3 犬猿の仲

「おや、誰かと思えば異国の行商人様じゃないか」

 正門で荷物検査を受けている最中に、話しかけてきた妙齢の女性がいた。短く切られた灰色の頭には寝癖がついており、細目の目元にはそばかすがある。手には酒瓶。酒気を纏った女性の格好に検査をしていた門兵が直立し、敬礼をした。

 国旗と同色の碧緑のマントを羽織った白の制服姿に、ヤシロは嫌悪を表した。

「酔いどれ騎士かよ」

「ははっ、酷い言い様だ。いや、確かに私は酔っている」

 掠れた声は酒に焼けた声かそれとも地声か。女性は酒瓶を煽った。

「その紋章、もしかして」

 セイクの視線の先には、彼女の胸に輝く金色の紋章がある。国旗と同じ風の紋が刻まれた紋章。金となれば階級の高さを窺えた。

「あぁ、畏まらないでくれたまえ。私は騎士だが末端だよ。この都の治安を務める。第七部隊隊長、ルイーゼだ」

「僕はセイク。よろしく」

 握手を求めたセイクの手を取り、ルイーゼは片膝をついた。流れるような動作で手の甲に口づけを落とし、口角を上げる。

「君が神使だね。噂はかねがね聞いている。異国の行商人と旅をしている奇特な方だと」

「部隊長であり、聖騎士の称号を持つあなたの耳に届くなんて光栄だな」

 顔色を変えずに答えたセイクの目は、笑っていなかった。

「で、都しか守らない騎士隊長さまが何の用だ」

 皮肉げに笑うヤシロにルイーゼが肩を竦めた。

「国のために兵を挙げることもあるさ。我らの王が望めばね」

「おや、聖騎士殿が仕えているのは神官だろう。主君の愛し子である風の王の名を気安く口にださないでくれ」

 セイクとルイーゼの間に冷たい空気が流れる。ヤシロに入門許可書のサインを急かされ、ペンを握った門兵の手が震えていた。

「精霊樹」

 ルイーゼがゆっくりと口を開いた。

「精霊樹になった場所があると聞いてね。神の使いと名高い神使ならば知っているかと思ったんだが」

「聖騎士殿は神使を買い被りすぎだ。僕はただの神使だからね。世界や国を見通す力はないよ」

 穏やかに会話しているはずなのに、ちくちくして落ち着かない。ヤシロが私の頭に手を置いた。腰を屈め、声を潜めて話かけられるのはくすぐったい。

「ありゃあ、犬猿の仲だな」

「けんえんのなか?」

「こっちじゃそう言わねぇのか? この国じゃ、騎士と神使の仲の悪さは有名だ」

 初対面の二人が互いに嫌悪をしあっているのは、立場的なものらしい。表だって騒ぐ喧嘩とは違い、言い争いがない代わりに根が深いようだ。

「どちらも国王に仕えているのに?」

 風の国『エヴィレ』を治める国王は、風の神様の生まれ変わりと呼ばれる不老の少年が玉座についている。先生に見せてもらった新聞記事の切り抜きには、十代前半の幼い少年王が写真に写っていた。

「俺の国じゃ現人神あらひとがみって呼ばれるな。実権を握っているのは神官だ。そこで色々あるんだよ」

 種族にしても、学者と魔法教会にしても、騎士と神使にしても、外の世界はそれぞれの立場が複雑に絡み合ってできている。森は生きるために慎ましく生活していたけれど、ここはそれだけでは足りないようだ。

 研究室の小屋の掃除をしていたときだ。ホタル魚と呼ばれる魚の形をした華やかな魔法生物が、一匹ずつ違う水槽に入っていたのを思い出した。なぜ一緒の水槽で管理しないのかとしー兄に尋ねたら、美食家だからと答えられた。

「こいつらは一匹だけならまだしも、同じ水槽に数匹入れると話し合うんだよ。誰がうまくてまずいかって。それで目をつけた人を食べる。しかも、味を占めたら人しか食べなくなる。魔法生物の特性として常に精霊を集めているから、複数いれば魔法を使ってくる危険もある。要するに、一匹なら無害だが複数になると知恵を働かせてくるってこと」

