あとがき。

 というわけで、あとがきです。

 読んでくださった方はありがとう。まだ読んでいない方はどうか読んでください。


 いや、その前に、もしも「超獣大陸氏の『柳生十兵衛 心眼の太刀』をまだ読んでいない」のにこの文章を読んでいるという不届き者の方は、悪いことは言わないので今すぐ「心眼の太刀」を読んでください。


 というか、読め。

 死んでも、読め。


 あれ、超面白いから。すごいから。


 まあ、最悪、自分の小説などは読まなくてもよいので(読んでほしいが)、「心眼の太刀」だけは是非とも読んでください。


 というか本作を読んだあとに「心眼の太刀」を読むとかなりのレベルでネタバレを受けるので、「心眼の太刀」を読む前にこの文章を読んでいる人はかなり危険です。


 読んで、どうか驚いてください。


 いいですか? 読みましたか?

 ……はい、全員読みましたね。


 というわけで、ここからは全員どちらも読んだものとして話を進めます。


 ここまで読まれた方ならば既にご存知のことかと思われますが、本作は超獣大陸氏の「柳生十兵衛 心眼の太刀」の続編です。原作者のご厚意により、続編を書く許可をいただきました。

 そもそも自分が何故「心眼の太刀」の続編を書こうと思ったのかというと、


かんにょ「心眼の太刀超おもしれー! 続き書いてよ!」

超獣大陸「無理。つか、これ続きどうすんだよ」


 という氏とのやりとりがございまして。


 つまり――、


① ほんとは原作者の新作が読みたいんだお…

② でも原作者が書いてくれないんだお…

③ だから自分で書くお!


 ……という「おまえは何を言っているんだ 」な論理で書き始めたのが本作なわけであります。本当はやる夫のAAを貼りたかったんですが自粛。


 しかし、一口に続きを書くにしても「心眼の太刀」は


 柳生十兵衛 VS 宍戸梅軒(息子)


 という、ある種の剣豪ファンの夢の対決ドリーム・マッチを描いてしまっていたので、できれば続編もそれに匹敵する対決を出したい、と思っていました。


 そこで心眼の太刀を読みながら何の気なく日本地図を眺めていると、


「待てよ……この時点で鈴鹿山を降りているってことは、次は伊賀上野を通るな」


 そう――そして、剣豪小説ファンにとって伊賀と言えば、やはり荒木又右衛門の「鍵屋の辻の決闘」でしょう。


 もちろん、「柳生十兵衛 VS 荒木又右衛門」というモチーフ自体は既に山田風太郎の「魔界転生」などで魅力的に描かれています。


 しかし、鍵屋の決闘以前のまだ無名だった頃の荒木又右衛門との対決という切り口で書けば、山風版とはまた違った戦いが描けるのではないか、というのが、本作の基本的な目標でした。


 それにしても、実際に小説を書いてみると氏の作品との彼我の差が見えてくると言いましょうか――書けば書くほど自分の力量不足を痛感し、ようやく本作が完成した頃にはヘトヘトになっていたというのが正直なところです。


 すなわち――、


超獣大陸「―――ついてこれるか」

かんにょ「贋作が本物に劣ると誰が決めた。ついて来れるか、じゃねえ。てめえの方こそ、ついてきやがれ――――!」


 などというやりとりはもちろん自分の妄想ですが、しかしかの石川賢先生がおっしゃったように「原作にプラスαの何か、読者を驚かすような何かを入れないと、原作には勝てない」わけでして(byコミック版「魔界転生」)(ドワォ)。


 バトル描写では絶対に氏に勝てない以上、なんとか原作とは別の魅力を出せないか、ということは、一応は考えていました。うん、一応。


 ……まあ、それが成功しているとは限りませんが(遠い目)。


 気がついたら二次創作なのにオリジナルより長くなっていたのはツッコミ待ちだぞっ!(やたら長い地の文)(でも五味康祐先生に比べたら……)


 閑話休題。


 さて、本作の敵役たる荒木又右衛門の前半生は謎に包まれています。


 まず荒木又右衛門は出生年もよくわかっておらず、本文中では慶長三年説を採用しましたが、一方で慶長四年説もあり、はっきりしません。 


 また、荒木又右衛門は養父の服部平兵衛から中条流を、叔父の山田幸兵衛から神道流を習ったといされています。


 ですが、一方で『柳荒美談』(これは国会図書館デジタルコレクションなどで読むことができます)などで語られる巷間の説では、荒木又右衛門は柳生新陰流の剣士で、柳生十兵衛、または石舟斎や宗矩の弟子であったとされているのです。


