2 懐かしい色

 建物を見つけた。

 二階建ての建物は、民家ではなくお店のようだ。玄関には幌馬車の紋章が彫られた木製の看板が吊されていた。建物の隣に小さな馬小屋がある。三頭分の柵が見えた。先程、牧草地で軽やかに駆け回っていた馬はここの一頭だろう。

 馬小屋を覗けば、柵から顔をだした馬と目があった。つぶらな目に思わず硬直する。あっと思ったときには、顔を舐められていた。


「わ、ちょっと、待って」


 馬は好意から尾を振っているが、私としてはたまらない。動物特有の癖のある匂いと干し草の匂いが混ざり合う。生温かい大きな舌に私の顔はよだれまみれだ。


「あれ、お客さん?」


 ドアベルの音と共にお店から人が出てきた。

 太陽の下に晒されたのは、白髪だった。老化による白ではない。雪と同じ色。エプロンをつけているあたりお店の人かもしれない。私を目にとめて真っ直ぐに近づいてきた。


 ふんわりと笑いかけた端麗な顔は中性的だ。二十代前半だろうか。しー兄よりは年上に見えるのに、笑った顔はあどけない。紫水晶を連想させる目は澄んだ泉のようだった。


「こんにちは」


 喉仏がある喉から、聞き取りやすい落ち着いた声が発せられた。手足も身長も大きく高い。先生としー兄とは異なる雰囲気を纏った男性。


「こ、こんにちは」


 緊張でどぎまぎしてしまい、視線を逸らした。

 その隙にと馬にまた舐められた。驚きの声を上げる私に、「懐かれたね」と青年はのんびりと感想を述べる。こちらとしてはたまったものじゃない。


「君、懐かしい色を持っているね」


 青年が馬の首の後ろを軽く叩けば、舐めるのを止め、その手にすり寄った。空いた片手でエプロンのポケットからタオルを取り出し、どうぞと差し出しされる。お礼を言ってからよだれまみれの顔を拭いた。


「あの、懐かしい色って?」

「昔の話だよ。むかーし、むかし、この国の人間は、銀髪と空色の目を持つ者が多かったんだ。今では色んな血が混ざってしまって、なくなってしまったと言われているけれど」


 それは初耳だ。国や種族によって傾向はあるが、基本的に多種多様だ。必ずこの色を持って生まれてくるというのは少ない。ただ、唯一、気をつけなければいけないのが赤の目。魔に属する者の色。忌避される存在。


「珍しいってこと?」

「そういうことになるね」


 私からすれば、青年の白髪のほうが珍しかった。先生曰く、たいていどの種族もなにかしらの色を持って生まれてくるらしい。だから、白は聞いたことがない。何色にも染まれる無垢な色。全てを覆って眠らせてしまう雪の色だ。もっとも閉鎖された森の中で得た知識だ。そのほとんどが先生としー兄から教わったもの。実際、外の世界がどうなっているのか知らない。


「君は村の子?」

「違うよ」


 村と尋ねるあたり、この街道を抜けた場所に村があるのだろう。

 そうだ。のんきに話している場合じゃない。先生としー兄の家に帰らなくちゃ。


「私、森に住んでいるの」

「森?」

「橋を見つけたんだよ。渡ったら、いつの間にか知らない道に出たの。それから、街道に出てお兄さんに会った」

 青年は不思議そうな顔をしている。

「私の話、わかる?」

「わからない」

 正直だった。

「君は森に住んでいると言ったけれど、どこの森?」


 回答に詰まった。森は森だ。そもそも、他の森を知らない私には比べる森がない。どう答えようかと逡巡した結果、一番簡単な回答を閃いた。


「先生としー兄が暮らしている森!」


 なにしろ、先生は『先生』なのだ。先生と呼ぶくらいなのだから、とても偉いはず。その弟子のしー兄もそこそこ有名なはずだ。


「先生?」

「先生!」

「学者かな? それとも医者?」

「魔法生物について研究しているの! 弟子はシスイ!」


 魔法生物と青年は繰り返してから首を振った。残念ながら先生としー兄は有名ではないらしい。


「その先生の名前はわかる?」

「先生の名前?」


 そういえば、先生の名前ってなんだっけ。すぐに答えられない自分に驚いた。どうして先生の名前がわからないんだろう。一緒に暮らしていたのに。

 困惑した私を見かねて、青年は質問を変えた。


「それじゃあ、君の名前は?」

 それなら簡単だ。私の名前は。

「カナラ」

「そう、カナラ。自己紹介が遅れたね。僕はセイク。よろしく」


 セイクが手を差し出した。これは握手だ。初対面の挨拶。これは誰に教えてもらったのか、思い出そうと記憶を辿り寄せても靄がかかったようになる。先生の名前のときと同じ。記憶を辿ろうとすればするほど、糸が絡まったようにぐしゃぐしゃになって肝心な答えに辿りつけない。


「あ、帰ってきた」


 握手をしてから、セイクの視線は私の後ろへ向けられた。車輪の音が聞こえた。続けて軽快な馬の蹄の音がする。振り返ると、幌馬車がこちらに向かって来ていた。

 御者台に乗っている人物に心当たりがあった。手綱を引き、馬が止まる。茶色の目の男性が私を見下ろした。


「ヤシロ?」

 名前を呼べば、ヤシロは目を丸くした。

「誰かと思えば、カナ嬢じゃねぇか!」


 行商人のヤシロ。唯一、私が知っている森の外の人。定期的に生活必需品、時には珍品を運んでくる。焦げた茶髪に茶色の目、筋肉質な体格。背は高く、肌は健康的に焼けていた。年は二十六歳で、周囲から「そろそろ結婚したらどうだ」とせっつかれているらしい。故郷の話をおもしろおかしくしてくれる。遠い東の国からやってきた異国の茶色の商人。

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