筋道

 昇降機が耐えず上昇し振動を与える度に、台車に乗せられた容器の山が音を立てて揺れるのを、ヘレンは無心で見つめていた。風窓や掲示広告の一つも無い箱型閉鎖空間の移動手段に、途中停止する中間階は存在しない。昇降機の入り口が在る一階か、目的地の最上階のみの単調な仕組みの足である。

 折り畳み可能の業務用台車に大小形状様々なブリキ缶と一つの硝子箱を積み重ねながら、ヘレンは髪を揺らして最上階への到達を待つ。

 ここは、セシア教大教会の裏手に在する巨大な塔の中。摩天楼と称するに相応しいそれは六百メートルにもなる高層の建築物。

──【幽閉塔】と名付けられた、有り体にいえば専用の牢獄である。


 昇降機が大きく振動した。機械質でノイズ混じりな鐘の音と共に、ニ階──最上階のボタンが明滅する。その直後、入り口の引き戸が勝手にゆっくりと開く。隙間から徐々に広がる視界には、外窓が遮光カーテンに覆われた薄明かりの部屋が映った。

 昇降機の出入り口を部屋の中央部として、円状に展開された広大な室内構造。およそ内壁と呼ばれる部分は硝子窓のみで構成されており、部屋の全域が窓に囲われているといっても過言ではない。

 外界──或いはこの塔からしてみれば外界とも言えるだろう──の景色を展望するに最も適した場所と言えるだろう。遮光カーテンを除ければマダスティアの端まで伺えるかもしれない。

 車輪を軋ませながら台車を押し歩くと、部屋を半周移動した位置に数メートル幅の長机が置かれていた。天窓から部分的に差した光芒が、その卓の前に在する木製の椅子に腰掛ける女の姿を照らしている。揺り籠のように悠々と木椅子を揺らすその女は、訪れたヘレンに気が付かないように背を向けながら、淡々と作業の手を進めている。

 暗澹に溶け込む濡鴉の髪と、同じく漆黒の長手の衣服を絶え間なく動かすその様に、ヘレンは堪え難い吐き気を懐きながらも、荷台を押して歩み寄った。黒髪の女が向かい合う作業机のあからさまに空けてあるスペースに、ブリキの缶を乱雑に置き、硝子ケースのみそれらから少し離れた場所へ丁寧にのせる。

「先日の功績には目を見張るものがあった。重畳だ、エゴ。いや、【魔女】」

 酷く平坦な声音で、ヘレンは女──『エゴ』と名を、『魔女』と蔑称を呼ばれた彼女は、今更ヘレンの来訪に気がついたかのように首を傾けて見返る。肩にかかっていた髪が反動で垂れ、その奥に爛々と輝く真紅の瞳が覗く。彼岸の花の色で染めたような赤色は、悍ましくも思える双眸だった。

 【魔女】とは、魔法のような人間の常軌を逸した行動ができる存在を指す。故に忌み嫌われる者。革命などに助力をする影。その超人性から、精神論や唯一神の存在を脅かしかねない故に嫌煙された人間。それが、魔女が魔女である所以。

「傀儡共が、骸や四肢を大量に引きずって来たぞ。繕う死体の数が増えたな」

 ヘレンが歪んだ丸いブリキ缶を軋ませながら開くと、そこには切断された頭部が収められていた。衝撃吸収のクッション材に囲まれた、成人男性の容貌。それは冷凍や薬剤投与等の特殊な処置を経て硬化されており、腐敗が進んでいる傾向は無い。

 表情筋の強張った仏頂面の、安らかとも痛苦が浮かんでいるとも思われない表情。しかしその目元には、涙が流れた跡があるように見受けられる。ヘレンは、この男の素性も本名も何も知らない。ドロテアの国境を防衛している兵士の一人程度の認識。

 その他のブリキ缶も、中身は総じて遜色は無い。防壁兵らしき誰かの、硬化された死体の一部。丁寧に両断されたそれらは全て素材として有効活用される未来にある。

 エゴという女は、異常だった。

 断裂された人間の四肢や胴体、頭部や臓物など全ての部位を含め、誰かの肉体の一部が彼女の手により縫合されると、それはたちまち新たな生命を授かる。否。生命と呼ぶには、酷く醜悪で腐乱臭の香るものではあるが。

