十九年 十二月 「去年今年」

 またまた知らない言葉が出て来ました。俳句の醍醐味でしょうか。いや、筆者が無教養なだけですね。なんだ、去年今年こぞことしって。歳時記では「冬」ではなくて「新年」の部に載っています。「元旦の午前零時を境に去年から今年に移り変わること。年の行き来がすみやかなことへの感慨がこもる。」(「俳句歳時記」新年<角川書店編>より引用)

 つまりは、そこに脈々と受け継がれるものに思いを致せば、新年の慶びもまた深いものになる、ということでしょうか。それとも時の流れを当たり前なこととせず、滞りなき大宇宙の流転に感謝しようという壮大な慶びでしょうか。

 それで、こんな理屈っぽいので俳句を作れって言うのかい?(このような具体的なものや形がない季語を「時候の季語」といいます)



 去年今年煮豆の味は母譲り


 去年と今年で変わらないもの、なーんだ?……という解釈(なぞなぞだよ)で作句に挑んだわたしは(なにかが違う)意識に苛まれていました。有名な句に、高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」というのがありますが、今回くらい高浜虚子が憎いと思ったことはありません。棒って、なんじゃそりゃ。よけいにわからん。

 我がことと引き比べてみると、去年の正月と今年の正月で変わったことといえばお節料理の作り手でした。でも味は去年と同じまま(出来るだけ)です。――こんなのでいいのかな?(ボツでした)



 去年今年ブルーシートの屋根に雨


 年の暮れに大雨が降って、被災地では年内にその修理が終わらなかったとニュースで報道されていました。新年を迎えるというのに、どんなにお困りだろうかと心を痛めた気持ちを詠みました。最近、自然災害があきらかに増えて甚大化しています。あらためて被害に遭った方々を迅速に救う「自然災害救済法」のような法律を整備するべきだと思います。自衛隊は「災害救助隊」にして、各地に格安ホテル兼非常時の宿泊施設を作っておいたら少しは安心できそうに思います。ともあれボツ。



 ☆ 伊達巻きのレシピに付箋去年今年


 今回はお節料理シリーズです。毎年作るのに毎年忘れるので料理本の伊達巻きの頁には付箋が貼ってある、という句です。不思議なことに伊達巻きは季語ではありません。田作りとか黒豆とかお雑煮は季語なのに。何故でしょうね。この句が佳作だったのも謎。


 お正月といえば、元日、三が日に加えて、二日、三日、四日、五日、六日、七日はそれぞれ全部季語なんですよ。挑戦する気にはなれませんが。中国の古い慣わしでは、元旦から順に鶏、いぬ、猪、羊、牛、馬、人を当てて占いをしたりしたそうです。

                                  つづく

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