二十一年 三月 「遅日」

 「遅日ちじつ」というのは春の季語です。

「春日遅々として暮れかねること」(俳句歳時記・角川書店 より引用)だそうです。遅日の俳句をいろいろ読むと「今日はいつまでも日が暮れないなー」と思うような句が多いです。傍題に、遅き日、暮遅し、暮れかぬ、夕永し、があります。


似た季語に「日永ひなが」というのもありまして。

「春分を過ぎると夜より昼の時間が長くなり始める。日中ゆとりもでき、気持ちものびやかになる」(俳句歳時記・角川書店 より引用)どこが違うかというと「日永」は一日が長いことに対して「遅日」はポイントが日暮れにあることです。


 さらに「長閑のどか」とは何かというと。

「春の日中はゆったりとしてのびやかである。その静かに落ち着いたさまをいう」(俳句歳時記・角川書店 より引用)

 つまり、日が伸びたから今日はスーパーのバーゲン梯子しちゃったら「日永」、バーゲンの帰り道が日暮れ時だったら「遅日」、バーゲン行かずにのんびり俳句を詠んでたら「長閑」じゃないかな?




 暮遅しバス待つ人の長き影


 ついこの間まで帰宅のバスを待つ頃は夜の景色だったのに、いつの間にか空はまだ明るくて西日が差している。バスを待つ人々の影は長く伸びて、あしながおじさんみたいだ。それにしてもお腹が空いたなあ……。コンビニ、寄るか。はあ。部活して塾行って、なんでこんなに忙しいんだろ、高校生。




 点滴のリズム間遠し暮れかぬる


 入院して点滴を受けていたときのこと。「これが済んだら呼んでくださいね」看護師さんは早口に言うとせわしげに消えてしまった。わたしは腕のひじの内側(って何て言うの?)に差された点滴の針を気にしつつベッドに寝ころぶ。いつになったら退院出来るのかな。配膳車がガラガラと廊下を通る。病院の夕食は早過ぎて、窓の外はまだ明るい。




 ☆☆ 多磨墓地に母と迷いて遅日かな


「変ねえ。確かにこの近所のはずなのよ」

 小柄で可愛い母が眉をしかめる。母とわたしは既に三十分近く同じ場所をウロウロと歩いている。知っている人は知っていると思うが、多磨墓地は敷地内をバスが通るほどに、とてもとても広い。

「さっきの石屋さんで訊いてこようよ」

「一昨年も訊いたから恥ずかしい」

「言ってる場合か!」

 母は若い頃と同じようにキャッキャと笑う。

「ママ、お墓の地図持ってないの?」

「あ、そうだ。持ってた!」

「なんで見ない!」

 わたしは母がハンドバックから取り出した小さな手書きのメモを見た。

「……んと、ここが○○区だから、わかった。あっちだ」

 わたしが桶と柄杓を持って大股に歩き出すと、花と線香を抱えた母が後ろからチョコチョコついてくる。

「パパにそっくり」母は歩きながら嬉しそうに笑う。

「ほんとに詠子は頼もしいわねえ」

「あたしが頼もしいんじゃなくて、ママが頼りないの!」

 五分も歩くと見覚えのある場所に出た。

「あ、ここよ。ここの左側よ」

 母はわたしを押しのけて墓の前に立つと、御先祖様に一礼した。

「ああ良かった。たどり着いたわ」

 西日が小さな墓石を暖めるように照らしていた。

                 (人入選)

                 つづく

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