わす濃紺の髪が飾る、爽やかな容貌。長椅子のクッションに埋もれさせた顔から金の双眸を覗かせている。

「なんでお前がここにいんだよ、オーガスト」

「久しぶりに会ったってのに、随分と素っ気ないスねぇ」

 不快感を一面に出したグレイに向かってわざとらしく傷ついたような声音をしながら、男は尚も笑う。オーガストと呼ばれた彼は政府の上官でも何でも無い、国の有事の際に呼ばれるだけの異常な存在。

 オーガストという人間は、紛うことなき実力者。【ドロテアの魔女】である。勿論、性別は女では無く男なのだが、魔女という呼称は人ならざる力を有する存在に用いられるものであるため、否応なく彼は魔女と呼ばれているのであった。

 能力についての詳細が彼の口から語られることは未だに無い。それは、彼の性格ゆえのことなのだろう。日夜面倒臭そうに過ごしており、国防や政治に一切の興味をもたない。緊急時にふらっと顔を覗かせては、ある程度の助力をしてまたぶらぶらと徘徊するような男だ。

 その力を活用すれば何らかの恩恵がもたらされるやもしれないが、持ちうる力を有効に活用しようとしないその姿は、グレイが思うにあまり心地の良いものではなかった。

「冷やかしなら他所をあたれ。今日は遊びに来たんじゃねぇんだよ」

「さすがにそれは知ってるスよ、じゃなきゃ僕がここに呼ばれる訳ないじゃないスか。寧ろ忙しいのとかこっちから願い下げって感じなんで、許可貰えるなら帰りまスけど。って僕なんかに構ってる暇無いっスよ〜ほらほら、総統閣下にご挨拶」

 独り言のような間延びした声に急かされて、グレイはハッとしたように背筋を伸ばして前方を見やる。そこでは温厚な笑みをした総統が、顎に蓄えた髭を撫でつけながら微笑ましそうにこちらを見ていたので、グレイは思わず目をそらした。

「そ、総統閣下に、ご拝謁致します」

 俯き加減の姿勢と吃ったような声と共に敬礼をする。一瞬目があってしまったのがグレイにとっては気まずくて、今更どのような顔をして再び顔を見ればよいのかわからず困惑していた。

「久しぶりだなグレイ、大事が無いようで何よりだ」

「そ、総統閣下もお変わり無いようで……いや、ご健在のようで?何より、です」

「そんなに緊張せずとも良い。数年ぶりだな、元気にしておったか?ほら、前のように話してくれて良いんだぞ」

 直接対面するのはグレイが防壁任務に就く前なので、七から八年は前のことだと思われる。諭すようで穏やかな、その優しい久方ぶりの声音にあてられて、グレイは張っていた緊張の糸がふっと解ける感覚に包まれる。

 深く深く嘆息。強張っていた表情筋を解すように頬を両手で抑えると、何処かから湧いた嬉しさで口角があがり、自然とグレイは笑っていた。

「久しぶり、じいちゃん。元気してたか?」

「嗚呼、久しぶり。元気だったぞ。お前も相変わらずのようで安心したわ」

 ガスト・イェスパール。建国から数十年のドロテアを支える一本の大黒柱。彼はドロテア国総統閣下でありながら──グレイの、親代わりである。

 引き取り手の居なかったグレイを赤子の段階から育て、上等の教育を施し、やがて国を治めることの頭脳に引き上げた人物。溢れるほどの愛情と少しの叱りを与え、両親が行方不明のグレイに寂しい思いを抱かせることのなかった、グレイにとっては実の祖父のような人。

 しかしグレイとガストは、全く血が通っていない間柄で、遠縁ですら無い。幼少の頃まではグレイも、ガストこそが本当の祖父であると信じて生きていた。故に慕って喧嘩をしてもガストから離れることは無かった。

