鈴木の景品
紅月赤哉
鈴木の景品
俺は今、九人の鈴木を持っている。
十一月のある日の空は、灰色の雲に覆われていた。
学校に行くには陰鬱な朝を演出するその光景を補っているのは、空からやってくる白い雪だ。俺は結構雪が好きだから、まだ一日を乗り切ろうというやる気を保てている。
これが雹だったら、まず親に言われるまで学校に行こうとはしないだろう。雹は体に当たると痛いから。
初雪が終わって二回目の雪だからか、まだまだ水分を多く含んでいるようだ。降り続ける雪は俺のコートにべっとりと貼り付き、溶けるというサイクルを繰り返す。
そんな中を俺と九人の鈴木は歩いていた。
いつもの道を、いつもの時間に、いつもの隊列で歩く。
俺を先頭にして、他の人の邪魔にならないように鈴木達を二列で歩かせる。
いつもと違うのは昨日の夜から降り始めた雪のために、靴が少し重くなったこと。
そして、後ろの鈴木達の最後列に一人加わったことくらいだ。
後ろに居並ぶ鈴木達は、いつもの黒い学生服姿だ。二ヵ月半ほど前に初めて一人目の鈴木が現れたけれど、彼の制服はクリーニングに出すことも無いのに、傍目から見れば新品同様だ。雪が確かに体に付着しているはずなのに、濡れた形跡が全く無い。まあ、その程度のミステリーなんて鈴木の存在からしたら微々たる物だけれど。
「おーらーい! おーらーい!」
視線を転じると、ゴミ捨て場に鈴木専用のトラックが到着していた。今日はプラスチック容器とペットボトルの収集日。ごみとして置かれた鈴木の回収日でもある。どうして生身の鈴木がプラスチックごみで捨てられるのか、個人的には気になるところだったが、それも決まりだから特に何も言えない。
トラックから降りてきた人達の合間から、体育座りしている鈴木の姿が見えた。今日は三人捨てられたらしい。二人はちゃんとプラスチック容器をまとめているかごの中で体を寄せ合っていたが、一人は燃えるごみのかごに入っていた。分別が出来ない人はいつまでも減らないらしい。
「ちゃっちゃと持っていくべ~」
「りょーかい~」
あんまり気の無い返事をして、下っ端らしい人が鈴木を立ち上がらせた。三人は抵抗も無くトラックの荷台に乗せられる。
乗せられた鈴木のうち一人と目が合った。
眼鏡の奥にある、何の感情も見い出せない瞳。
頭頂部から顎までシャープな線を描く顔。
柔らかい印象を抱かせる口元。
各パーツの均整が取れた顔にはしかし、なんの感情も浮かんではいない。
去っていくトラックを見送って、俺は後ろに居並ぶ九人の鈴木を見た。
二列に並んだ彼らは、立ち止まっている俺の後ろにぴったりと『小さく前ならえ』をして立っていた。
同じ顔をした九人の鈴木。
あと一人で、二桁に到達する。
(十人目、か)
ぼんやりと考えながら、俺は学校へと歩みを再開した。
* * * * *
身長百七十五センチ。体重六十五キロ。
頭は全く色あせていない黒色の髪でぼっちゃん刈り。
眼鏡の下にあるのはほっそりとした美麗な顔で、ちょうどよい感じに開いた瞳に少し高めの鼻。口に含めばとろけそうに思える、肉付きの良い唇がある。
黒い学生服を身にまとい、胸には名札が付いていた。その名札には行書体で『鈴木』の文字。靴はスニーカーを履いている。
それが、鈴木だ。
