口伝

「上官殿に伝令を──」

 都市部の中央街にその高層建築物は在る。ドロテアがドロテアたる象徴、軍や政の全てを司る総本部。防壁任務の取りまとめ、首都や地方の各所に点在する施設の統率を担う場所。数十階からなる構造をしたそれの裏手の人気も無く陽光も届かずに陰った裏路地で、グレイは男と──自身の上官であるディル・ソルトと対峙していた。

 兵士の習うままに敬礼をし、あくまでも高官への態度で接するグレイ。しかしそれに対してディルは矢張り、マグが死んだ日の朝に会話を交した時と同じく、気の抜けた顔をして苦笑いをするのだった。

「堅苦しい物言いはやめてくれグレイ。別に堅物達がどっかで僕らを監視してるわけじゃないんだから、今ぐらいは友人として接してくれよ」

 雰囲気だけでなく口調までもが絆されたようなそれ。困り顔で眉を寄せ、黄褐色の七三分けを弄りながら橙の目を瞬かせる彼。同年齢であるのに垢抜けない風貌のディルは、上官として指示をするときとは違って感情が表に強く出ていた。

「だけど」

「まぁ、君が僕を友人だと思ってくれていないならそのままで構わないよ」

「はぁ、わかった。つくづく面倒くせぇなお前」

 呆れたような顔をしながら体制を崩しグレイは頭を掻いた。彼とは長らくの仲である。今更不仲であると明言するには過ごした時間が長すぎた。

「それはグレイもだろ」

 ディルを呼び出したのは他でもない、今朝中年の事務員から頼まれた仕事を済ませる為である。グレイは手早く詳細に気がかりや任務中の異常を説明した。先日のビザールレディによる猛攻が何かの前触れや、敵戦力の強化を示す事態である説。

 テラという少女がビザールレディにより負った傷についてから導き出される、傀儡の内部侵入や防壁に欠損が生じて抜け穴ができてしまった可能性。昨今兵士達に明らかな精神疲労が見られる故に改善案の要請。グレイがここに居る事の顛末までもを説明し終えると、ディルは考え込むような素振りを見せる。

「なるほどな、敵戦力の肥大化や何か裏で謀がある可能性がある──わかった、このことは上に報告しておくよ。少しだけ大袈裟脚色を施してからね」

「助かる。防衛兵士が全滅寸前とでも言っておけば対応も早くなるかもな」

「かもね。嗚呼、その──テラちゃん?は今どうしてるの?」

「直ぐそこの病院で検査中だ。大方明日には診断結果も出るだろうし、保護者として名前も書いちまったからな、明日もう一回尋ねることにしてる」

「そうか。グレイは今日、これからどうするの?おじさん──いや、閣下にも顔をお見せしてきたらどう?久しく会ってないだろう」

 ディルの何気ない一言にグレイは例えがたい感覚を得た。憤怒のような哀愁のような、それでいて恐怖しているかのような。ディルが言う閣下というのは──この国の全てであり頂点の人間である総統閣下、ガスト・イェスパールその人だろう。グレイはその彼と、切っても切れぬ縁があった。

「いや、今度でいい。今は他に行きたいところがある」

「そうか。じゃあまた近いうちに会いに来てよ、その時は時間をあけるから」

「嗚呼──早速だが、明日の午後明けておいてくれ」

「また急だな、どうかした?」

 ふと思い至ったようにグレイは言った。ディルは驚愕したように目を見開くが、その突飛な要望に対して疑心も何も抱かず、受け入れたように即座に返答をする。彼のその態度にグレイは信用し過ぎだと嘆息しつつ、呆けた顔のディルにむけ口を開く。

「今の状況の擦り合わせを、直接じいちゃんと──総統閣下としておきたい。」

「わかった、伝えておこう」

「んじゃ、俺はこれで」

 手短に要件を伝えたグレイは、追随を許さぬ態度で踵を返して歩き出した。

「嗚呼、そうだ」

 ふと、思い出したかのように足を止める。既に数メートルは開いた距離を詰めることも、ディルを振り返ることもせずにグレイは普段の声量のまま声をだした。

「お前のその髪型、だせぇし似合ってねぇぞ」

 ディルの歳不相応な童顔に、背伸びしたとは言えども七三分けは変に浮いて見える。彼のその気の抜けた口調や職務中とは違う穏やかな声音も相まって、その不釣り合いさは歪に増していた。昔ながらの知り合いのグレイにとって彼のその姿は、酒の席で笑い話にしたいぐらいに滑稽なものではあったけれど。伝えるだけ伝えて彼の反応も見ず、グレイは手を軽く振ってその場を立ち去った。

「はは、余計なお世話だ」

 捨て台詞のように吐いて居なくなるグレイの背中を見ながら、ディルは自身の髪型を原型もなく崩すように、手ぐしで乱雑に荒らすのだった。

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