 彼女が誰かと誰かの体を継ぎ接ぎに縫い合わせれば、ビザールレディという新たな生き物になる。膂力やその他が人間とはかけ離れた、別次元の存在が構築される。マダスティアはその脳髄に特殊な機器を埋め込み、死んだ肉体に電流を流し操った。

 戦場へ向かわせ、敵兵を殺して新しい素材を入手してはそれを引きずって帰国し、新たなビザールレディが生成される。隣国との戦争によって、元より優れた素質をもった成人男性の人体が多く手に入るようになったのは、ここ数年の良い傾向だ。

「最も、うちの優秀な指揮官殿の裁量のおかげだが」

 エゴは死体を縫って生命を与えることはできても、自由に操縦することはできないと述べている。故に別の人間がそれを指揮し、戦争を行う。エゴはあくまでも生産するだけの魔女として、疲弊しようとも利用されるのみ。

 ヘレンを見返していたエゴは、話の区切りに興味を無くしたかのように再び作業に手をつけ、完成間近だったビザールレディへ新しく入手した素材を丁寧に縫い合わせ始めた。ぶちゅり、ぶちゅりと肉の一部が潰れる音が僅かに鳴る。血抜きの済んでない部分から赤黒く変色した血液が流れ、エゴの手指と縫い糸を汚す。

「そうですね。私が成せるのは、廃材を結び合わせて戦場に廃棄することだけですので。私に比べてあの娘には類稀ない才能がありますしね」

 エゴの発言を聞くが早いか、ヘレンは縫合を再開した彼女の胸ぐらを掴んで力づくで目線を合わせた。

「知ったような口を叩くな。魔女風情が上辺だけの媚びへつらいをあの娘に向けるな。お前はただ、死ぬまで傀儡を繕っていれば良い。無駄な言葉を吐く時間も無いだろう」

「それは失礼致しました。それでは玉結びが千切れてしまったので、手を離していただいてもよろしいでしょうか?次の傀儡を仕上げなくては。戦況は拮抗していらっしゃるのでしょう?」

 尚も呟くような声音で言う彼女に呆れたようにヘレンは乱雑に手を離し、先程までエゴと触れていた手指を汚れ物に触れたように払う。服の乱れを整えるエゴに向かって嘲笑をする。

「嗚呼、隣国の奴らも存外しぶとく抗うものだ。人外に対抗できるほどとは夢にも思わなかったが……魔女、お前はここでその短い余生を縫合に費やすと良い」

「えぇ、そうさせて頂きます。ここはあらゆるものを展望できますから、居心地は悪くありません。下界の忙しない光景も良く見えますよ」

「ほざけ──嗚呼そうだ、件の品だ。損傷を与えるなよ」

 そうしておもむろにヘレンは、別枠で取り置いた硝子ケースを開いた。内容物が伺えないように青薔薇で満たされたその容器は、持てば程々の重量感がある。

 内部に鎮座していたのは、今にも脈打ちそうな赤い臓物。

 特有の形状。それは、人間の心臓だった。

 薔薇から移った高貴で華やかな香りと血肉の生臭さが混じった、鼻孔を支配する吐き気をもよおす感覚。丸い箱型の蓋の縁に取り付けられた突起には、出資元が記名された黒い商品タグのようなもの巻きつけられていた。

『ニック』

 そう記された名前。

「我々の祈願を果たせ、エゴ。お前はそのための、使い捨てだ」

──優良な素材を寄せ集め、壮麗な女性の風防と健康な肉体を構築する。

 セシア。マダスティアの崇拝する唯一であり絶対の神。妄執の信仰の矛先。

 その存在を招来し、現実の者とする。ビザールレディは、そのための素材の余り物。廃棄物の集合体。

 セシアという偶像を真実にするための計画。聖職者の生きる意味は、ただ一つである。

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