名前は圭と言うらしい。本当かどうかは分からないが、噂によればそんな名前だった。
外見上は人間と全く変わらない。学生としてなら、一人くらいこんな男がいてもおかしくはないだろう。でも、鈴木と言う同じ顔の人間が何百人といるなら別だ。
一年程前に突如として日本だけに姿を現した彼ら――彼らと呼ぶのが正しいのかは分からないが――に最初、国民は混乱したようだった。でも、専門の研究機関とやらが調べた結果では特に害は無いということなので、今は一種のアクセサリーとして扱われるようになっている。
その格好良さから、女の子は鈴木に男物の服を着させて着飾っている。携帯ストラップと似たような物としか考えていないようだ。
「おはよう~」
「おはようさん」
俺はクラスメイトの声に答えながら窓際の自分の席に座った。九人の鈴木達はいつものように後ろの掃除用のロッカーの前に立たせる。昨日までは八人だったけれど、一人増えただけで九人以上の集団になったかのように思えた。
「おっ! とうとう王手か~田中ぁ」
「渡邊……お前は一人減ってるな」
天然パーマを片手でいじりながら、隣に座る渡邊が話し掛けてきた。傍には三人の鈴木がいる。昨日は確か、給食のコッペパンを残した時に一人増えていたのに、一日も経たないうちに減ってしまったらしい。
鈴木の出現、消失はランダムだ。
アイスの当たり棒にいきなり『鈴木』と書かれていて、何時の間にか傍らに出現していたり、福引でティッシュが当たったと思ったら鈴木だったりする。
後はなにかをしたりしなかったりすると出てくるけれど、規則性が全く無い。同じ事をしても、鈴木は二度目にはまず現れなかった。
「そうなんだよ……ほら、コッペパン残したら増えたからさ、家で酢豚の豚肉を残してみたんだ。そしたら消えちまったんだ。本当、気まぐれだよ」
渡邊は机の周囲に立つ鈴木を睨みつけ、悪態を吐き始める。
一人でいるならば気にならないけれど、鈴木と比べて渡邊の顔はお世辞にも整っているとは言えない。クラスメイトもその点は気づいているけれど、何とか心の中に笑いを押し
隠している。渡邊は俺達の思いには気づいていないだろうが、無意識に鈴木に対して敵意を抱いているんだろう。渡邊の言葉には完璧な悪意が潜んでいた。
渡邊の文句を、鈴木達は無表情のままに聞いている。ひとしきり文句を言い終えると満足したのか、渡邊は少しえらそうな態度を取った。偉そうと言っても、えへんと咳払いをして足を組む程度だが。
「鈴木一号。肩を揉んでくれ」
渡邊の言葉に従って、鈴木一号――最初に渡邊に付いた鈴木が肩を揉みだした。鈴木は簡単なことなら言われたらすぐにやってくれる。料理を作るとかは出来ないけれど、野菜の皮を剥くとかならば出来るようだ。でも俺は渡邊のように鈴木を顎で使うことは見ていて嫌だった。
まるで、奴隷みたいで。
俺が嫌な顔をしているのを見たのか、渡邊が鼻を鳴らして言ってくる。
「なんだよ、田中。やってくれるんだからいいじゃんかよ。聞いたりする能力あるんだから嫌なら嫌と言えばいいんだよ、鈴木は」
「そうなんだろうけどな」
嫌なら嫌と言えばいい。言わないなら……きっと苦じゃない。
渡邊にとっては当然の理屈らしい。
――本当に、そうだろうか?
