4 夢喰い虫

 先生はいろいろな授業をしてくれた。

 魔法が使えない私に簡単な文字を教えてくれた。村しか知らない私に外の世界を話してくれた。

 先生から語られる世界は、私のちっぽけな世界を徐々に広くしていった。

 先生の手帳には旅の途中で見聞きした絵が描いてあった。白黒写真も数枚持っていた。三大都市に目を輝かせ、泉よりも広い海に驚き、魔法生物に興味を持ち、異国に想像を巡らした。

 どうして旅をしているのかと尋ねたら、先生はのんびりと間延びした声をだした。

「見たかったからかなぁ。クオンが見た世界を同じ目線でね」

 クオンは生きていない。人の時間でいうなら遠い昔に逝ってしまったそうだ。クオンからもらった手紙を大事に持ち歩き、時々読み返しては泣いてしまうと笑っていた。眼鏡の奥の目を細めて、ここではないどこかを見ていた。

「あと、竜の姿って大きいでしょ。場所をとるから人の姿のほうが楽だし、馴染みやすいんだ」

「先生の竜の姿を見てみたいな」

「特別にエリーナに見せてあげたいけれど、ここじゃ皆が驚くから」

 先生は屈み、私の耳元で内緒話をした。

「大きくなったら見せてあげる」

 先生の竜の姿が見られる。黒色の竜が。歓声を上げそうになった口を両手で覆い、代わりに大きく頷いた。頬が緩んでしまう。先生の外套を引っ張る。今度は私が内緒話をする番。

「約束だよ」

「あぁ、約束だ」

 先生は人差し指を唇に立てて微笑み、私も真似をした。二人でくすくす笑い合えば、あの子は不思議そうに首を傾げた。

「先生、今日の授業はなぁに?」

「そうだね。今日は種族の話をしよう」

 種族。それなら先生に教わった。幻獣の力が与えられた獣人。絶滅したとされる巨人族の血を引いた超人。この二つの種族は人の亜種。現代の人間は薄くであるが別の種族の血を引いている。昔は人が希少種だったそうだ。

 復習も兼ねてした拙い説明を褒めてくれた。ここのところ、両親より先生が私を褒めてくれる。

「昨日、村付近の森で面白いものを見つけたんだ」

 先生はトランクから瓶を取り出した。瓶の中には芋虫がいた。ただの芋虫じゃない。背中がきらきらと輝いている。青色の鉱物が点々と生えていた。

「これなぁに?」

「魔法生物だよ」

 魔法生物は精霊を集める生き物だ。隣で寝そべっているあの子は、つまらなそうにあくびをしている。あの子は魔法生物ではない、動物でもない。常に精霊を集める能力はなく、見つけることしかできないと先生は教えてくれた。ただ、人よりも多くの精霊を見つけられるそうだ。高度な魔法が使えると話していたが、今日もあの子にその素振りはなく気だるげだ。

「夢喰い虫っていうんだ」

「夢を食べるの?」

「どちらかといえば、記憶だね」

 夢喰い虫は、傍にいる生物が眠っている間に記憶を食べて成長する。夢喰い虫に望めば、悲しい記憶や怖い記憶を食べてくれるそうだ。

「面白いだろ? クオンは幻獣以外に魔法生物にも興味を持っていてね。見つけて捕まえては観察していたよ」

 悪夢の記憶を食べてもらうために枕元に置かれたことから、『夢喰い虫』の名前がついた。のちに夢喰い虫の価値が上がり、貴族の女性が失恋を忘れるために利用していた事例もあったそうだ。

 瓶の中でもぞもぞと動く夢喰い虫は、食べられる記憶を探しているのだろうか。

 よく見るとお腹が膨らんでいた。食べたあとかもしれない。

「先生、質問です。成長したらどうなるの?」

 授業中の質問は挙手をすること。先生はいい質問だと言ってくれた。

「翡翠色の蝶になるよ。青緑の鳥に似た美しい蝶になるんだ。背中に青色の鉱物が生えてきているだろう。これが小指ぐらいまで伸びたら、羽化が始まるんだ」

 先生は両手に瓶を乗せてくれた。背中の鉱物は頭がでているぐらい。羽化にはまだ時間がかかるようだ。

「夢喰い虫の蝶は、記憶の持ち主が触れると記憶の一部が戻るんだ」

 触れた途端、蝶は消えてしまうらしい。夢喰い虫はあくまでも記憶を預けるようなもので、忘れさせるものではないと先生は教えてくれた。

「一説によると、持ち主がその記憶が必要になったときに、羽化が始まるとも聞くね」

 いらない記憶を預けて食べてもらったのに、どうして必要だと思う日がくるのだろう。忘れてしまって、思い出さないほうがいい記憶だってあるはずなのに。わからずに夢喰い虫を見つめていると先生は頭を撫でてくれた。

「そんなことをしなくても、人は忘れる生き物なのに」

 いつか忘れるときがくる。でも、それは今じゃない。今を忘れたくても、忘れられずに苦しんでいるのなら。

「先生、これを貸してくれないかな」

「どうするんだ?」

「お母さんに使うの」

 驚いた先生に構わず話を続けた。

「お母さん、私が魔法を使えなくて苦しんでいるの。お父さんと仲が良くないの。村の人たちとも……。だからね、悲しい記憶を食べてもらえたら笑ってくれるかなって」

 母の笑顔をしばらく見ていない。思い浮かべても暗い表情ばかりだ。

「それに、蝶になったら記憶が戻るんでしょ。綺麗な蝶を見たら元気になると思うの!」

「エリーナ」

「先生、お願い! 一日だけ。一日だけでいいから!」

 先生は眼鏡を押し上げた。私の懇願に反応して、寝転がっていたあの子が顔を上げる。

「それでいいのか」

「先生」

「君は、いいのか」

 胸の奥がちくちくするのはなぜだろう。とびきりの名案だと思ったのに、違うと囁く自分もいる。でも、だって、そうしなくちゃ。

 私は『家族』に帰れない。

「うん、いいよ」

 そのとき私は、初めて先生に嘘をついた。

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