「他に対策はあるの?」

 しー兄はにやりと笑って戸棚から瓶を取った。

「簡単さ」

 栓を抜き、水槽に瓶の液体を入れた。悠々と泳いでいたホタル魚の優雅な尾鰭が怪しく揺れ始め、右往左往し始めた。水槽にぶつかっては方向を変えてまたぶつかる。思うように泳げていないようだった。

「酒を飲ませればいい」

 軽く振られた酒瓶からちゃぽんと音がした。

「酔わせておけば水槽に多数いれても襲われない。こっちが見えなくなるからな。ただ」

 酒瓶をしまい、振り向いたしー兄は苦笑していた。

「今度はあいつがうまそうだって、共食いを始める。面倒な奴らだよなぁ、全く」

 集まれば他の種族を食らい、酒を飲ませれば自滅する。彼らが見えている世界は広いようで狭いのだとそのとき私は思ったのだった。

「それで精霊樹になる場所ではなく、なった場所があるんだね」

「あぁ、聖都の巫女に黒の女王の神託が降りた。精霊樹になった地があると」

 聖都。三大都市の中で国の要であり、国王と神官たちが暮らす都だ。海上都市『メゼリア』と同じように精霊樹で守られている。

 人工的に精霊を入れた精霊石より精霊を生む精霊樹のほうが希少価値が高く、強力な魔法が紡げる。精霊樹に守られている都に魔物の危険はない。そのため精霊の家を吊す必要がないのだ。有事の際は精霊樹の蔦が伸び、都全体を覆い防壁の役割を果たすと聞いた。

「巫女より魔女のほうが予見は確かだろ」

「神官が魔女を嫌っているのを知っていてそれを言うのか。意地悪だな、ヤシロ君は」

 酒を飲み干したルイーゼは、ヤシロに息を吹きかけてからかった。酒臭さに身を引いて文句を言うヤシロを尻目に、ルイーゼの細目が私に向けられる。

「それで、ヤシロ君はいつ子どもができたんだ?」

「ちげぇよ」

「違うよ」

 二人で同時に否定した。ルイーゼは私をまじまじと見つめたかと思えば、突然納得した声を上げた。

「そうか。とうとう人身売買にまで手をだしたか! 異国の行商人よ。この場で取り押さえる!」

 大仰さが実にわざとらしい。命令と捉えていいのか門兵たちは顔を見合わせて困惑している。ヤシロは首の後ろをさすりながら、うんざりした様子で息を吐いた。

「あのなぁ、ルイ」

「冗談さ。いやなに、可愛いお嬢さんが男二人と一緒なんでね。私は心配になっただけだ」

「そりゃどうも。信用がないみたいで悪ぃな」

「こちらも邪魔をして悪かったな。友人がいると聞いて気になって来てみただけさ。しばらくここに滞在するのか?」

「この都に住む魔女に会いに来たんだ。どこにいるか知らないかな?」

 セイクが会話に入ってきた。ルイーゼの表情が一瞬険しくなる。話すつもりはなかったのだろう。ヤシロがセイクを軽く睨んだ。

「あの気まぐれな紅玉の魔女に? 魔女の家は、彼女が招待した者にしか辿りつけないのは知っているだろう。私が知るはずないだろうに」

「そうか。この都を守る聖騎士殿ならご存じかなと思って」

「それは先程の仕返しかな?」

「どうだろうね」

 とぼけたセイクに、ルイーゼは喉を鳴らして笑った。

「何の用かは知らないが、魔女に会ったらよろしく伝えておいてくれ。何度もお酒を誘っているんだがつれなくてね」

「へいへい、覚えていたらな」

 ヤシロが門兵から入門許可書を取り上げ、御者台に乗り込む。私とセイクが続けて荷台に上がった。

「じゃあな、ルイ。酒ばっかり飲んでないで仕事しろよ」

 手綱を握り、幌馬車を走らせる。荷台からルイーゼに手を振れば振り返してくれた。

「それにしても、ルイと友人になったつもりはなかったんだが」

「ヤシロって人望があるの?」

 羨望の眼差しをヤシロに向ける。微笑を湛えたセイクが代わりに答えた。

「どちらかというと、厄介な相手に好かれやすいかな」

「……否定はしない」

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