「そういえば、先週まで隣のクラスの高橋も九人集めてたよな~。結局、全部消えちまったけど」
「鈴木は気まぐれだから仕方が無いよ」
渡邊の言葉で心の中によぎった疑問が消え去り、言葉を返しているうちにチャイムが鳴った。鳴り終ると同時に先生がホームルームのために入ってくる。クラスメイトはいつしか全員集まっていて、後ろには鈴木がたくさん並んでいる。誰の鈴木かは良く分からないが、同じ顔が二十人ほど並んでいた。
「また増えてるな、鈴木は……」
先生のため息は、本当にうんざりしているように聞こえた。先生の傍らに立つ二人の鈴木は相変わらず無表情だった。
* * * * *
『鈴木が十人集まったら、景品が当たるらしい』
そんな話が出てきたのは、鈴木が確認されてから三ヶ月ほど経ってからだ。噂の出所は分からない。でも、いつしかその噂は全国に広がっていた。広がるスピードは半端じゃなかったようで、一時期は噂の出所を捜すという特別番組が組まれたほどだった。
噂が流れる前までは、それまでの調査で鈴木には特に害はないということ、所有の意思が無ければすぐに消え去ること、一度所有してもごみとして処理できること、簡単な家事は手伝ってくれることが分かっていたから、主に主婦層が家事手伝いとして重宝する程度だった。
でも不思議な噂が流れ始めた頃から、若者達の間で『鈴木ブーム』が起こる。
得体の知れない鈴木から、何かを手に入れることが出来るかもしれないという欲求がブームに火をつけたと専門家は言っているらしいが、俺から言わせればただ単に暇な奴が暇つぶしを始めたとしか思えなかった。
鈴木を手に入れるためにいろいろなことをする若者が増え、ニュースでどうすれば鈴木が出やすいかを報道すればそれに流された。鈴木攻略本が出回り、鈴木探偵社が発足するなど鈴木関係は一大市場にまで発展したのだった。
一年ほど経ってブームは沈静化し、しかし高水準で安定している。
でも、俺の中学ではまだまだ鈴木の浸透率は低い。田舎と言うこともあるんだろうけれど、集めると場所や食費がかさむのを渋る人が多いらしい。
「食事がプロテインだけとはいえ、九人もなるとかなりの出費だよね~」
給食の時間は男子四人一組になって食事をする。
俺は渡邊に山田、そして佐藤と机を繋げて食べていた。目の前に座る佐藤が好物のフルーツババロアを一気に平らげて、口の周りに付いているババロアを取らないままに言う。佐藤は元から集める気は無いらしく、あまり鈴木については知らないらしい。中学二年にしては童顔な顔には好奇心が溢れていた。
佐藤の視線に沿って俺達全員、教室の後ろに立って食事をとっている鈴木達を見る。
プロテインのチューブを吸っている、総勢二十人の鈴木。
一日三食をプロテインで補う彼らは、しかし筋肉質になることも無い。マッチョな奴らが九人も傍にいたら暑苦しくてたまらないから、俺としては助かっている。
「おかげで今月発売の『紅』のベストアルバム買えなくなった」
佐藤に対して答える自分の声が少し沈んでいることには気づいていた。
でも好きなグループの曲を聴けないことよりも、鈴木達を飢えさせるのが嫌だった。
ちなみにプロテインを与えなかったら、集めた鈴木は全員次の日には消えるらしい。
「なんにせよ、田中! お前には期待してるぞ~。今まで九人まで集めた人はいたけど、必ず振り出しに戻ってたからな」
「最初の一人になるって凄いよね~」
渡邊と佐藤が俺を励まそうとしているのか笑って言ってくる。誰もが集められてないんだから、俺が集められるわけないだろうに。
「意外と集めようと思ってないほうが集められるかもな」
沈みそうになる気持ちをすくい取ってくれたのは、隣に座る山田だった。大きな体に似合う深みのある言葉は、友達の中でも癒し系の称号を得るほど効果的だ。眼鏡の奥の目が、笑みを浮かべたことで頬の肉に押しつぶされている。
山田の言葉に、俺は気が楽になった。どうやら無意識にプレッシャーを感じていたらしい。別に集められなくてもいいとは思っていたのに。
「まあ頑張るよ」
当り障りない言葉で会話を終わらせて、俺は鈴木達を見ていた。
チューブを吸う鈴木達は、やっぱり無表情だった。
学校からの帰り道。
雪はすぐに止んだけれども、俺の思考は止まることはない。
考えるのは鈴木達のことだった。
確かに、鈴木を集めだした頃は、周りの友達と同じように十人集めきった時に何を貰えるのか、何が起こるのかを想像したりして楽しんだものだ。でも、日を追うごとに自分の中に変化が生まれるのを俺は感じずにはいられなかった。
一人、二人と増えていった鈴木。
プロテインを音を立てて吸っていた鈴木。
布団に寝て、朝起きたらいつの間にか布団の中に入っていて、なんともいえない暖かさを俺の体に運んでくれた鈴木。
二ヶ月半の間に過ごした、鈴木との記憶が鮮明に甦る。
振り返ってみると、それは奇妙だけれどどこかほっとする物だった。大半の人は鈴木を物のように扱っていたけれど、俺はいつしか一人の人間として、鈴木達一人一人を見るようになっていた。それは、彼らが無表情で、何も言わずに俺を見つめ続けてくれることに
安心感を得ていたからかもしれない。はっきりと理由は分からないけれど。
鈴木達と過ごす記憶は、十人集めた時には終わってしまうのだろうか?
