3 あなたは先生

「懐かしい色をしているね。君は最初の子なのかな」


 青年は旅人らしい。名前を尋ねたところ、自分の本名は人と違って特別な力があるから名乗れないと答えられた。そういう話もしないほうがいいと返したところ、はっとしたあとにそうかと肩を落としていた。


「懐かしい色?」

「そうだよ。銀髪に空の目。遠い昔、この国に溢れていた国民の特徴さ」


 私の両親は二人とも違う色を持っていた。母は祖母に近いと言っていたけれど、全く同じではないらしい。母方の祖父母の顔を私は知らない。流行り病で私が生まれる前に逝ってしまったからだ。


「隔世遺伝かな。いや、祖母のほうが君よりは濃いと思う」

「濃いって?」

「血だよ」


 体に流れる赤い液体。膝を擦りむいたら滲みでてくるもの。見慣れているはずなのに、指摘されると実感が薄かった。

「よくわかんない」

「この村では教育をどこまでしているのかな。種族はわかる?」

「あんまり」


 この村に学校はない。読み書きができる大人がいても、それ以上の知識を持つ人は少なかった。誰かが病気になったら近隣の村から医者を呼ぶ村だ。学問がある人はいない。数年前に子どもに勉強をさせたほうがいいと提案した人がいたが、貧しい村にそんな余裕はないと反対されてしまったらしい。


 でも、たった一人なら。

 もしかしたら、村を栄えてくれる大人になるかもしれない。


 そうしてあの男の子は特別視されるようになった。

 どうして私の娘ではなかったのと嘆き、本当は魔法が使えるのだと村人に空っぽの笑顔で話す母の姿が痛々しかった。


 うつむいて黙り込んだ私に、あの子が頭をすりよせてきた。頭を撫でると胸に湧いたもやもやが徐々に沈んでいく。


「そうか。それなら、ちょっと待って」


 路地裏を見渡し、何かを探し始めた。喜々として持ってきたのは、果物用の長方形の木箱だ。


「これに座って。君の椅子だ」


 青年は木箱の底を上に向けてから掌で軽く叩いた。幼い子どもが座るにはちょうどいい大きさだ。私が座れば、あの子も隣に座った。


「名前、聞いてもいいかな」

「エリーナだよ。あなたはなんて呼べばいい?」

「うーん。この姿にはクオンって名前があるけど、私はクオンじゃないからなぁ」

「それはあなたが竜だから?」

「いい質問だ」


 青年は朗らかに笑った。大人に褒められるなんて久しぶりだ。むずむずして落ち着かずに視線が足へ落ちる。顔が赤くなっているのはわかっていた。


「私がよく知る人間はクオンなんだ。幻獣である竜は人に変化できない。化けることならできる。要するに、人の姿を真似るなら可能なんだ」

「えっと、幻獣は魔法生物と違うの?」

 質問を続けると青年は嬉しそうに頷いた。


「魔法生物や動物とも異なる存在だ。幻獣は幻であり、理想の象徴でもある。それこそ物語の中の登場人物のようにね。幻に幻は重ねられない。私たちの死が肉塊ではなく砂になるのは、存在が希薄だからなんだ」


 話が難しくて頭が追いつかずにいると、さらに説明をしてくれた。


「召還されたって言えばわかるかな。もともと、異世界の存在が魔法で喚ばれたんだよ。けれど、元の世界に帰る方法がわからなかった。生きるためにこの世界に徐々に合わせてきたけど、それでもできないことがあるんだ。わかったかな」

「なんとなく」

「そうか。それはよかった」


 本当はこの世界にいない存在。それが幻獣。

 でも、今ここに黒竜と名乗る青年が立っている。いるのにいないなんて変な話だ。


「クオンはね、そんな異世界の住民を受け入れてくれた大事な友人なんだ」

 青年はあの子へ視線を移した。

「君は幻獣を造ろうとした結果か。混合獣キメラだね。存在そのものが秘匿魔法だ。噂では聞いていたが。そうか、君が。……辛かっただろう」


 あの子は青年からそっぽを向いた。尻尾を強く叩く。気にしていないとでも答えているみたいだ。


「望めば人になれるよ。私と違って存在が希薄ではないからね。そのときは人の名前があったほうがいい。君の拠り所になるだろうから」

「そうだ。名前! この子の名前!」


 うっかり忘れるところだった。この子の名前を知りたいんだ。


「この子の名前は、エリーナがつけたらいい」


 深緑と目が合う。気だるげな目が私を捉える。濁った色になる前は澄んでいたのではないのだろうか。奥深い緑の鉱物。母が好きな色。精霊の家に使っていた石。


「ヒスイ?」


 同じ石の名前をそのままつけるのはなんだかつまらない。呼びやすくて親しみやすい言葉に置き換えるとしたら。口の中で言葉を転がす。「あぁ」や「うぅ」と意味のない声を上げる私を、青年とあの子は待ってくれた。


「しすいがいい」

「シスイ?」

「うん。しーって呼んだら可愛いから!」


 体を向き直してあの子の頭を撫でる。気持ちよさそうに目を細め、尻尾を振った。


「ヒスイのシスイ。あなたの名前、どうかな」


 あの子は相変わらず無口だ。でも、これだけはわかる。ぱしんと勢いよく尻尾を叩いたときは、気に入ったときの返事だ。


「名前も決まったことだから、じゃあ」

「あなたの! あなたのも考えたの!」

「私の?」

 力強く頷く。竜の名前は教えられない。でも、姿は青年のものじゃない。だったら、その間をとる呼び名があったほうがいい。

 竜でもなくクオンでもない、別の名前が。


「あのね、お医者さんや頭のいい人を大人たちは先生って呼んでいるの。だから、先生。あなたは先生!」


 先生はぽかんとした。それから口を片手で覆う。顔が真っ赤だ。


「私が、クオンがなれなかった先生だなんて」


 黒の目を潤ませ、鼻を啜りだす。どこか痛いのかと尋ねたところ、目尻を指先で拭って大丈夫と返ってきた。それなら、どうして泣いているんだろう。


「うん、わかった。私は、いや、僕は今日から君の先生になるよ」

「本当?」

「もちろん、よろしくね。エリーナ」


 握手を求められた。握った手は温かくて優しい。同じ男の人なのに父の手とは違う。両親の仲が良かった頃は、大きな手で私の頭を撫でてくれた。最後に撫でられたのは、いつだっけ。


「それじゃあ、授業を始めよう」


 へにゃりと照れ臭そうに先生は笑った。

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