第5話 それでも私は生きたいから
1 私には友達がいない
初めてできた友達は、人のかたちをしていなかった。
顔は犬だった。高い鼻と垂れた耳。どよんとした気力のない深い緑の垂れ目は、森に似ていた。胴は縞模様で四つ足は太く緑色の固い鱗で覆われていた。尻尾はひょろりと長く、先端にふさふさの毛があった。私はあの子を魔法生物だと思った。精霊が見えていたら違うと即座に判断できたかもしれない。数種類の動物を繋ぎ合わせたあの子の周囲には、魔法生物の特徴である精霊がいなかったのだから。
けれど、それを知ったのは後の話。
路地裏で寝転がっていたあの子を見つけたのは、五歳の頃。私がまだ『カナラ』ではなく、『特異体質』だと知らず、家に居づらくて外で過ごす時間が多かったときだ。
私は村に住んでいた。森に囲まれた小さな村は長閑に見えて窮屈だった。楽しみは行商人や旅芸人がやってくる日。頭の固い大人が追い返してしまうときもあったけれど、そのときはこっそり旅の話を聞かせてもらったり、芸を披露してもらったりした。大人たちは噂話を好んでいた。同年代の子どもの間では、誰が一番精霊を多く見つけられるか競争する遊びが流行っていた。
母は比べる人だった。近所のあの子、親戚のあの子、年上のあの子。悪気なく無意識に発せられる比較の言葉は、私にとって重しになっていた。父は靴職人だった。祖父から受け継いだ仕事に気力はなく、粗悪品ばかり作っていた。客が怒鳴り散らし、母が謝るのが当たり前。父は知らんぷりを決め込んで工房にこもっていた。そのせいか、夫婦の仲は常に冷めていた。食事の時間は母が一方的に話しかけ、父は黙々と食べるだけ。近所の子が話していた家族団欒というものは、私にとって縁のない世界の話だった。
村の間で魔法が強く意識されるようになったのは、魔法が上手に使える子どもが現れてからだ。
村では十歳を過ぎると大人の手伝いをするのが決まりだ。町や都では子どもが学校に行って勉強をするそうだが、村にそんな場所はなかった。
その子には才能があったのだろう。幼いうちに精霊を見つけられるようになり、簡単な魔法をすぐに飲み込んだ。村で育てておくのはもったいない。資金を集めて学校に行かせたいと大人たちが話し合うようになり、次第に母の愚痴も増えていった。
「どうしてあなたは、魔法が使えないのかしら」
母は期待できない父の代わりに、私に家の希望を託したかったのだろう。責めるわけでもなく、家事をしているときにぽつりと思い出すように呟かれた言葉は、私の中できしきしと悲鳴を上げていた。
精霊が見えないから精霊を見つける遊びに参加できない。魔法が使えないから母の愚痴が増えてしまう。家にいても邪魔だから外に出てなさいと言われ、外では役立たずの靴屋の娘だと子どもたちに馬鹿にされた。
「嘘つきエリー!」
それが私のあだ名。
「嘘つきじゃない!」
言い返せば、集団になった子どもたちが指を差して私を笑った。中心にいるのは、魔法の才能があると村でもてはやされている子。私より二歳年上の男の子は、下卑た笑みを浮かべて唾を吐き散らしながら叫んだ。
「お前のパパは良い靴だと言って悪い靴を売る! ママはうちの娘は魔法が俺よりも上手に使えるとホラを吹く! お前の両親、嘘つきじゃねぇか。村の皆、迷惑しているんだぞ!」
「嘘つきエリー、お前も嘘をついているな!」
「嘘つきエリー、誰もお前なんて信じない!」
「嘘つきエリー、わがままな子どもは夜の底に落ちていけ!」
罵倒を次々と投げられる。男の子が石を拾い、投げようとしてきた。慌てて逃げだすと、怯えて逃げたと馬鹿にした笑い声が背中にぶつけられた。
村に友達なんていなかった。誰も輪の中に入れてくれなかった。家の冷たい空気に堪えられなかった。人がいない場所を探しては、一人でぐずぐず泣いていた。
「これじゃあ、泣き虫エリーだよ……」
今日の泣き場所は路地裏だった。