それとも何かをもらえるだけで、これからも増え続けるんだろうか?
そんな事を考えながら、雪溶け水を跳ねないようにゆっくりと道を歩く。
車が通らない道の真ん中を、俺と九人の鈴木が行進する。
学校帰りの時間帯なのに、今は俺しか……俺と鈴木達しかいない。
それがまた、どこか寂しさを俺の中に生み出していた。
(いつまで、お前らはいるんだろうな?)
心の中で語りかけることで、鈴木の鉄面皮に変化が生まれるように見える。
実際にはぴくりとも動かない面の皮が見えた。
「お前等は、どうして、いるんだろう?」
立ち止まり、すぐ後ろを歩いていた鈴木の顔に手を伸ばす。二ヵ月半一緒にいて、考えてみれば初めて肌に触れた。見ているだけで分かるきめ細やかな肌は触れると冷たく、しかし柔らかかった。ゆっくりとさすると、その心地よさに体が震えた。
(気持ちいい……)
そのまま陶酔しそうになった時、少し離れたところで物音がした。
ぼんやりとした意識をはっきりとさせるために頭を振って、周囲を見渡す。
音の出所はすぐに見つかった。俺がいた場所から少し歩いたところにある横道から、三人の男が出てくる。顔はにやけていて、ちょうどいいストレス発散をした、という顔だ。俺のいるほうには駆けて来なかったから助かった。九人の鈴木を引き連れた俺を見て、何か暴力をしかけてこないとも限らない。
男達がいなくなったことを確認して歩き出す。
徐々に早くなる動悸。注意を前に向けていたために、水溜りに足を入れてしまって、泥水が跳ねる。足首から広がる冷たさと、胸から広がる暖かさとが俺の中で混ざりあう。
角を曲がって見えたのは、横たわる鈴木の姿だった。
「…………」
何も言えずに、ただ近づく。
ただ近づいて、ただ鈴木の前にしゃがみこむ。
鈴木は綺麗な顔をしていた。殴られた形跡などどこにも無い。でも、道路の泥水が体中に付いていて、ここで何があったのかを把握するのには十分すぎた。
鈴木は何も言わない。
鈴木は逆らわない。
そんな鈴木達を自分らの憂さ晴らしに使う輩が最近増えているのは、ニュースでもやっていたから知ってはいた。でも、実際に見るのは初めてだった。
倒れている状態でも鈴木はまっすぐ前を向いている。
前だけを、見ている。
その瞳で。
刹那、鼻の奥が冷えてきたかと思ったら、目から熱い涙が流れていた。堪えるための抵抗さえも出来ず、鈴木を見て湧き上がった激情が体の外へと噴き出していく。
「う……え……」
嗚咽が出始めると、流れ出る感情はすぐに収束していく。短い間に一気に流れきった感情の余波で体の力が抜けてしまうけれど、道路に座り込むことを何とか防ぐ。
ニュースでは、鈴木に暴行を加えることで少年犯罪が減少傾向にあると言っていた。
それがめでたい事だとニュースキャスターは言っていた。
でも俺はそのニュースを見ていて、『もっと鈴木に八つ当たりをしろ』と言っているようにしか思えなかった。事実、言っているんだろう。
どうして簡単に何かを傷つけろと言えるのだろうか?
