第4話 それでも私は行きたいから

1 魔女の予見はよく当たる

 翌日、御者台で手綱を握っていたのは茶色の行商人ではなく、白髪の神使だった。


「ヤシロ、お酒に弱いくせに飲むんだよね」


 幌馬車の荷台で伏っていたヤシロが呻き声を上げる。起き上がろうとしたが幌馬車の揺れで気持ち悪さがぶり返したらしい。再び横になり、青くなった顔を手で覆いながら「うるせぇ」と叩く口は苦しそうだ。


「よくあるの?」

「いつもだよ」


 二日酔いの様子を見て午前ではなく午後に出発しようと提案をしたけれど、セイクは首を縦に振らなかった。


「ヤシロはわかっていて飲んだんだ。出発するよ」


 治癒魔法で治療はできないか聞いてみても薬草で充分だと返された。昨日と変わらない穏やかな表情なのに言葉の端々に棘がある。朝からトイレにこもっていたヤシロも行くと言い出し、仕方なく私たちはランプの町『ヴァダン』を後にした。


 酒の臭いが残っているヤシロに毛布を掛け直す。先生もお酒に弱かった。飲むと泣き上戸になった。「ふがいない父親でごめん」とか「先生って呼ばれるほど立派じゃない」とか、一度吐き出した弱音と涙はとめどなく溢れだした。そのたびにしー兄が適当にあしらい、子どもと大人が逆転したような状態になっていた。翌朝、ベッドから起き上がれなくなるのは目に見えている。そのうち、お酒を飲むのはお祝い事のときだけと決まりができた。


 けれど、その決まりを一度だけ先生は破った。

 寝る前に借りていた本を先生に返そうと部屋を訪ねたときだ。いつもは閉めている扉が薄く開いていた。覗きこむと机に頬をつけて寝ている背中があった。机には空になった酒瓶が一本。お酒を好む人でも溺れる人でもない。部屋に入り、丸まった背中に毛布をかける。寝息を立てて眠る先生の横顔は涙で濡れたあとがあった。


 これは、『娘』の私が見てはいけない姿だ。

 机には酒瓶以外に手紙がばらまかれていた。先生がやけ酒を煽ったのはこれが原因だろう。起きる気配はない。ちょっとだけ。そうちょっとだけ。好奇心にかられて手に取った便箋はかなりの癖字だった。


 手紙の内容は先生の安否を気遣うものだった。汚れた質の悪い便箋に綴られた文字は走り書きでもしたのか、ところどころインクが掠れていた。宛名は「親愛なる友へ」。差出人は無記名だ。


 先生を想う誰かがいる。先生が酒を呷(あお)るくらい慕う私としー兄以外の知らない誰かが。便箋を元の位置に戻す。冷水をかけられたような、どうしようもない不安が湧き上がった。先生は私の『父親』である以前に一人の人間だ。私の父親になる前は父親ではなかった。先生がどこで何をして先生になったのか、この手紙の差出人とどういう関係なのか、私は何も知らない。


 いつも傍にいても、私たちは近い他人なのだ。

 だから私は知らないふりをした。先生が『先生』で、しー兄が『シスイ』であることを壊さないようにした。


 手紙の末尾には「君が七番目にならないことを祈る」と綴られていた。

 七番目。それは七番目の童話を指しているのだろうか。白の旅人が告げたこれから紡がれる物語を。


「カナ嬢」

 ヤシロの骨張った手が気だるげに私の頭を撫でた。

「顔色、よくねぇな」

「……ヤシロのほうがよっぽど悪いよ」


 先生のことを考えていたら、どうやらまた顔にでてしまったらしい。

 水を飲むかと尋ねたら浅く頷いた。ヤシロの荷物から楕円型の水筒を差し出す。ヤシロは上半身を起こし、飲んでから手の甲で口を拭った。


「悪ぃな。みっともないところを見せた」

「気にしないで。先生もお酒に弱かったから、飲んだあとはいつも寝込んでいた」

「そうか」


 朝に比べてヤシロの顔はだいぶよくなっていた。出発前に煎じた薬草が効いてきたのだ。セイクは魔女の薬を飲めばもっと楽になると言っていたけれど、それだけは嫌だと頑なに拒んでいた。


「ねぇ、紅玉の魔女ってどんな人?」


 とびきりの美人だとセイクは言っていた。一国のお姫様のような人なのだろうか。美人に会うのは初めてだ。楽しみな反面、自分にかかっている魔法をどう言われるのか怖くもあった。

 魔女の特殊な力。予見。

 予知する力は、私の未来も見据えるのだろう。


「あー……。シィラか」


 ヤシロが渋面になったのは二日酔いのせいじゃない。昨日の話の様子からして魔女と何があったのか気になった。


「喧嘩でもした?」

「いや、そうじゃねぇ。なんつぅか、こう……」


 言葉を濁して目を逸らされた。揉め事があったのなら、これ以上聞かないほうがいいだろう。私に協力してくれる人を困らせてはいけない。他の話題に切り替えようとしたところ、セイクが口を開いた。


「負けたんだよ」

「セイクっ、てめぇ」


 怒気を含んだ重低音の声を無視して、セイクお得意の話を聞かない癖が発動した。


「魔女の予見を疑って、シィラと勝負して大負けしたんだよ。カードゲームだったんだけどね。負けた人は勝った人が欲しいものを買うっていう勝負」

 それでヤシロは盛大に負けてしまったらしい。

「シィラが要求したのは値が張る代物でね。そのときは僕が立て替えたんだ。結果として、ヤシロはシィラに負けて僕に借金をしたってこと」


 溜め息をついてヤシロはうなだれた。だからセイクに弱いのだと納得した。


「彼女の名誉を守るために言っておくけど、予見で勝ったわけではないよ。彼女たちには彼女たちの掟があるからね」

「あのときは酒が入っていたんだ……」

「普段からお酒はほどほどにって言っているつもりなんだけどなぁ。僕よりも人の話を聞かないんじゃないのかな。そこの行商人は」


 セイクの棘のある言葉にヤシロはさらにうなだれた。寝ると毛布に包まる姿は不貞腐れた子どものようだった。

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