4 翡翠色の蝶
私の勘違い。セイクは宿駅の店員ではなかった。
違うよと実にさっぱりとした返答だった。
「エプロンをつけて、食事の用意に慣れていたから」
「あ、これね。これ。うん、そうか。エプロンってそういう効果があるんだね」
綺麗に完食したヤシロが苦々しい顔になる。
「こいつも俺と同じ、ここの客だ。今は大変ありがたいことに、旅の連れになっている」
「僕としては、一緒に旅をするなら女の子のほうが良かったんだけどね」
「俺も野郎なんざ願い下げだ」
仲がいいのか悪いのか、二人のやりとりを聞きながら残り少ないホットミルクを飲む。
行商人のヤシロはまだしも、セイクの目的はなんだろう。商売がら、ヤシロは怪しまれないように身なりには気を遣っていた。いつも身綺麗にしている。話によれば、いざというときの一張羅もあるらしい。それに対してセイクはそこまで気にしていない。外見だけでも目立つのに、服装は明らかに使い古しのものだ。エプロンにはところどころ汚れがある。染みにしてははっきりとした色がついているあたり、絵の具だろうか。
「ねぇ、セイクは」
「そんなことよりも、僕はカナラの話が聞きたいな」
遮られたかと思えば、私に話題を振られた。会話からだいたい掴めてきた。セイクはあまり人の話を聞かない。
「ね、だめ。空の子?」
小首を傾げられる。『空の子』と呼び名までつけられた。困った。どうしよう。ヤシロに助けを求める視線を振ると、頬杖を突いていた。面倒臭そうな表情をしている。
「カナ嬢。厄介な奴に好かれたな」
ヤシロの眼差しには同情が込められていた。
「こいつ、人じゃねぇぞ」
「えっ?」
「やっぱり気づいていなかったのか」
セイクを見返した。物珍しい白髪に薄紫の目。中性的で柔らかい端麗な顔立ちに、どこか抜けたような話し方。童顔の先生やつり目のしー兄と違う清らかな雰囲気を纏っている。でも、それだけ。外見は人にしか見えない。
他種族の話は先生から聞いていたけれど、実際に会ったことはなかった。人以外の種族は減少しつつある。種族によっては希少種と呼ばれる存在もいる。
「ちなみに、そこにいる彼女は獣人だよ」
「えっ!」
おばあさんは静かに眠っている。おばあさんもセイクと同じ。人と変わったところはない。
「俺が行商に行った村は獣人の集落だ。良くいえば保守的、悪くいえば閉鎖的な獣人の集まりだな。余所者を恐れるが作物は売りたいし、物は買いたい。それで俺のような行商人が必要になる。村の外に宿駅を作り、交代制で管理しているんだ。ここら一帯はそういった獣人たちが点々といるな」
「でも、街道に線路が敷かれるんだろう。蒸気機関車が走るようになれば、国から宿駅の撤廃の命が下る」
「行商を続けたい俺としても困るんだがな」
街道が線路になれば行商ができなくなる。駅舎が建たなければ村が孤立する。国は他の町や村に引っ越すよう勧告をしているが、嫌がる種族もいるのだ。
ヤシロは椅子の背もたれに腕をかけ、おばあさんに体を向けた。
「なぁ、婆さん。どうせ聞き耳を立てているんだろ。蒸気機関車が通ったらどうするんだ。そろそろ他種族と暮らす決心でもしたらどうだ」
返事はない。目を閉じ、ぴくりとも動かないおばあさんにヤシロは肩を竦めた。
「村まで運んだ爺さんにも同じ話をしたが、どいつもだんまりだ。今じゃどこも他種族と暮らすのは当たり前だろうに」
「滅ぶのを望んでいるからね」
穏やかに、淡々とも聞こえる口調でセイクは続けた。
「生き残るための変化を受け入れる種族もいれば、それを受け入れられない種族もいる。人は変化する生き物だ。発展性があるからこそ、ここまで数を増やしてきた。その血を穢しながら」
焦げ茶の目が眇められる。
「何が言いたい?」
「僕は事実を言ったまでだよ」
二人に険悪な空気が漂う。肌に刺さるような雰囲気に落ち着かず、空になったスープ皿に視線を落とした。これは、大人の、子どもが入ってはいけない会話だ。口を固く結び、目の前で行われているのに黙ってやり過ごす。
この光景をどこかで知っていた。一度だけじゃない。それこそ何度も見飽きるくらいに。そのたびにこうしてうつむいて、目の前の出来事から知らないふりをした。大人の会話だから私には関係ない。自分に言い聞かせて聞こえないふりをした。
話していたのは誰だっけ。
いつの間にか、スープ皿に蝶が止まっていた。橋を渡っているときに飛んでいた翡翠色の蝶だ。淡い光を纏った蝶は幻想的だ。ほろほろと落ちる鱗粉にまた惹かれた。今度こそ捕まえようと手を伸ばす。静かに、そっと、気配なく。
そうだ。綺麗な蝶を捕まえれば、あの人だって。
「ねぇ、あなた聞いているの! この子はまた嘘をついたの!」
苛立った女性の声音。ちがうの。私の発言は許されない。何を言ったってあの人に否定される。それならいっそ、何も言わないほうが。
「カナラ!」
顔を上げた。ヤシロとセイクが心配げに私を見ている。
「どうした。ぼぅっとしてたぞ」
橋を渡ったときもそうだった。誰かの声が聞こえて、気づいたら知らない場所にいた。頭痛がする。引っかかっているのに思い出せない。夜の底を手探りでかき回しているような、見えないものを探しているような感覚。
「そ、そうかな」
私は今、どこにいるんだっけ。今朝の記憶を辿る。いつものように起床して、しー兄と水汲みに行って喧嘩をした。しー兄を悲しませてしまった。そうだ。しー兄に謝らないと。先生としー兄のところに帰らなくちゃ。
私の大切な家族のところに帰るんだ。
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