第2話 小さな庭で ジェーンの場合

「これを、君から直接ジョンに渡して欲しいんだ。出来ればすぐにね」

「わかりました、コーネリアス様」

 主人の私室に呼び出されていたジェーンは、頷いて籠を受け取った。

 籠には何も入っていない。そして、あえて「直接」渡すようにという言葉にも、特に疑問は差し挟まなかった。

 コーネリアスはこの城の主で、ジェーンはメイドである。だが、疑問に思ったことを尋ねなかったのは、そういった立場の違いからではない。

「あと、これもジョンに渡してくれるかな。中身は内緒だから、見ちゃ駄目だよ」

 そう言って折り畳まれた紙片をジェーンに手渡した。

「はい」

 これも素直にうなずいて受け取る。

 コーネリアスはあまり貴族らしくないところがあり、自分で動いた方が早ければ一人で歩き回って用事を済ませてしまう。彼がジェーンに頼むということは、何かそうした方がいい理由があるからだ。籠が空であることも、ジェーンの手から渡すことも、彼の中では意味のあることなのだろう。

 ただ、渡す相手がジョンであることに、ジェーンの気持ちがわずかに騒いだ。

「では、すぐ行ってきます」

 軽く膝を折ってお辞儀をし、部屋を出ようとしたところで呼び止められる。

「あー、ジョンは、ニコルのところにいるかも。うん、きっとそうだから、厨房に行ってみたらいいんじゃないかな」

 執事バトラーであるジョンは、酒類や塩の仕入れや管理も担っているので、コック長のニコルのところにいるのは何ら不思議ではない。

 だが、どうやらコーネリアスには何か思惑があるらしい。嘘が得意なひとではないので、コーネリアスの目は忙しなく泳いでいる。

 笑いそうになるのを堪え、「わかりました」と言って部屋を辞した。

 母の死を機に、メイドとして暮らしてきた男爵邸を離れた。

 この魔法卿城まほうきょうじょうで働くことになったときは、不安しかなかった。領主であるコーネリアスは魔法使いを領内に集め、彼らを使い実験三昧、領民たちからは重税を搾り取っている。それがもっぱらの噂だったからだ。

 それは悪意をもって誇張された噂に過ぎず、今ではここで働けて良かったと心から思う。街の外ではまるで暴君のような言われようだが、コーネリアスは、ちょっと抜けたところはあるものの、心根の優しい、善いひとだ。

 この城の唯一の欠点といえば、彼の作る魔法道具を狙い、盗賊が入り込むのが日常茶飯事になっていることだ。そのため、なかなか使用人が居着かない。そのため人手は足りていないが、同僚たちは皆優しい。彼らに会えたことは、ジェーンにとって宝物のような出来事だった。

 そう考えたところでポケットの中の紙片がカサッと音を立てて、ジェーンは頬を染めた。紙片と籠を手渡す相手の顔が頭に浮かんだせいだった。

 ――ジョンと、最近あんまり話してない。

 最近、ジョンは元気がなさそうで、何か悩んでいるのではと気になっていたのだが、なかなか尋ねることもできずにいた。ジェーンは頬の熱さを逃がすように一度頭を振ると、籠の持ち手を握り直した。


「ジョン? 厨房ちゅうぼうには来てないぞ」

 ニコルは早くも夕食の仕込みに取りかかっており、鍋の中に刻んだ野菜を入れていた。

「コーネリアス様が、ニコルのところにいるって」

「旦那が?」

 そう言って振り返り、ジェーンの持つ空の籠を覗く。ジェーンがコーネリアスに頼まれた内容をニコルに説明すると、「あー」と何かに気づいたような声を出した。

「ついでに、これもジョンに持ってってくれ」

 ニコルは、パンと飲み物の入った瓶、カップやらを籠に詰めた。

「ジョンの居場所なら、パティにも聞いてみろよ」

 早くジョンに籠を手渡したい気持ちもあったが、夕食の仕込みに戻ったニコルに言われるまま、ジェーンはパティの部屋に移動した。


 家計の出納を記録していたハウスキーパーのパティが顔を上げた。メイドのジェーンにとっては監督役にあたるが、気さくで優しい女性だ。

「ジョンは来てないけど……」

 さっきと同じ答えが返ってくる。パティは籠に目を留めた。ニコルにしたのと同じ説明をすると、パティは何度か頷いた。

「これもお願いしていいかしら」

 パティは、戸棚から小さなジャムの瓶を取り出し、籠に入れると、埃をかぶらないように小さな布をかけてくれた。

「ブルーノのところで、相談してるのかしらね? また新しい植物を育てるとか……」

「行ってみます」

 空だった籠がいっぱいになった。

 ――たぶん、ジョンの元気がなさそうだったからだ。

 コーネリアスはジョンを労おうとしているようだ。おそらく、ニコルとパティもジョンが最近悩んでいたことと、コーネリアスの意図に気づいて、何か用事のように装って籠に物を足してくれている。