 しかし、本文中でも述べた通り荒木又右衛門は柳生十兵衛より九歳も年上であるため十兵衛が師事したというのには無理がありますし、石舟斎に師事したとすれば最晩年の弟子で、又右衛門が六歳の時に師匠を亡くしたことになります。


 したがって宗矩に師事したと考えるのが一番年齢的に違和感がありませんが、しかし宗矩は将軍家の兵法指南役である関係上、ずっと江戸住まいであったはずです。


 荒木又右衛門が柳生道場に通うために江戸に言ったという記録がない以上、荒木又右衛門が柳生一門の弟子であったとするのは無理があるだろう、というのが定説のようです。


 ――では、なぜ、このような俗説が生まれたのでしょうか?


 荒木又右衛門は二十八歳の頃に本多家を離れて牢人となり、故郷の伊賀に戻ったとされています。この理由もわかっていません。


 また、伊賀国に生まれた服部姓であったことから、荒木又右衛門は実は忍者だったのではないか、という俗説もあります。


 これらの荒木自身の謎に加えて、柳生宗冬と柳生宗矩の「長尺の竹刀」に関する有名な逸話、そして、大阪の陣に散った三代服部半蔵とは何者だったのか――?


 本作はこの謎から出発して、荒木又右衛門の謎に包まれた前半生に、自分なりの解釈を与えてみました。と、いえば聞こえはいいですが、要するになんとなく辻褄があっている風の真っ赤な大嘘を拵えた、というわけです。


 超獣大陸氏が「心眼の太刀」において、「十兵衛致仕の謎」「隻眼の謎」という史実上の謎から驚くべき物語を描き出したように、時代伝奇小説の魅力とは、歴史に虚構という名の光を浴びせることで、「もうひとつの歴史」を浮かび上がらせることにあると思います。即ち某作家の言うならく伝奇ラブ!


 本作で提示した回答が、氏の作品と同じように「もしかしたら」という歴史の虚構ユメを描き出せていたなら、書き手としてこれほど嬉しいことはないのですが……。


 本作は、超獣大陸氏の「柳生十兵衛 心眼の太刀」が吉川英治「宮本武蔵」への多大なる敬意オマージュが込められた作品であるのと同様に、先人の積み上げてきた時代小説、剣豪小説の積み重ねがあって初めて書くことができた小説です。


 たとえば沢庵宗彭、木村助九郎といった脇役の登場は、山田風太郎「柳生忍法帖」「魔界転生」の影響が色濃いですし、柳生友矩、柳生宗冬、柳生五郎衛門といった名前は、隆慶一郎「柳生非情剣」を読んでいる方なら馴染み深い名前でしょう。


 また最後の決め手となった「離剣の剣」は山田風太郎「柳生十兵衛死す」において本作とは違った形で登場します。


 これらの作品もとても面白い作品ばかりなので、柳生十兵衛と柳生一族に興味を持った方は是非読んでください。というか読め。今すぐ買って読め。


 最後に、超獣大陸氏の「心眼の太刀」を受ける形で始めた柳生十兵衛の物語は、まだまだ書きたい題材がたくさんあります。


 まだプロットと呼べる段階にすらない断片的なアイディアばかりですが、いつか次なる続編を書いてみたい、と思っております(完成しないフラグ)。


《主要参考文献》


「兵法家伝書 付 新陰流兵法目録事」 柳生宗矩/渡辺一郎校注 岩波文庫

「不動智神妙録」 沢庵/池田諭訳 徳間書店

「五輪書」 宮本武蔵/鎌田茂雄訳 講談社学術文庫

「定本 大和柳生一族」 今村嘉雄 新人物往来社

「柳生遺聞」 今村嘉雄 エルム

「武術双書」 名著刊行会

「家光はなぜ『鎖国』をしたのか」 山本博文 河出文庫


※この物語はフィクションです。実在の歴史上の人物、江戸時代、柳生一族、柳生新陰流などとは一切関係がありません。

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柳生十兵衛 我流・新陰流 かんにょ @kannyo0628

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