病室

 大病院の最上階。遮光カーテン越しに差す薄明かりと明滅する蛍光灯の下の廊下を、足音を木霊させつつグレイは進んだ。その最奥に、人気の無い病室がぽつんと一つ、開きかけの引き戸で中へと誘う。グレイはその戸口に手をかけながら、普段は浮かべない笑みを自然な風貌に見えるよう顔面に張り付けて、扉を開いた。

 ピ、ピ、ピ、ピ。規則的で無機質な機械音と、呼吸器越しのくぐもった空気音がグレイを歓迎する。その病室は大きな寝台が一つだけ置かれている個室で、その周囲を緻密で重厚な機材類が取り囲む。中央に位置する寝台に臥せる、六十過ぎぐらいと思われる老人。

 ──否。周囲の雑多な装置と多量な管で繋がれた、実年齢は四十程度の中年である。

 頬は痩せこけて眼窩は落ち窪み、手指は細く小枝のよう。か弱い女性ですら力をかければ手折れてしまいそうなほどの、皮と骨のみで構成されているように思える体躯。しかしその足だけは、しっかりと肉付きのよい状態を維持していた。

 ──否。それどころか、全く別人の足のようでもある。血色や骨格だけでなく、そもそもの地肌の色が膝から下だけ妙に白っぽい。まるで若い女の足のようなものが生えている。

 彼は、防壁任務の古株兵士だった。軍人として活動をしている年数で言えば、グレイよりも経験豊かな人間だった。二年ほど前の任務中。新人の兵士を庇って致命傷を負い、そのまま肉体をビザールレディに引きずられて何処かへ連れ去られた。誰もが彼の存命を期待しつつも絶望に暮れた。彼はとても気の良い人間で、皆のおじさんのような立ち回りをしていた。

 しかしその半年後に彼は、壁外にふらふらと現れた。彼が生存していることに一同は歓喜した。しかし上の空でぶつぶつと独り言を呟き続ける彼のその様は、異様と称する他に無いと誰もが即座に察する。その体は栄養が足りてないのが見てわかるほどにガリガリに痩せていて、骨が浮き出ていた。男は直ぐに都市部の大病院に搬送されるが、幸いなことに、大病などを患っているといった内面的損傷は発見されなかった。しかし肉体は異常そのものだった。

 検査のために衣服を脱がされた彼の両足はまるで若い女のようなもので、しかも体躯のうちその部位のみがやせ細っておらず、おかしな程に肉付きが良い。彼はそれから一度も目を覚ますことがなく、延命装置で生きながらえている状態である。

 床に伏せる彼の周囲には機材類の他に様々な鉢植えが置かれていた。季節の花からサボテンまで様々な種類のそれ。俗説で言えば病室に鉢植えを置くという行為は『根付いて(寝付いて)ほしい』という、病状の悪化を願う不謹慎なものとされている。

 しかし彼の場合は違った。万が一この状態が回復して意識が戻ったとして、彼が自身の肉体を見てどう思うだろうか。ビザールレディに引きずられた先で何を見て何を経験したのかは軍の上層部にとって喉から手がでるほどほしい情報であるだろう。しかしお上は、有益な情報よりも彼の心の安寧を願った。

 彼に見舞いに来る人間は、必ず鉢植えをおいていく。そこには『死んでほしくない。生きているのならば寝付いたままでも』という、同胞たちからの醜い執着も含まれていることだろう。

 それほどまでに彼は、皆に慕われる、皆の良きおじさんだった。

 横たわる彼を遠目で見るグレイは、病室の門戸を越せないままでいた。苦労して張り付けた笑みは、彼の姿を見た一瞬で悔しそうに歪められる。

「すまねぇ、おっさん。俺のせいだ。俺がいるから、この戦争は……」

 憤慨、悲哀、後顧の憂い。多様な感情を織り交ぜてグレイは強く拳を握り、震える声を無理やり喉から絞り出した。

「俺が必ず、恨みを晴らす。約束だ。目が覚めたときには全部終わってるだろうよ」

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