 ジョンは極度の照れ屋で、意地っ張りでもある。心配だから少し休みなさいと言われても素直に頷くことはしない。皆それがわかっていて、少々回りくどい形で、ゆっくり休む時間をジョンに渡そうとしている。手渡す相手にジェーンを選んだのは、年下で、ジョンが気を遣わなくていい相手ということなのだろう。


 城内にある、庭師のブルーノの小屋を訪ねると、今までとは違う答えが返ってきた。

「ジョンなら、奥の小さい庭じゃな」

 ジェーンは数度、瞬きをした。基本的に城内で忙しく立ち歩いているので、広い敷地内の奥に小さな庭があることを、知らなかった。

「昔からある庭でな。小さなベンチはあるが、雨が降った後だからこれを持って行くといい」

 厚手の敷物を畳んで手渡してくれた。そこまでの道を教えてもらい、礼を言うとその庭を目指した。

 ――荷物、重たい。

 そう思った後で、ジェーンはほほ笑んだ。腕にかかる重みは、少しも嫌なものではなかった。これはただの籠やパンやジャムや敷物ではなくて、皆のジョンへの気持ちだ。

 それが、自分のことのように嬉しい。

 ――ジョンが、喜んでくれたらいいな。

 少しでも元気になって、笑ってくれたらいい。ジョンは笑うと、年相応の表情になって、ジェーンは彼の笑顔がとても……、そこまで考えて真っ赤になる。

 とにかく早く渡してあげなければと、ジェーンは歩調を速めた。

 雨の後だが、雲間から青い空が覗き始めていて、草木の雨粒がきらきらと光っている。

「わっ」

 頭の上に冷たい感触があった。木から滴が落ちてきたようだ。

 低木が多くなって、すこし鬱蒼とした場所の切れ目に、小さなアーチがあった。

 それをくぐり抜けると、中は不思議なほど明るかった。しっとりと濡れた木や花が、空から降る光に鮮やかに照らされて、湿った空気は甘い花の香りを含んでいる。

 その小さな庭の中にジョンが空を見上げて立っていた。プラチナ色の髪が、日差しで淡く光っている。しばらくただ彼に見入ってしまう。すると、新緑より鮮やかな彼の瞳が、ジェーンを捉えた。

「……ジェーン」

 わずかに目を見開いたあとで、ジョンは吹き出した。

「お前……」

 笑いながらジェーンに歩み寄ると、頭の上に手を伸ばす。

「気づかなかったのか?」

 ジョンの指先には大きな葉っぱがあり、彼は軸を持ってくるくると回した。

「冷たいとは思ったけど、水滴かなって……」

 葉っぱを載せて歩いていた自分に気恥ずかしさはあったが、ジョンがおかしそうに笑うので、ジェーンも笑った。

 ――やっぱり、ジョンの笑顔が好きだ。

 自分が大きな葉っぱに気づかず歩いていたことがおかしくて、ジョンが笑ってくれたことが嬉しくて、笑った。

 ジョンが一瞬止まり、ついとそっぽを向く。首筋が薄赤くなっていた。それを見ていたら、なんだかジェーンも気恥ずかしくなった。

「あ、あのね……。これ、コーネリアス様から。あと、これはニコルからで、あと、こっちはパティさん。きっと、コーネリアス様が食べる前に、ジョンに味を見て欲しいってことじゃないかと思うんだけど」

 ジョンが気にせず受け取れるよう、そう言い添えて、籠と紙片を手渡す。

 ジョンは紙片を開くと、少し顔を歪めた。ベンチに布を敷き、籠を載せると端に腰掛けた。籠の中身を覗いて、少し頬を染めている。皆の気遣いが伝わったらしい。

「じゃあ、私は戻るね」

「ジェーン」

 思わず呼び止めたような声にジョンの方を振り向くと、ジョンはしばらく不機嫌そうに押し黙ってから口を開いた。

「……俺一人だと、多すぎる。その、時間があるなら、ジェーンも」

 ジェーンは頬が熱くなるのを感じながら頷いて、籠を挟んで彼の隣に座った。ジョンはちらりとジェーンを見ると、ちょっとだけ口角を上げてほほ笑んだ。ジョンが笑うとジェーンも嬉しくて口元が緩む。

 コーネリアスの小さな手紙に、何が書いてあったのかジェーンは知らない。

 ただ嬉しい気持ちでジョンからパンと飲み物を受け取った。

 水滴で草花がきらきらと光る小さな庭では、二人のささやかな声と笑いがしばらく続いた。

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【特別書き下ろし短編】魔法卿城の優しい嘘 銀の執事と緋の名前 和知杏佳/角川ビーンズ文庫 @beans

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