確かに鈴木は人間とは思えない。突然現れたり消えたり。そもそも同じ顔が何百人といるわけがない。最初の頃に出ていた宇宙人説はいつの間にか消えてしまっていたけれど、
それが一番妥当な答えだと、今でも俺は思ってる。
でも、鈴木は俺達と同じ姿をしているじゃないか。
宇宙人だろうと他の何だろうと、俺達と同じ姿をしている鈴木へとどうして簡単に暴力を振るえるんだろう?
それは結局、人間に暴力を振るうことと大差ないんじゃないだろうか。暴力の矛先が鈴木に向けられているだけで、根本的な解決法をろくに報道しないまま、ニュースキャスターは嬉々として語り続けるんだ。
『少年犯罪は減少傾向にあります……良い傾向ですね』と。
俺は倒れている鈴木に、ようやく手を差し伸べた。でも、手が触れた瞬間に鈴木は光の粒子となって消え去った。空へと舞い上がっていく鈴木の欠片。そんな消え方は初めて見たから、俺は呆然としてしまう。
全ての欠片が消えてしまうと、再びむなしさが胸に広がる。
捨てられた鈴木の新しい主になることは出来ない。
あくまで、自分が何かをして、新たな鈴木を手に入れなければならない。
今の俺なら捨てられている鈴木を全員保護するだろうに……。
と、そこで俺の鈴木達がいつの間にか周りに立っていることに気づいた。今までは俺の後ろに並んでいたはずなのに、今は倒れていた鈴木が消えた場所と俺を取り囲んでいる。その目は相変わらず何も映してはおらず、顔には何の感情も浮かんではいない。
でも――
(悲しんで、いる?)
俺は鈴木の表情に何か、今までとは違う物を感じていた。
視線の向く先には消え去った鈴木が最後にいた場所。何も映ってはいないだろうと思っていた目は今、はっきりとその場所に焦点を合わせている。
(分かるのか……やっぱり)
鈴木は人の言葉を理解できる。
何も言わなくても、何かを語っているのかもしれない。
もしかしたら渡邊に奴隷扱いされるのも嫌なのかもしれない。
仲間が暴力を振るわれることに心を痛めているのかもしれない。
「そうなのかもな」
俺は立ち上がって一人一人の顔を見た。
全て同じ顔だったけれど、今の俺ならば些細な違いを見抜けるような気がした。
一人、二人、三人と数えていく。
そして……十人目が、そこにいた。
「十、人目?」
十人目の鈴木は横道の入り口に立っていた。
徐々にこちらに近づいてくる彼は、他の九人の鈴木とは違う雰囲気をかもし出している。
十人目の鈴木に向けて、他の九人の鈴木が歩き出す。
一人、また一人と十人目に触れると消え去って、十人目の体が光で包まれていった。
ゆっくりと近づいてくる鈴木を見ていると、どこか熱に浮かされたようにぼんやりとしてきた。体と心が分離していくような感覚だ。
やがて十人目の鈴木は俺が持っていた鈴木達全員と一つになり、俺の前で立ち止まった。
十人が一つとなった鈴木。
十人の、鈴木。
そっと伸ばされる手を、俺はただ見つめる。そこで初めて、俺は自分が動けなくなっていることに気づいた。
(え……?)
