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派出所の句は色々なパターンのドラマが見えて、とても面白いです☆
これで「人」なのかぁ。夏井先生も厳しいですなぁ。
病室の句で一言 (*´ω`*)
「病室」と「祈る」の取り合わせがありがちという解釈も一理ですが、祈っている人が病人なのかお見舞いの人なのか医療従事者なのかという具体性が薄かったかもしれません。ありがちな設定であればあるほど、よりシーンの具体性を出していかないと見てもらえないという評価論もありますし。
「名詞(もしくは動作)」+「ポインセチア(文字数的に中七が多い)」+「名詞(もしくは動詞)」というパターンがありきたりだと感じるようでしたら、思い切って上七スタートでやってみるのも選者の目に止まりやすいかも?
サンプル的に詠むと「ポインセチアへ治癒祈る母親よ(あとは母の病とか)」みたいに、下五で祈っている人物を変化させる気まぐれ感を出しておくと、その時の気持ちでアレンジが効きそうです☆
作者からの返信
愛宕師匠! ありがとうございます。
「ありがちな設定であればあるほど、よりシーンの具体性を出していかないと見てもらえない」なるほど、そうですよね。描写が甘かったです。
「上七スタート」ヒーローの必殺技の名前みたいでステキ!
ほんとうに愛宕師匠の一言一言が勉強になります。感謝です。
いつか愛宕師匠のいらっしゃる高みに手が届くのでしょうか。頑張って追いかけますね(^_^)
来冬さま、友未の愚痴を聞いて下さい。
友未は実際に自分の身に起ったことや見聞きしたことしか詩や歌にできません。想像の詩や兼題で書かれた句の中に素晴らしい作品があることは知っていても、自身の創作行為として実際に体験していない言葉を書くことに強い嘘っぽさを感じてしまうのです。小説ならいくらでも想像で書いて行けるのに、詩や詩歌の場合、たとえ手慰みにどんなに巧く想像を描けたとしても、はるかに拙い写生の方に真実味を覚えてしまうのは不思議ですね。俳句は客観世界の写生に徹するべきで、言葉に自身を委ねてはならないと考える友未には、真夏のポインセチアの俳句スイッチがどうしても押せません。
作者からの返信
友未先生、ありがとうございます。
こんなヘボ句製造機が、博識な友未先生に何を申し上げようと、おこがましく、恥ずかしいのですが――。
「俳句は客観世界の写生に徹するべきで、言葉に自身を委ねてはならない。」
とのお考えが難しくてよく分かりません。「言葉に自身を委ねる」とはどういう意味でしょうか。なぜ、そうしたルールが必要なのでしょうか。
ポインセチアの句を実際に作ったのは十一月頃です。
あまりにも実際の季節と隔たった兼題で申し訳ありません。