 自身が孤児であり、本当の家族の人間性を知らされるまでは。

「それにしても、グレイが直接訪ねて来るとは珍しいな。金が必要になったか?」

「そんな非道な理由じゃねぇ、馬鹿にすんなよじいちゃん。ちゃんとした、真面目な理由だ」

「そうか、なら良かった良かった。もしもお前がそんなことを言おうものなら、札束でも渡して帰らせるところだったからな。ただでさえ素行不良の子供が、もっと悪漢になって帰ってきたらと思うと夜も眠れんよ」

「金はくれるのかよ……安心しろ、んなことしねぇし金ならある。使って無いけど」

「使え。何だその格好、一応わしも総統なんだから服装ぐらいは選んで会いに来い」

 言われてグレイは、自身の服装を見下ろした。昨日防衛施設で選んだ衣服の着回しである。

「確かに、謁見するような服装じゃねぇけど」

「頭から爪先まで気を遣えと、お前が子供の頃に何度も──」

「二人共、そろそろ本題に行きたいのですが?」

 わざとらしい咳払いで激化した問答を仲裁したのは、ガストの側で微動だにせず立ち続けていたディルだった。眉間にシワを寄せて口元を強張らせるている。

「おじさんも、今日は大事な話し合いをするって言ったじゃないですか」

「すまんすまん。つい、な。して、グレイ。話とはなんだ?」

 先程までの人柄の良い様子が一新されたように、ガストは総統らしい厳格な面持ちを表面に宿す。一瞬にして室内の空気が張り詰め、それに感化されたようにグレイも背筋を伸ばした。

「防衛任務で異常が発生した。電報とか越しに話すよりも、現場に居る人間が直接口伝したほうが良いだろ」

「異常?それは一体どんなだ?」

「違和感のほうが近いかも知れねぇけど……まず、ビザールレディの異変。一昨日の夕刻頃、いつもなら退散しだすビザールレディがやけに戦場に固執してたり、急に戦力が激化して暴れだしたりした」

「なるほどな、マダスティアが何か企んでる可能性がある……またはビザールレディの質が変わったかもしれん、というわけか」

 グレイが現状から編み出される可能性を列挙する前に、ガストが状況を分析して自論を述べる。それに頷き返すと、グレイは頭を掻いて唸り声をあげた。

「正直、これに関しては対策の講じようがねぇ。まずはビザールレディの動力の仕組みから調べねぇとだから……あいつらを拘束しておけない以上、実質不可能と言っても過言じゃねぇだろ」

「嗚呼、そうだな……それで、他に何か報告は?」

「……一昨日防衛施設内で子供を見つけて、今保護してる。十八の女だ。ビザールレディの噛み傷つきのな。奴らが国内に侵入してる可能性、それか防壁に欠陥があるかもしれねぇ」

「なんと、傀儡に……その娘は大丈夫か?今何処に?」

 テラについての報告をすると、ガストは食いついたように身を乗り出した。驚愕に目を見開くその顔は、想像もできない話がグレイから発された故のものだと思われる。

「すぐそこの病院に入院してる。幸い命に別状もねぇから、数週間そこに留まったら退院……するんだが、生憎と身元がわからねぇんだよ」

「孤児というわけか?」

「それもわからん。あいつ、喋れねぇんだよ。でも、懇意にしてくれる人はいるって言ってた」

 しかしその人物が何処に居るのか、養護施設などの人間なのか民家に住む一般人なのかも不明で、そもそもグレイには調査をする時間が無いので何も判明していない。そしてグレイはあえて、彼女が発声不可能な理由を説明しなかった。テラのプライバシーに関わる話であるのと、容易に人に伝えていい内容なのか考えあぐねた結果である。

「その子については、僕が調べておくよ。何かあったらオーガストの方から連絡させる」

 ふとディルが控えめに手を上げながら一歩前へ出る。その彼の発言に飛び起きたのか、グレイの側のソファで寛いでいたはずのオーガストが地面に転がって目を剥いていた。

「ちょ、冗談じゃないスよ、僕からスか?!今の僕、四方八方に呼び出されて大忙しなんスけど!」

 先程までの堕落加減が嘘のように毅然とした態度で慌てながら頭を抱える彼の姿に、グレイは理解ができないように、オーガストとディルを右見左見した。オーガストは面倒くさがりな性分をしており、緊急時以外の職務は大抵放るため、彼でなければ行えない事態が発生した場合のみ仕事を請け負っている。その人物が手一杯になるほどということは、ドロテアが深刻な状況に陥っている事を示す。

