2 風の導きに祝福あれ
「せんせー、違うものを買ったらだめだよ」
私たちはある農村で下りた。
乗合馬車は、村や集落から町へ人を集めるために年末から臨時で走っている。終着の町まで行ってみたいけれど、先生は森の外は病気があるからと頑なに許可をだしてくれない。森に近い場所ならまだしも、それ以上森から離れたら危ないと諭してくる。「カナラが見えなくなるんだ」と真剣な表情で言われたら、渋々頷くことしかできなかった。
「どうして?」
窓に張り付いて、店の中を眺める先生の外套を引っ張る。
「しー兄に怒られるよ」
保存ができる食料は地下の貯蔵室に保存してある。買うのは日持ちが短いものだけだ。しー兄から受け取った一覧以外のものを買ったら、お説教されてしまう。
「それじゃあ、一緒に怒られよう」
先生は見慣れた屈託のない笑顔で、私の手を握った。手袋の上から握った先生の手は、しー兄に比べて大きく、ちっぽけな私の手をあっさり包んでしまう。
「えー、先生だけ怒られて」
「えー、そんなぁ」
私の声真似をして先生はドアを開けた。
ドアベルが来客を知らせる。「いらっしゃい」と愛想のない声をかけられた途端、私は反射的に先生の外套の中に隠れた。そろそろと顔をだして様子を窺うと、灰色の髪に白髪が混ざった初老の男性が新聞を広げて座っている。私に視線を寄越したかと思えば、興味がなさそうに新聞に戻した。
「カナラ」
優しく先生に呼ばれ、仕方なく外套から出る。裾を掴んだまま、私はじっと店の主人を警戒していた。前年は先生の脚にくっついていたから、まだ進歩したほうだ。先生としー兄しか知らなかったこの頃の私には、顔に傷がある目つきの鋭い店主が怖かったのだ。絵本で読んだ盗賊団の人みたいと、失礼なことを思っていた。
村の中で最も狩猟に長け、生活費を得る延長で行商人や村人に肉を売っていると先生から聞いた。普段は家族で交代して店番をしているそうだが、年末は主人だけでやっているらしい。
目的の肉を選び、会計をする先生の後ろにくっついていると、会計台に置かれた瓶が目に入った。自家製ジャムを詰める大きめのガラス瓶に、琥珀色の楕円の粒が詰められている。精霊石だろうか。
「蜂蜜のキャンディだよ」
私の目線に気づいた先生が瓶を指した。
「お菓子だ」
聞いたことがある。それは甘くて、風の少年のように飛べるような気持ちになる食べ物だ。風の少年はお菓子が好きで、供物にされると聞く。けれど私には縁がない食べ物だと思っていた。
「これ、売り物ですか」
店主が瓶を一瞥した。先生が欲しい数を注文すると、ぶっきら棒に店主は言い放った。
「全部、持っていけ」
あとから聞いた話、店主に告げられた一瓶分のキャンディは、破格の値段だったそうだ。
「でかくなったな、あんたの娘。去年も来ただろう」
「覚えていましたか」
「俺に怯えていたからな」
口角を上げた店主はやっぱり強面で、私は先生の外套に顔を埋めた。先生が謝罪する。喉の奥で笑った低い声音は、不思議と優しい響きを含んでいた。
「あんたの娘と同じくらいの子どもがいたが、黒の姫君に連れ去られてしまってな」
「そうでしたか……」
黒の姫君に連れて行かれたら二度と帰って来ない。それがどういう意味か、子どもながらに漠然と理解していた。おそるおそる上目遣いに店主を見上げる。手袋をはめたような、分厚く赤くかじかんだ手が蜂蜜キャンディを一粒摘んだ。私の掌にぽとりと落とされる。
「子どもは祝福されるものだ」
「しゅくふく?」
「風の導きに祝福あれ」
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