5 夜の底から戻っておいで
「空の子、ちょっといいかな」
返事をする前にセイクは席を立っていた。端麗な顔立ちが近づけられる。緊張のあまり、ヤシロに再び助けを求めようとしたが動く気配はなかった。
「セ、セイクの種族は何?」
「
紛らわすために質問したところ、ヤシロから意外な答えが返ってきた。
「神使って」
「あ、空の子にとっては僕が初めての神使? 嬉しいなぁ。初神使だ」
穏やかな口調は変わらず、目が細められた。透き通った紫水晶の瞳に吸い寄せられ、その奥が揺らいだ気がした。
「紡ぎ唄うは水鏡。映し惑いて覗くもの」
魔法の唄が紡がれる。射抜かれたような痺れがあった。探られ、見られ、覗かれる気持ち悪さ。これ以上はいけない。知られてはいけない。暴かれてはいけない。隠さなければ。また底に沈めるの。わからないように見つからないように、深い夜の底に落とすように。
「目を見てはいけないよ」
頭の中で優しい声が響いた。よく知る声、先生だ。目隠しをされたみたいに視界が暗くなる。焦燥感が消えていき、徐々に呼吸が整う。
「これは絡まっているね」
セイクの呟きが聞こえたかと思えば、両肩に手を置かれた。
「ねぇ、空の子は精霊を見つけるのが苦手?」
耳元で囁かれる。頷くと笑った気配がした。
「もう大丈夫だよ。目をお開け」
目を開けるってどういうことだろう。私の視界は暗いのに。首を傾げると、セイクがあぁと納得した。
「そう、無意識だったんだね。カナラ、君は目を瞑っているんだ。瞼の開き方はわかるだろう。夜の底から戻っておいで」
瞼を開ける。先程の光景が戻ってくる。宿駅の共用部屋。丸テーブルと椅子が乱雑に並ぶ暖炉のある場所。セイクが傍に立ち、ヤシロは渋い顔だ。
「お帰り、カナラ」
「……ただいま」
反射的に答える。いい教育を受けているねと褒められた。
「セイク、何かわかったのか」
「魔法をかけられているね」
身に覚えがなかった。精霊が見つけられない私に魔法は使えない。そもそも魔法をかけられる理由がわからなかった。
「それもかなり高度な魔法だ。探ろうとしたら阻まれた」
「おい、それって」
「秘匿魔法さ。一歩間違えれば、僕たち神使の仕事になる。僕はあまり仕事をしたくないのだけれど」
神の使いと呼ばれる種族、神使。魔法協会から国が許可をだしていない高度な魔法を使用した場合、神様に罰せられる。その罰を与える存在が神使だ。種族の中でもっとも数が少ないが、長命であり、時には敬われ、畏れられる貴重な種族。
「空の子。身構えなくていいよ。君をどうこうしようとは思っていないから」
「大丈夫だ。カナ嬢。神使にもいろいろいるが、こいつは仕事に不真面目だ」
「不真面目」
セイクは照れ臭そうに頬を掻いたけれど、そもそもヤシロは褒めていない。
「本来はね、魔法云々で罰するのは僕たちの役割ではないんだよ。世界に影響がでたら困るから、掟を作っているだけ。そんなことをしなくたって、いずれ滅ぶものは滅ぶのだから構わないと思うけどなぁ。主君がそうしろっていうから」
神使が仕えるのは文字通り神様だ。風の少年、または少年王とも呼ばれる風の神様が住む国『エヴィレ』。この国に生まれたのなら、セイクは風の少年の神使だ。
「空の子に会ったときから違和感はあったけど、まさか僕を拒絶してくるなんて。面白いね。そっちに興味が湧いたよ」
「よし、セイク。今すぐにその興味を忘れろ」
「断る」
ヤシロが額を手で覆った。
「俺は関わらないぞ」
「それは構わないけれど、貸したお金をいつ返してくれるんだ?」
呻き声がした。恨みがましそうにセイクを見たあと、テーブルに伏せってしまった。力なく手を振る。了承してくれたのだ。このやりとりで二人の関係をなんとなく察した。
「空の子が暮らしていた森。ヤシロはその森に行ったことはあるんだよね?」
「まぁな。だが、俺はその先生とシスイとやらに会っていない」
ヤシロは対面していない。私の話でしか二人を知らない。
「なぁ、カナ嬢」
体を起こしたヤシロに呼ばれた。
「前から思っていたんだが、その先生とシスイって誰なんだ?」
「誰って」
先生とシスイは、私の。
「家族だよ」
「先生とシスイは血縁者?」
セイクに尋ねられ、首を振った。
「ねぇ、カナラ。僕の言葉をよくお聞き。君の本当のお母さんとお父さんはどこにいるのかわかる?」
「本当の?」
「そうだ。君の血縁者だ」
けつえんしゃ。まるで家族が血縁者でなければいけないような口振りだ。血の繋がりはそんなに大事なものだろうか。先生は父親だけれど実父ではない。しー兄も兄だけれど実兄ではない。それでも私の家族で大切な人たちだ。
本当の『おかあさん』と『おとうさん』って、なんだろう。
「私はあなたの母親なのよ!」
金切り声が背中に突き刺さる。あぁ、まただ。視界の端に翡翠色の蝶が映る。ひらひらと舞う蝶は私の後ろを飛んでいく。
いつの間にか、椅子に座っていたおばあさんが立っていた。
セイクとヤシロも気づき、おばあさんに注目した。
「守っていたんだ」
うつむき、外套のフードを目深に被った表情は窺えない。
「なんだ急に」
ヤシロが私の前に移動する。腰に差した火の国『シンエン』特製の刀の柄に手をかけた。不穏な空気に立ち上がる。セイクが肩に手を置いた。
「僕の傍にいて。彼女は精霊を呼び寄せている」
声を潜めて教えてくれた。
「そうしたいと、そうでありたいと、そうでなければ生きられないと泣いていたんだ」
淡々と話しだす。脈絡のない話に戸惑っていると、おばあさんは顔を上げた。
顔には何もなかった。
炭で塗りつぶしたような、影のような、真っ黒な固まりがある。鼻も口も目も眉も耳もない。その黒色は顔から首、手足へと浸食させ、外套を着た人型の黒い異形へと姿を変えた。
「これは、驚いた……」
セイクに緊張が走る。
「あれはなんだ」
ヤシロは刀を抜いていた。構え、睨みをきかせる。
異形の顔から、ぼたぼたと粘りけのある黒い液体が落ちた。
「久しぶりだよ、見るのは」
顔の、目に当たる部分に赤い光が宿った。
赤い目を持つ、濃厚な死を纏った存在。
それは。
「魔物だ」
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