「何かあったのか?」

「昨日今日と続いて、ビザールレディの侵攻が行われていないんだよ」

 平坦だが煩悶したような返答に、今度はグレイが驚愕で目を見開き絶句した

「攻めてきて無いってことは、勿論被害者も居ないんだよな?」

「嗚呼。いつ攻撃があっても良いように、全員施設に待機してはいるけれどね、害を加えてくる敵が居ないんだから誰も怪我はしてないよ」

「そうか」

 その言葉にグレイはほっと胸を撫で下ろす。任務を離れて休暇をしている身の彼にとって、最も案じていたビザールレディの強襲が行われていないという事実は、安堵感の他のなにものでもなかった。

 しかしその裏で、ビザールレディが何らかの理由で行動できない説、敵側が力を温存して謀をしている可能性が拭えないことも明確なものとして附随している。

「まぁ、被検体が入手できたと考えればよかったほうじゃないかな」

「被検体?」

「嗚呼、一昨日の戦場でね。退散してないビザールレディが、伏せった状態で見つかったらしいんだよ」

 その瞬間、全身が総毛立ち、戦慄する。ディルの発言が脳内を支配した。グレイには、倒れ伏したままのビザールレディという点で思い当たる節がある。

 マグが強襲された際、グレイの動作を足止めした傀儡。打撃を加えようとも怯む素振りを見せず、臆することなくグレイの下肢に引き下がり続けた木偶の坊。人間離れした笑い声を延々と響かせてグレイを嘲笑ったビザールレディ。奴であろうという確信が、グレイの中に芽生える。

「動く気配も全く無し。だから僕がずっと監視する羽目になってるんスよ。万が一動いたときのためとはいえ、死体と個室に箱詰めは嫌だっていったのに無視されたんスよね」

 オーガストは、自分が哀れと言いたそうに眉を寄せて大袈裟に肩をすくめる。しかし彼のその姿を見て、グレイは頼りなさは感じなかった。

「まぁ、お前が見てんなら暴れたとしても大丈夫だろ」

「それはそうスけど〜」

 存外まんざらでも無さそうな表情で口をすぼませる彼に、グレイは思わず嘆息した。

「ふむ……とりあえず、防壁の欠陥については調査員を派遣するとしよう。ディル、マダスティア方面に限らず、別国との国境の方へも人員を送るようにしておくようにな。一ヶ月もあれば調べがつくだろうな」

 混迷していた銘々を引き締めるように、ガストが重い口を開いて言う。多量で良質な人材を適所に送ることができれば、例え防壁に欠損が発生していないとしても、今後のビザールレディ侵入に備えて捜査することができるだろう。

 壁を破壊されてしまえば、意味も何もなくなるけれど。

「了解です。孤児らしきの身元についても、並行して調査をします」

 ディルは指示に対してはつらつとした声で返答をし、乱れのない敬礼をする。

「頼んだぞ。オーガストは被検体の監視を続行して、何か大事があれば報告をしに来るように」

「は〜い、がってんしょうち」

 気怠そうな顔をして欠伸をこぼしながら言うと、オーガストはその後の発言を待たずに、グレイに向けて手を振って退室していった。ガストはそれを苦笑い共に見送り、先程までの厳格さを消して和やかに微笑んだ。

「グレイは休暇中だろう。たまの休みぐらい羽を伸ばすといい」

「嗚呼、そうする」

 肯定の意を込めて頷きながら言ったグレイだが、その心中は懊悩に渦巻いていた。それは、連日に渡るビザールレディの未介入によるもの。襲撃が無いことは喜ばしいことだが、いつ再び惨劇が戻ってくるのか、奴らの戦力が補充されているのではないかという可能性を列挙すると、素直に喜べない感情が勝るのだった。

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