狭く薄暗い路地裏。人けのない場所は落ち着いた。目を合わせないよう、うつむいて歩く必要も、誰かの視線や言動に怯えなくていいからだ。一人でうずくまって鼻をすすっていると、頭を小突かれた。いや、小突くというより匂いを嗅がれている。顔を上げると黒い鼻があった。
「うわっ」
目の前に犬がいた。
犬にしては様子がおかしかった。高い鼻と垂れた耳は犬と同じでも、胴は縞模様だった。太い足は緑色の固い鱗に覆われている。尻尾は長く、先端にふさふさの毛があった。ただの大型犬ではない。噂で聞いた魔法生物かもしれない。どよんとした気力のない深緑の目は、精霊を集めるのが上手なのだろうか。
「どうしたの?」
その子は私のお腹に鼻を押し当てた。お腹から腰に移動させ、ポケットに辿りつく。そこにはパンの切れ端が入っていた。野良猫にあげようと取って置いたのだ。
「お腹が空いているの?」
鼻を離してその子は座った。ぱたんと尻尾を緩く叩く。私の言葉が理解できているように思えた。
「いいよ、あげる」
パンを差し出せば匂いを嗅ぎ、一度こちらを見てから食べ始めた。
「あなたに名前はある? 私はエリーナ。皆からは、エリーとかエリィって呼ばれているの。あ、でもね。嘘つきエリーは違うから。本当だよ。嘘、ついてないもの」
両親は悪くない。母の嘘は私への期待。父の嘘はやるせなさからだ。仕方ない。二人だって苦しんでいる。だから私が文句を言ったらいけない。黙って何も知らないふりをするんだ。これ以上、二人の関係が悪化しないように。
私はわがままじゃない。
いい子だから。
いい子なんだ。
「嘘つきじゃないもの……」
吐き出したばかりなのに、声が震えだした。視界が溶けるように滲んで目頭が熱くなってくる。泣いたらだめだ。泣き顔で帰ったら迷惑をかける。お腹に力をいれて涙を堪える。腕を拭って目を固く瞑る。
頬に生温かいものが触れた。くすぐったさに目を開けば、あの子に舐められていた。
物静かな深緑の眼が私を映す。愛想を振るわけでもない。ただ見守るような眼差しに、私の中で我慢していたものがあっさり切れてしまった。
みっともなく嗚咽をだす。ぼたぼたと涙を落とす。一度溢れだしたら止まらない。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、その子の首に顔を埋めた。
「私っ、魔法が使えないのっ。精霊が見えないの。何もできないの! どうして私はできないの!? みんなができるのに! どうして!?」
いくら叫んでも叶わない。訴えても変わらない。無力で無知な自分が嫌いだ。大嫌いだ。
「この世界ではね。そうじゃなければ生きられないの」
ぼそぼそと低い声で語りかける。
「世界はそういうふうにできているんだって。お母さんが言ってた」
魔法が当たり前の世界で、魔法が使えないのはあり得ない。
「エリーナ、本当は精霊が見えるんでしょう? あの男の子より魔法が上手に使えるんでしょう? お母さんに嘘をつかなくていいの。お母さんに構って欲しいから駄々をこねているだけなのよね。そうでしょう。エリーナ」
村が男の子の話題で持ちきりになったとき、母は私の肩を掴み、問いただしてきた。期待と焦りが混ざった表情に、驚きよりも恐怖が上回った。
この人から逃げだしたいと初めて思ってしまった。
首にくっつく私をどう思ったのか、その子は寝そべった。好きに触れといわんばかりに転がってお腹を見せる。好意に甘えて撫でれば、お腹を通して伝わる体温が心地よかった。
路地裏を出た通りに、仲良く歩いている子どもが見えた。女の子は五歳の私と同じくらいの年齢。男の子は三、四歳年上だろう。兄妹だろうか。一人っ子の私には馴染みのない光景だ。兄弟がいれば、家族は変わっていたかもしれない。
「……魔法が使えなくても、受け入れてくれる家族がよかった」
額をお腹に押し当てる。あの子は何も言わず、尻尾を気だるげに叩いた。
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