夕間暮れの句、解説の先入観無しで眺めた時は「梅の枝に咲いた花が、夕暮れになると星のように輝いて見える」といったようなイメージで受け取ってました。「梢や」で切れているので梅が焦点かなと思えば、解説を読んでなるほど。梅の花そのものが一番星の金星で「ともる」なのですね☆
繍眼児って、そう書くのですね φ(´・ω・`)メモメモ
作者からの返信
愛宕師匠、ありがとうございます!
どこまでも好意的に読んで下さる御厚意に感謝です。
そんなに誤解させない、もっと上手な詠み方があると思うのですよ。私のレベルではまだ届かないけれど。精進いたします。
岡本綺堂の「半七捕物帳」ではメジロは繍眼児でした(^_^)
編集済
菅原道真の歌はかっこいいですね。なんか中二病みたいで(笑)
何が良くて何が悪いかの(俳句の)区別がまだ分からないので、来冬さんの二番目の句と三番目の句の、出来の違いが分からないのですけれど、小説で言うところの、テンプレ作品とオリジナル作品の違いみたいなものでしょうか。
全体像が見えるのは三番目ですけど、動きが想像できるのは二番目……とか思ってしまったのですが、何度か読んだら三番目にも星の煌めきという動きが見えてきました☆彡
作者からの返信
悠木さん、ありがとうございます!
道真さん、いいでしょう? この後怨霊になって大騒ぎなんですよ(笑
>>何が良くて何が悪いかの(俳句の)区別がまだ分からないので、
実を言えばわたしにもさっぱり分かりません。こうして書きながら(ここが失敗だったかもな~)とアバウトに反省しています。
テンプレ(類句)はダメ、というのはよく言われますね。オリジナルな発想で勝負。悠木さん、俳句始めたら面白い句を作りそうですね(^_^)
確かに動きがあるのは二句目ですよね。要するにどちらもたいしたことない?
これは推論ですが、星と梅の取り合わせに評価をいただいたような気がします。
今回のエッセイ、どこで笑えば良いのかわからず心苦しいです(←絶対、何か勘違いしている)。エッセイ部分も俳句テーマの「一物仕立」ですね!「好きすぎて描けない」のは本当に悩ましい。思い入れが激しすぎて自分の言葉と癒着してしまう(自分の視野から離れられなくなってしまう)ことが友未にもよくあります。類型的なだけならまだましな方で、時間を置いて読み返してみた時、自己嫌悪で潰れそうになることもしばしばです。
作者からの返信
これ、「俳句スイッチ」を「爆笑スイッチ」に変えるべきでしょうか。
友未先生でもそんなことがお有りになるんですね。
それならわたしにも有って当然。(偉そうに)