来冬さんの俳句が…!と知ってソワソワとお邪魔させていただきました。
「はじめに」にあった俳句もどれも素敵で、背景に美しい絵が浮かんで、素晴らしいな…と思っていたんですが、こちらの「新盆や籐の座椅子は祖父の席」にもやられました。
一分くらい無言で見つめました。
コメントを書こうとしてまた見つめたので、もっとですね。
表現されたことを小説で書くとしたらすごい文字数が要ると思うんですが、いやいや、そんなことをしてはならぬ、この俳句の形が最高ですよ。凄いなぁ…
そしてすっごく癒されました。
深くて潔くて、さっそく俳句の魅力を感じさせていただいています。
またお邪魔させてください!
作者からの返信
円堂さん、コメントありがとうございます。
下手の横好きなエッセイですが、読んでくださって感激です。
俳句は十七音の宇宙といいますが、殆どすべてを読者に委ねてしまうんですね。
「深くて潔くて」これ以上のお褒めの言葉はありません。
また見て頂けるかも知れないと思うだけで身が引き締まります。
ありがとうございます。
季語って季節の言葉だとは知ってましたが、いろいろあって奥が深いんですね。テレビとかでよくすんなりと詠まれていますが、みんな勉強しているんだろうなぁ。
「新盆や籐の座椅子は祖父の席」
籐椅子ではないのですが、私の亡き祖父もいつも座っていたソファーがあって、この句を読んだとき懐かしい気持ちになりました。
作者からの返信
はつかさん、コメントありがとうございます。
季語はね、薄めの国語辞典五冊分くらいありますよ(春夏秋冬・正月)
日本人の感性ってほんとうに繊細なんだなと思います。
雨でも風でも季節ごとに名付けているのですから。
この句で懐かしさを感じて頂けたら嬉しいです。
始めたばかりの頃なので、どれも下手で恥ずかしいです(>_<)
この句は覚えがあります☆
今思うと、盆と籐椅子の季重なりは、「新盆」で一度切れているのも効果があったんだなぁと感じます。籐椅子は祖父の指定席という季節を問わないアイテムへとイメージが変わっているし、新盆という初めての行事に籐椅子の温もりがまだ残っているような感じも伝わってきますね。
愛宕は「天地人」じゃなく、季重なりで指摘されたことあるわぁ(笑)
作者からの返信
愛宕師匠、コメントありがとうございます。
これは愛宕師匠も参戦してらした頃ですね。
そうか、「新盆や」と「や」の切れ字で切ったから良かったんですね。
「籐椅子の温もりがまだ残っている」は嬉しいです(^_^)
わたしも「今月のアドバイス」部屋に連れて行かれたことあります(笑)
俳句を書かれる方はよく「季語は作句に不自由ではなく自由を与えてくれるものだ」と言われるでしょう?
実際に書いてみて、確かに季語が十七文字の世界を拡げてくれることはしばしば実感します。ただ、「桜や月は夏に詠んだらいかんのかい」とか、「亜熱帯化の進むこの日ノ本でお盆がなんで秋なんじゃい」とか、「国際宇宙ステーションや火星で俳句は詠めんのかい」などと素直に首を傾げ続ける門外漢の友未なのでした。
でも、このエッセイ、盂蘭盆会の風習がローカル色満点で凄く楽しいです。それに、来冬さまのお茶目な人柄が嬉しくなりました。
さておき、「持つ手の先の暗さ」に座布団二枚です。
籐の座椅子は真実味に打たれました。いいですネ。
作者からの返信
友未さん、ありがとうございます。コメントが面白すぎて吹きました。
盂蘭盆会は知人友人に取材して書きました。本文では書ききれませんでしたが、青森の迎え火はキャンプファイヤーなみの篝火だそうです。
丁寧に読んでいただいて感激です。