そして鈴木の顔には笑みが浮かんでいた。
今までずっと無表情だった鈴木。
美男子だから、きっと笑ったら感じのいい笑顔になるだろうと思っていた。
でも、その顔はけして感じが良い笑顔ではなかった。
形の良い顔を完全に崩して、唇は耳のほうまで釣り上がり、目は細められている。心の底から嬉しいのだろう。でもそこから溢れる気配は……『嘲笑』だった。
俺をあざ笑っている。
馬鹿な人間を見下すように、俺を見ている。
心の底から、俺を笑っていた。
(あ……あ……)
おぞましさと恐怖。
二つの感情に挟まれて、俺は意識を失った。
* * * * *
「おっはよーさん~」
渡邊は楽しそうにクラスメイトに挨拶をしながら、四人の鈴木を連れて教室入る。前日は三人だったのに、一人増えていた。自分の席に立ち止まり、後ろに並ぶ鈴木を見て満足げに頷くと、ようやく席に座る。
「田中~。残念だったな。一気に九人消えちまって」
「仕方が無いよ。やっぱり難しいんだ」
『俺』はにこやかに笑って肯定した。後ろに並んでいた鈴木は一人もいなくなっている。寂しげに後ろを見ているけれど、さほど悲しそうにも見えなかった。
「そうだ、鈴木四号。足を揉んでくれい~」
渡邊に言われて、俺は膝立ちになると渡邊のふくらはぎを揉み始めた。
――鈴木として。
昨日意識を失ってから、気づけば俺は渡邊の後ろにいた。何かを言おうとしたけれど、口を開くことが出来ない。混乱する頭をようやく整理したら、どうやら俺が鈴木になっていたことを理解した。
どうしてこんなことになったのか疑問に思うことはあっても、何かを感じることはない。
ただ、『俺は鈴木になった』という事実をそのまま受け入れてしまう。
渡邊の家でもいろいろとこき使われたけれど、怒りとか悲しみとかいった感情を感じることは無かった。
鈴木になってようやく分かったことがいくつかあった。
鈴木には触覚がないこと、何らかの感情が起こるけれど、それは形をなさずにすぐ消えていくこと、どんなことでも事実としてそのまま受け入れること。
そして……鈴木は十人集まった時、集めた人間と入れ替わるということ。
それが、鈴木だったんだ。
鈴木達は確かに何も感情がないということはなかったらしい。彼らは確かに感情を持っていた。もし何も持っていないなら、渡邊と話している田中――俺になり代わった鈴木が笑ったりするはずがない。
「それにしても、何なんだろうな? 鈴木の景品って」
「きっと最初に貰った人はテレビに引っ張りだこだな」
渡邊と、俺に成り代わった鈴木が言葉を交わして笑いあう。俺はようやく気づいていた。
鈴木の景品。
……鈴木を十人集めることで貰える物が。
『鈴木が十人集まったら、景品が当たるらしい』という言葉に付け加えられる言葉を、今の俺は知っている。
『鈴木が十人集まったら、景品が当たるらしい。集まった鈴木に』
全部人間が勝手に思っていただけで、実は全く見当違いだったんだ。
俺達の側から見れば『鈴木を集めていた』けれど、鈴木の側から見れば『人間に集まっていた』んだろう。適当に出現と消失のルールを決めて、運良く集まった鈴木にはもれなく景品をプレゼント。
鈴木主催の運試しゲーム。
どうやらそのゲームに、人間は巻き込まれてしまったらしい。それが本当かは分からないけれど、もしかしたら分かる時が来るかもしれない。
人間全員が鈴木に取って代わられた、その時に。
その時に俺達がどうなっているか分からないけれど。
「鈴木四号。肩を揉んでくれ~」
両足を揉みほぐした俺は、言われた通りに肩揉みを始める。
肩揉みをしていても視界はあまり下がらないから、視線の先にいた田中が見えた。
渡邊の言う通りにしている俺を見て笑っている。
その顔は、俺だったなら絶対にしないもの。
その顔は、俺には多分、もう出来ないものだった。
* * * * *
身長百七十五センチ。体重六十五キロ。
頭は全く色あせていない黒色の髪でぼっちゃん刈り。
眼鏡の下にあるのはほっそりとした美麗な顔で、ちょうどよい感じに開いた瞳に少し高めの鼻。口に含めばとろけそうに思える、肉付きの良い唇がある。
黒い学生服を身にまとい、胸には名札が付いていた。その名札には行書体で『鈴木』の文字。靴はスニーカーを履いている。
それが、俺だ。
『鈴木の景品・完』
鈴木の景品 紅月赤哉 @akatuki206
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