3 悪い癖
「あれ、知り合いだった?」
「あぁ。月に一、二回は会ってる」
ヤシロには妙な訛りがある。これでも初めて来た頃よりだいぶまともになったらしい。火の神が住むとされる東の国『シンエン』には、二種類の公用語がある。どの国でも普及している共通語と『シンエン』独特の言語。田舎では後者のほうが使われているらしく、集落ともなれば共通語を話せない人もいるそうだ。
「元気だったか」
御者台から下りたヤシロの無骨な手が私の頭を撫でた。くしゃくしゃと髪を乱す雑な撫で方は、先生やしー兄とは違う。温かみがあるヤシロらしい優しさだ。
「うん、元気」
「そうか。身長、少しだけ伸びたな」
あまり背丈が伸びた感覚はないけれど、お世辞でも嬉しい。それに、ようやく知っている人に会えたのだ。知らないものばかりに囲まれて思ったよりも緊張していたらしい。肩の力が抜け、自然と笑みがこぼれた。
「ありがとう」
「よかった。ヤシロがカナラを知っているなら、家もわかるね」
何の話だと尋ねられ、セイクは私の事情を説明してくれた。森に住んでいるが道に迷ってここまで来てしまった。彼女と暮らす先生とシスイという人物を自分は知らない。ヤシロと知り合いのようでよかったと、簡潔に話してくれるセイクに付け加えるところはなかった。
「困っているみたいだからさ、その先生とシスイが住む家に送ってあげようよ」
「それは構わねぇよ。今日はカナ嬢の家に行く日だからな」
なぁとヤシロに同意を求められ、私は頷く。今日はヤシロが来る日。遅れる場合は鳥を飛ばして手紙で知らせてくれるが、今回は届かなかった。約束通り来てくれたのが嬉しくて跳ねてしまいそう。いますぐ幌馬車の中に乗り込みたい。あの中にはたくさんの商品がある。それこそ魔法みたいに次から次へとでてくるのだ。
ただ、しー兄はヤシロが来る日をあまり喜んでいなかった。ヤシロが来る日は、先生としー兄は部屋から出てこなくなる。理由を聞いても研究が忙しいからの一点張り。挨拶すらしようとしない。だからヤシロは、あの二人の顔を知らないままだ。
「……先生とシスイねぇ」
ぽつりと頭に降ってきた呟きに顔を上げれば、ヤシロと目があった。商売人特有の上手な笑顔を向けてきた。
「そうだな、それじゃあ」
気の抜けた音がした。具体的には、私のお腹から。そういえば、また朝食をとっていなかった。
「腹ごしらえとするか!」
朗らかにヤシロが笑う。ドアベルが鳴ったかと思えば、セイクがお店の扉を開いていた。
「どうぞ、可愛い空色のお嬢さん」
招き入れられ、赤面を隠すように私は店の中に駆け込んだ。
「宿駅?」
「貸し馬屋でもあるな」
宿駅は行商人や旅人たちが使用する宿泊施設だ。隣の馬小屋は貸し馬といい、次の宿駅まで馬を借りられる仕組みになっている。
ヤシロは自分の馬を休ませたいときに、貸し馬を利用するそうだ。先程もその帰り。自分の馬を預け、貸し馬で村に行商に行って来たのだ。
ちなみに、私の顔を思う存分舐めてきたのはヤシロの馬だった。
「カナラを知っていたから、あんなに懐いていたんだね」
宿駅はこぢんまりとした内装だ。一階が共有部屋で二階が客室となっている。招かれた共有部屋には、丸テーブルと椅子が乱雑に用意されていた。各々好きなように使っているらしい。暖炉の前で毛布に包まり、外套のフードを被ったまま船を漕いでいるおばあさんがいた。セイクは人差し指を唇の前に立てる。彼女は朝の一仕事を終えて休憩しているそうだ。
暖炉には、おばあさんが用意してくれた鍋と薬缶が鉤にかけられていた。本日の朝食は豆のスープ。薬缶にはホットミルク。保存食用の固いパンがひとつ。朝食をセイクは慣れた手つきでテーブルに並べてくれる。手伝おうと席を立てば、「いいから座って」と促された。
「マーガレットはお転婆だが、神経質なところがあるからな。知っている顔を見つけて安心したんだろう」
ヤシロの馬の名前は『マーガレット』。雌馬だ。
「私としては迷惑だったよ」
「動物に好かれるのは悪いことじゃねぇぜ?」
「そうかなぁ」
ホットミルクが注がれたカップは温かい。両手で包み込めば、掌にじわじわと熱が伝わってきた。口をつけようとしたところで、小瓶が置かれた。蜂蜜のラベルが貼られた小瓶に驚けば、セイクが席に座った。
「それ、ヤシロの奢り。ホットミルクは初めて? 蜂蜜を入れたほうがおいしいよ」
「おい待て、セイク。いつの間に俺の商品を持ってきているんだ」
「そういえば、カナラも見たかな。牧草で走っていた一頭。あの馬は気性が激しくてね。そこで眠る彼女の夫、この店の店主である彼が落馬しちゃったんだよ。それで腰を痛めてしまって、ヤシロが村の医者に診せる仕事も増えたんだ。あの馬、自由に走りたいだけだから放っておけば戻ってくるんだけどね」
ヤシロを無視して、私が来る前に起こった出来事を話し始めた。にこにこと話し続けるセイクに戸惑い、ヤシロに視線を送れば小瓶を指された。無視して飲めということらしい。
「セイクの悪い癖だ。ほっとけ」
スープを口に含むヤシロを見てから、私は小瓶の蓋を開けたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます