3 来年もまた来ようね

 蜂蜜キャンディが入った瓶を抱えて歩く私に、心配性の先生は何度も持とうかと尋ねてきた。そのたびに私は頑なに首を振った。

「兎肉以外に、兎の毛皮も売ってくれるとはなぁ」

 指定された鹿肉以外をちゃっかり買っている先生に、反省の色はない。「節約という言葉を先生に飲ませたい」とぼやく、しー兄の淀んだ目が浮かんだ。

「あとは卵か。できれば鶏肉も欲しい。こういうときこそ、肉をたくさん食べたほうがカナラにいいはずだ。育ち盛りだからね。僕より大きくなったらちょっと寂しいけど。あぁ、できれば鶏を飼いたい。でも、シスイはこれ以上はカナラと世話できないって言うもんなぁ。家事も任せきりで魔法生物の世話もしているから仕方ないか。そうだ。いっそ、魔法生物を食べるというのはどうだろう。鉱物が生えている彼らはおいしそうに見えないけど、食べてみると意外といけるかもしれない。鍵ネズミはどうだろう。もしくはホタル魚か。その前に魔法を使用される可能性が高いな。彼らには知能がある。常に精霊を集めているから先手を打って」

「先生」

 これは先生の癖だ。思考に没頭すると呟きながらふらふら歩いてしまう。先生と森を散歩していたらいつの間にかいなくなってしまい、しー兄と捜したこともあった。夢中になると目の前が見えなくなってしまう人だ。違う方向に行こうとする先生の外套を引っ張る。こういうときは、注意を逸らすのだ。

「なんだい、カナラ。鍵ネズミは焼いたほうがいいかな」

「焼いたらだめだよ」

 そもそも魔法生物を食べたらいけない。腹痛でのた打ち回った挙げ句、鉱物を吐き続ける奇病にかかる。そういう報告があったとしー兄が話していたから、どこかの誰かが食べたのだろう。味がわりと美味だったというのが皮肉な話である。

「毒があるなら、それを取り除いたらいけると思うんだ」

 ぼんやりとした表情で答える先生は、私を見ているようで見ていない。

「ねぇ、先生。さっきのお店の人」

 先程、強面の店主がいた店を振り返る。先生もようやくそちらに目を向けてくれた。外套の袖を引っ張って引き寄せる。腰を屈めた先生の耳元で、声を潜めて内緒話をした。

「盗賊じゃなかったんだね」

「えっ」

 先生は夜色の目でぽかんと私を見つめ、ぷっと吹き出した。

「なんだい、カナラ。店主をそう思っていたのか!」

 口を開けて大笑いする先生に、怒りで顔が赤くなる。どうして笑うの。私は本当に盗賊だと思ったのに。

「だって、先生が読んでくれた絵本の盗賊みたいだったよ!」

「白の旅人と盗賊の絵本かな。そうだね。言われてみれば似ているかもしれないなぁ」

 白の旅人は、神様が落とした七つの童話の二番目の物語だ。白の旅人だけ、七つの童話以外の派生作品が存在する。白の旅人が王になるまでの物語は、人の手で語られてきたのだ。

 白の旅人と盗賊は、旅にまつわる話の中で最も広く知られている。

 夜明けがない町は、盗賊にとって格好の仕事場だ。ある日、白の旅人という謎の存在が太陽を運んでくるという噂を耳にする。太陽が来ると朝が来て夜が明けてしまう。それでは仕事ができない盗賊たちは、白の旅人を殺す計画を立てるのだ。白の旅人は見事盗賊たちを追い払い、町に太陽が昇る結末だけど、机を囲んで悪巧みする盗賊たちの絵が目に強く焼き付いていた。

 しかも先生は、調子が乗ってくると感情を込めて臨場感たっぷりに読むのだ。盗賊の場面では普段はださない怖い声で読むものだから、おかげで眠れなくなってしまった。

「あの絵本が気に入っているなら、また読もうか?」

「もう一人で読めるよ」

 この頃の私は、絵本を一人で読めるようになっていた。絵本以外に小説や図鑑にも興味を持ち始め、先生の書斎と自室を往復していた。

 先生は「早いなぁ」と目を細め、へにゃりと笑った。

「あの顔の傷は、獣人と喧嘩したときにできたものだと聞いたよ。この辺は獣人の村があるんだ」

 先生に手を差し出され、手を繋ぐ。

「あの人、怖かったけど優しかったよ」

「それでいいんだよ、カナラ。人にはいろんな姿がある。ひとつで判断するのは、もったいないと僕は思うんだ」

 先生の手もすっかり冷えていた。ポケットの精霊石にも温かさはない。炎の精霊が鉱物から抜け出していた。鉱物が安価になるほど持続性がない。湯たんぽのほうが長く持つ。人が発明した道具のほうが便利だと先生は称賛していた。いずれ魔法よりも重宝される時代がくると思っている。

 魔法が使えたら素敵なのに、先生は重視していないらしい。

「ここの村の人たちも、いろんな姿があるの?」

「そうだよ。僕もシスイも、そしてカナラもひとつだけじゃない」

 私が知らない先生を想像してみる。手を繋いで隣に歩く『父親』の知らない顔。それを取ってしまったら、この人は知らない人になる。私の家族ではなくなってしまう。繋いだ手を離されてしまうかもしれない。足の底から這うような不安を取り消すように、先生の手を強く握った。

 村は静かだ。人は少なく、寒さに身を丸めて足早に歩いている。子どもよりも年輩の人のほうが多い気がした。

「去年に比べて人が少なくなったね」

「そうなの?」

「引っ越ししているんだよ。もっと大きな町に」

 大きな町は都のようなところだろうか。海上都市のように海に浮いた町なのだろうか、学都のように学校がある町なのだろうか。それとも、聖都のように偉い人たちが集まる町なのだろうか。村しか知らない私に、大きな町というのは想像がつかなかった。先生に見せてもらった都の写真を思い出す。白黒写真に写っていた都は、写真いっぱいの大勢の人たちや見たことがない建物が写っていた。

 森の外は知らない世界が広がっている。この村の人たちは、ここよりも広いところへ行こうとしているのだ。

「いいなぁ」

 ぽつりと漏れた本音は、吐いた息と白くなって消えた。

「カナラは森から出たい?」

 私を見下ろす先生の眼差しは、優しくて温かいはずなのに、何を思って質問をしたのかわからなかった。

「そのときは、先生も一緒?」

 森の外にあるという病気は怖い。それでも惹かれてしまう。

 だけどこのときの私に、一人で出て行く勇気はなかった。

「そうだなぁ」

 足下にぽとりと雪が落ちた。薄く雪が積もった寂れた田園に、また雪が降る。轍がついた小道を白く染めていく。

 先生は曇り空を仰いだ。

「カナラがどこに行っても、僕を忘れない限り君の心にいるよ」

 それは、一緒に行くという意味ではなかった。

 いつか大きくなったら、私は。

「先生」

「うん?」

「来年もまた来ようね」

「そうだね」

 けれど翌年から村は無人になり、その約束は果たされることはなかった。

 それでも暦は回る。同じように朝が昇って夜が落ちる。

 翌年の秋、私はヤシロに出会った。行商に来るようになったヤシロから、森の外の知識を教わった。知らない世界にさらに胸を躍らせた。

 そして、私が先生と繋いだ手を離すのは、もう少し先の話。

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