2 あなたは私が守るから
その日から、あの子は私についてくるようになった。
友達ができたみたいで嬉しかった。いや、あのときの私は友達だと思い込んでいた。
一緒に村を歩き回りたくても、余所者を嫌う人がいる。
それに、魔法生物なら売られてしまうかもしれない。高値で売れると行商人が大人と会話していたのを聞いたのだ。
あの子は私を嘘つき呼ばわりしなかった。目を真っ直ぐに見つめて、とりとめのない話を聞いてくれた。頭を撫でると気持ちよさそうに目を瞑った。人けのない場所を見つけるのが上手で、「私以外の村人に見つかったらいけない」という私の一方的な決まりを守ってくれた。
朝食のパンを食べずに布に包んで、毎日あの子に会いに行った。路地裏に入るとあの子がひょいと姿を現す。私が来るのを待っていたかのように、尻尾を揺らした。
その日もあの子とパンを半分にした。
「これだけじゃ足りないよね」
私より大きな体は、丸パン半分では満たされないはずだ。夕食を取り置きしたいけれど、不審に思われてはいけない。朝は野良猫にあげると理由をつけて持ってきても、夜もとなると母は変な顔をするだろう。それに母は動物が嫌いだ。動物を繋ぎ合わせたようなこの子も、きっと嫌われる。
「お母さんに嫌われなくていいからね」
期待されて失望されて嫌われるのなら、私の母に会わないほうがいい。
「お父さんに無視されなくてもいいからね」
いくら声をかけてもいないものとして扱われるのなら、私の父を見なくていい。
「あなたは私が守るから」
あなたは私にならなくていい。
首に抱きつけば、返事をするかのように尻尾を緩く叩いた。
「そうだ。あなたに名前はあるの?」
もぞもぞと腕の中で動きだした。解放すればお尻を向け、片方の後ろ足を見せてきた。凝視すると足の裏に赤い文字がある。書いてあるというより刻んであるようだ。痛くないのと尋ねるが、無表情のあの子からは感情がいまいち読みとれない。
「私、文字が読めないよ」
文字は教えてもらっていない。この村では、精霊が見えない子どもに読み書きは不要だとされている。
この子の名前なら知りたいのに。
「これは数字だね。個体番号かな」
突然、声が降ってきた。振り向くと、知らない青年が後ろに立っている。全く気づかなかった。動転した私の前にあの子が飛びだした。いつもの気だるげな表情が一変し、牙を剥けて唸り声を上げる。上体を低くし、今にも飛びかかりそうだ。敵意を剥きだした深緑の目に、青年は慌てだした。
「ちょっと待って! 怖い顔をしないでくれ。私に害はないよ。あ、でも、そういうと人は怪しむのか。正直に話しただけなのに、全く疑り深い生き物だ。ええっと、こういうときはどうすればいいんだっけ」
黒髪に黒目の青年は、困ったように中指で眼鏡を押し上げた。温厚さと知的さを漂わせ、くたびれたスーツを着ていた。肩にかけた外套は拾いものなのか、彼には大きく、似合っているとはいえない。使い古したトランクを片手に持っていた。
村では見かけない人だ。服装から行商人ではなさそうだ。もしかしたら、医者や学者といった頭のいい人かもしれない。
「あなたは誰?」
興奮したあの子をなだめようと背中をさすりながら尋ねる。唸り声は上げなくなったものの、青年から目を逸らさず警戒していた。
「うん? 私、竜だよ。黒竜。医者や学者に間違われるんだけどね。あぁ、ひどいときは詐欺師だっけ。偽物めって怒鳴られて石を投げられたときは参ったなぁ」
懐かしそうに目を細めて語りだす青年についていけなかった。
今、この大人はなんて言ったのだろう。
「竜?」
「うん、そうだよ。黒竜」
沈黙が流れる。その瞬間、青年はしまったと顔を青ざめた。
「あ、違う! いや、違わないけど、違う!」
踵をつけたまま両膝を合わせてしゃがみ、私に目線を合わせる。
なぜか黒目が潤んでいた。
「私の鱗、剥ぎとっても高値で売れないと思うんだ! でも、頑丈なのは確かだよ!」
「そうなの?」
「たぶん」
本当なのか嘘なのかはともかく、悪い人、いやこの場合『悪い竜』には見えなかった。
「そっか。でも、安心して。私は剥ぎとらないよ」
途端に青年の表情が明るくなる。よかったと安堵する彼は私よりも子どもっぽい。
「でもね、私以外にそういう話をしちゃだめだと思うの」
もし、青年の話が本当なら、きっとこの子と同じ危険にさらされる可能性もでてくる。腰に手を当てお姉さんぶった言い方で注意すると、青年は神妙な面持ちで頷いた。
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