4 竜に育てられた娘
早朝、私たちはシィラと別れて海上都市『メゼリア』を出た。シィラは別れ際に、昨日飲んだハーブティーを渡してくれた。お礼を伝えると今回は特別だと返ってきた。魔女は慈善ではない。魔法薬やハーブティーを売って生計を立てているのだ。次に会うときは買うと決めた。
「カナラ。竜に育てられた娘。純粋なる人の子。あなたが信じた道を真っ直ぐに行きなさい。自分を心から必要とする者の手を取りなさい。自分を諦めずに歩いていけば、生きていけるわ」
シィラの言葉が体の奧にひとつひとつ積み重なっていく。目頭が熱くなった。堪えきれずに抱きつくと、背中を撫でてくれた。
「ありがとう。シィラはとても優しいね」
「わたしは魔女よ。物語の中で魔女は悪者よ。わたしの言葉は惑わしかもしれないわ」
首を振り、顔を上げる。
「物語の中ではそうかもしれない。魔女も竜も悪者として語られる。でも、私が知っているのは優しい魔女と竜だよ」
「それはよかった。わたしがいなくなったとき、あなたの口からそう語られるのを楽しみにしているわ」
遠い先を見つめる金の目は、今もどこかを見ているのだろう。世界に精霊がいなくなる。遠くて近い、いつかを。
ヤシロとセイクは私をルイーゼに引き渡さなかった。ヤシロは他国の人間だからとしらを切り、セイクはその必要はないと断言した。
「カナ嬢の住む森が村だったんだな」
「私、ずっと村にいたんだね」
森に行けとシィラは告げた。その森こそが精霊樹の森であり、私の村であり、先生としー兄と過ごした場所なのだと。しー兄に先生を尋ねても答えてくれなかった。都から出たのに私の影のふりをしたままだ。
森に行くには、二日かけて来た道を戻らなくてはいけない。それなのに、この先がどうなるか最後まで見届けたいとヤシロとセイクは乗ってくれた。
「まぁ、あれだ。カナ嬢の家族を見てみたかったからな」
御者台のヤシロの隣に腰を下ろす。ヤシロは何度も行商に来てくれたのに、家族に会っていなかった。ヤシロには、私が一人で暮らしているように見えていたのだろう。今頃になってヤシロの優しさに気づいた。
「私、支えられてばかりだね」
「そりゃ、カナ嬢はガキだからな。ガキは大人に支えられてりゃぁいい」
「甘えてばかりだよ」
「甘えられるときに甘えたほうがいいだろ」
納得していないのが表情にでていたのだろう。髪の毛をくしゃくしゃにして撫でられた。
「次に繋げるためだ。カナ嬢」
何にと尋ねようとしたところで、荷台に座っているセイクに声をかけられた。
「ねぇ、空の子。純血の人間は無力ではないよ。人以外の種族には特別なんだ」
セイクは画帳を開き、黒鉛で絵を描いていた。
予想はしていたが絵が趣味のようだ。エプロンの汚れはやはり絵の具であっていた。特に風景画を好むらしく、時間があるときはキャンバスに描いているそうだ。セイクの作品はいくつか荷台に積んである。神使の描いた絵だと交渉すれば言い値で売れるらしい。
ただ、セイクの絵には難点がある。
それは、色が流れること。絵に色を乗せると水のようにこぼれてしまうのだ。落ちた色は砂になって消えてしまうらしい。
おそらく、神使の力が関係しているそうだが原因は不明だ。
セイクはこぼれない絵の具を探すため、ヤシロと旅をしていると話していた。
「特別って?」
顔は画帳に向けたまま、慣れた手つきで描いている。どんな絵を描いているのか気になったが、そのまま会話を続けた。
「血だよ。純血の人間の血は、妙薬だったんだ」
それは初耳だ。ヤシロは知っていたのか驚いた様子はなかった。
「能力の活性化や、人間以外の種族の薬になったらしい。人が希少種だったのは、そういうこともあったからだ」
ヤシロがぼかした言い方をしたのは、魔女や竜が狩られたように人にも同じ歴史があったのだろう。今では考えられないが、人の立場が異なっていたのだ。
「人を残そうと互いに協力した結果、こうなったんだよ。もっとも、純血の効果がなくなるまで予想していなかったみたいだけど」
だからセイクは、私が純血種だと知って嬉しそうにしていたのか。
「セイクは私の血が欲しいの……?」
怖々と尋ねると、セイクはぷっと吹き出した。手で口を押さえているが肩が震えている。振り向いた顔はやっぱり笑っていた。
「まさか! 違うよ、空の子! 僕は嬉しいんだ。主君が、風の神である風の少年が愛した民が帰ってきたことが」
「セイク個人としては?」
「カナラと友人になれたのがとても嬉しい」
セイクが画帳を立てる。そこには御者台のヤシロと私が描かれていた。嬉しさと驚きで目を輝かせる。隣でヤシロが「珍しく俺を描いたな」と満足げだ。
「それに君を襲おうとすれば、義兄が怒るだろう?」
私の影が揺らめき、獣のかたちになる。肯定を表すかのように尻尾が大きく振られた。
「うわっ!」
ヤシロが腰を抜かした。
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