最後のビスケットが一枚増えたら

1 君に夢はあるか?

 その子どもは、自分が誰なのか覚えていなかった。

 目を覚ますと、二本足の生き物たちが自分を見下ろしていた。その生き物と比べ、子どもは四本足だった。爬虫類のような緑の鱗に覆われている脚に疑問を抱いた。自分の体は、元々四本足ではなかったような気がしたからだ。取り囲む彼らと同じ、二本足で立って歩いていたような覚えがあった。

 体が気だるく瞼が重い。石壁の部屋は薄暗く、湿った匂いがした。二本足たちの体臭が鼻に届く。それぞれ異なる匂いを嗅ぎながら、自分の嗅覚が鋭くなったのだと理解した。二本足たちは口から音を発していたが、子どもにとってその音は大きかった。ぐわんぐわんと頭の中で反響する。振り払うように頭を振ると、自分の耳が垂れ耳になっていることに気づいた。二本足とは違う犬に似た耳に驚いたが、だから聴覚も鋭くなったのかと不思議と納得できた。

 声を発しようとしたところ、喉に何か引っかかったような異物感があった。ようやく咳が出たかと思えば、獣のような声になっていた。振り返ると縞模様の胴体が首から繋がっている。お尻には、先端に毛が生えたひょろりと長い尻尾があった。

 自分の体に尻尾なんてあっただろうか。子どもは立ち上がり、尻尾を間近で見ようとしたが、ぐるぐる一周してしまった。

「おめでとう」

 二本足の一人が子どもに近づき、目線を合わせてきた。先程、二本足が発していた音は人の言葉だと思い出した。子どもも使えたはずなのに、今は獣の声しかでてこない。代わりに意思を表現する体の部位を探していたら、尻尾を動かせた。ぱたんと尻尾を叩いてみる。二本足は満足そうに笑った気がした。

「よく頑張った」

 目の前に丸いものを差し出された。それは子どもの大好物だった。甘くてさくさくした焼き菓子、ビスケット。

「君の夢が叶ったんだ」

 ビスケットをくれるから、痛くても苦しくても耐えられた。甘いお菓子は子どもにとって薬のようなものだった。

 子どもが人間でなくなる前は、酷く飢えていた。

 子どもには家がなければ親もいなかった。体が動かないときは丸一日寝て過ごした。食べられそうなものはなんでも口に入れ、お腹を壊したこともあった。全ては生きるためだ。盗みに手を染めたことがあったが、子どもに罪悪感はなかった。

 いつものように食べ物を探し歩いていると、精霊石に似たような複数の色が混ざった種を見つけた。食べるのを躊躇ったが、売り物にもならないと判断して飲み込んだ。

 それから数日後、あの二本足が現れた。

「君に夢はあるか?」

 二本足にビスケットの缶を渡された。缶いっぱいに詰められたビスケットを、子どもは夢中になって貪った。口の中に甘い味が広がる経験は初めてだった。

 毎日を生きるのに必死だった子どもには、夢というものが何かわからなかった。ビスケットを頬張った顔で首を振ると、二本足は質問を変えた。

「何かなりたいものはあるか?」

 子どもは目を輝かせた。

 それは

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