5 皆で食べよう
そろそろ夕食の準備をしようと小屋に戻ったときだ。洗濯物はすでに取り込まれていた。いつもは黒竜が洗ったあとに少女と二人で入れていたが、最近は一人で何かをやりたがる。自立心が芽生えてきているのだろう。
「しー兄」
「カナラ、洗濯物をいれてくれたのか」
黒竜なら褒めるだろう。兄としても褒めたほうがいいと頭ではわかっているが、今はそんなことをしなくていい、まだ早いと出そうになった否定を飲み込んだ。
純粋な少女に比べ、自分の感情は酷く汚い。
少女は夕食の食材を貯蔵室からすでに運んでいた。塩漬けにした羊肉は、今朝、黒竜が塩漬け用の樽の中で揉み返していた。長期保存できるのはいいが、いちいち面倒をみなくてはならない。夏場に冷却の魔法を使ってはみたものの、高価な鉱物でない限り、気分屋の精霊は精霊石から出て行ってしまう。缶詰というあらかじめ保存された食料があるそうだが、大きな町や都にでも行かなければ、入手は難しいだろう。
少女は浮かない顔だ。少年が怒っていると思っているのだろう。調理場でもある平炉の暖炉前でこちらの様子を窺っていた。
「カナラ、さっきは」
「ごめんなさい」
足早に近づいた少女に、紙袋を押しつけられた。
「それから、おめでとう」
状況が飲み込めないまま、少年は受け取る。中を見ると缶が入っていた。それは見覚えのあるお菓子のラベルだ。
いつの日か、少年に幸福を与えたビスケット。
「カナラ、これ」
「今日、しー兄の誕生日だよ」
ぽかんとしていると、少女は唇を尖らせた。
「やっぱり忘れてた」
明確にいえば自分の誕生日は知らない。少年が黒竜の弟子になった日と少女に話しているが、本当は『シスイ』になった日だ。
今日は、少女に名前をもらった日。
「ありがとう、カナラ」
どこで入手したかと聞けば、年末、村に先生と買い物に行ったときにこっそり買ったとはにかんだ。
ビスケットが好物だと話した記憶はない。たまたまだったのか、いつの間にか気づかれたのかは知らない。ただ、ほんのりと湧き上がった感情は、どこか懐かしくて苦くて、視界が滲みそうになった。
「あ、あのね。しー兄も大きくなるんだよ。私より大きいけど、しー兄も大人になるの。大人になったら、やりたいことができるんでしょう。私、しー兄と先生が大好きで、大好きだから、大人になったらお金を稼いでちゃんとお返ししたい」
「あのなぁ、カナラ」
そういうのはまだ考えなくていい。いつものように止めてしまいそうになるのを堪えた。
「しー兄は大人になったら、どうしたいか知りたかったの」
いつだったか、夢はあるかと尋ねられた。
「俺は」
「うん」
「昔、竜になりたかった」
「竜?」
無知な飢えた子どもだった頃、大人たちの会話から竜の話を耳にした。
竜は巨大な幻獣で、天災を起こす力を持ち、空を自由に飛べるらしい。それは少年が欲しかったものだった。竜だったら一方的な暴力を受けず、食べ物にも困らず、遠いところへ飛んで行ける。天災を起こすほどの力があったら、誰も少年を蔑まないはずだ。
「馬鹿みたいだろ」
なれもしないものに憧れて、なったのは複数の生物を組み合わせた合成獣だった。
「竜って格好いい!」
苦笑したシスイの目に飛びこんできたのは、満面の笑顔の少女だった。
「初めて絵本で読んだときは、竜の姿はちょっと怖かったけれど、優しい心があるって知ってる! それに、空を飛べるっていいよね。私も飛びたい!」
馬鹿にするどころか賛同されてしまった。嬉しいのに泣きたいような感情が混ざり合い、笑っているようで堪えているような表情になってしまった。
「しー兄を悪い竜だって言う人がいたら、私が守るからね!」
少女は出会ったときから変わっていない。自分よりも無力なのに、守るどころか守られてばかりだ。
「あぁ、ありがとう」
だが、竜になりたかったのは昔の話だ。
少年はビスケットの缶を開け、一枚、少女に差し出した。
「これはしー兄が食べるものだよ?」
今の少年に、叶えたい夢があるなら。
それは、ずっとここに三人でいることだ。
だけど、甘いビスケットの幸福は長くは続かない。
「これをカナラと先生で食べたいんだ」
あの日、二本足から受け取った缶いっぱいのビスケットが一枚になったとき、少年は衝撃を受けた。おいしいものはすぐになくなってしまう。ずっとはない。いつか必ず終わりがくる。
この一枚が増えたらよかったのに。
その願いは、叶わない。
「皆で食べよう」
けれど、今はその幸福を、大切な家族と分け合える時間がある。
きっとそれは、なによりも贅沢な話なのだろう。
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