3 妖精ラジオ

 夜の絵の具で空を塗りつぶした黒のお姫様は、夜を司る女神になった。生きとし生けるものに休息を与える時間をつくった。けれど、魔に属する自分の子どもである魔物には夜に眠れと命じなかった。


「どうして、黒のお姫様はそんなことをしたの?」


 眠りの時間を与えるなら、魔物にも与えればいいのに。そうすれば、魔除けの精霊の家を夜に吊さなくて済む。疑問を口にすれば、先生は間延びした声を上げてから、穏やかな口調で答えてくれた。


「きっと、命が欲しかったからだと思うよ」

「いのち」

「そう、命」


 私の胸を指し、先生は頷いた。


「それこそ、等しくあるものだ。始まりがあって終わるもの。それが命。どんなに長く生きたっていつかは必ず終わりはくる」

「ずっとはないの」

「うん、ないよ。どんなに望んでも。それはね、あってはいけないものなんだよ」


 永遠はあってはいけない。永遠があれば終わりが怖くないのに。どうしてそんな話をするのだろう。理解できない私の頭を撫でながら、先生は話を続けた。


「黒のお姫様は寂しがり屋なんだろうね。だから、魔物に命を狩りとってもらって、夜の底に運んでくるよう命じているんだ」


 なにしろ、黒のお姫様は今日もひとりぼっちだから。


「黒のお姫様に友達はいないの?」

「彼女はわがままだからねぇ」


 眼鏡の奥で先生は目を細める。


「神様は人々が忘れないために、七つの童話を落としたんだ。その一番目の童話が『黒のお姫様』。七番目の童話は、まだ見つかっていないらしいけどね」


 自分を忘れてしまわないように。覚えていてもらえるように。黒のお姫様は、一番忘れて欲しくない誰かがいたのだろうか。


「けれど、人は忘れる生き物なんだけどなぁ」

 質問しようと開きかけた口は、先生の呟きによって閉じられた。

「そうか、カナラは眠るのが怖いんだね」


 先生は膝の上から私を下ろし、腰を軽く叩きながら立ち上がった。「運動をしていないと凝るなぁ」と呟きながら、階段を上がっていく。先生の部屋から物を盛大に落とす音がしたかと思えば、妙なものを抱えて戻ってきた。


「これをあげよう」


 先生が運んできたのは、回転式の目盛り盤が二つ付いた木製の四角い物体だった。箱の上部には覗き窓があり、鉱物が設置されていた。青白い光が瞬く。精霊石だろう。

 始めて見るものに目を輝かせながら、テーブルに置いた先生の周りをぐるぐる回った。先生は箱に繋いであった黒色の耳当てを私の頭に被せた。


「これはヘッドホン。ここから声を聞くんだ」

 両耳がヘッドホンによって塞がれる。

「これなぁに」

「妖精ラジオ。妖精の声を聞く道具だよ」


 妖精は幻獣の一種だ。絶滅しつつある生物。痕跡は発見されているが、人の目に滅多に触れられない存在。竜や一角獣などが該当する。ずっと昔はたくさんいたらしい。人に寄り添うように。目にする機会も多かったと先生が教えてくれた。


 妖精は小人の姿をしていると図鑑で読んだ。幻獣の声が聞ける。嬉しさで跳ね上がる私に微笑んでから、先生は目盛り盤を回した。ヘッドホンからざーと砂が流れるような音がしたかと思えば、かさこそと囁く声が聞こえた。


「先生、これが妖精?」


 先生はヘッドホンを外すと、膝を落とし、目線を合わせてくれた。


「眠りの妖精にね、カナラのためだけに特別に優しい夢を届けてくれるようお願いしたよ。眠るのが怖くないように子守唄を歌ってくれるって」


 先生の黒色の目が私を映す。黒のお姫様が塗りつぶした夜と似た色をしているのに、よく見れば煌めくような暖かい光が灯っているように見えた。

 そうか。先生の目には星があるんだ。


「先生、ありがとう!」

「どういたしまして。ヘッドホンをつけてから、目盛りを回して妖精に合図を送るんだ。妖精にお願いしたあとに目を瞑れば、歌ってくれるよ」


 わかったと頷けば、先生も一緒に頷いてくれた。


「ねぇ、先生」

「なんだい、カナラ」

「先生の目は、お星さまが宿っているんだね」


 一瞬、先生は何を言われたのかわからなかったらしい。それもそうだ。幼い子どもの脈絡のない発言に驚いたのだろう。先生は目を潤ませ、口を片手で覆った。童顔がさらに幼くなる笑顔になり、私を抱き上げて頬をすり寄せてきた。


「そうかぁ、そうかぁ。うん、嬉しいよ。ありがとう。カナラを見守るお星様になれたらいいなぁ」


 今思うと、嬉しいときにするへにゃりと崩した笑い方は、しー兄とよく似ていた。



 あの夜を境に、眠るのが怖くなくなった。

 先生の言うとおりに、眠る前にヘッドホンをつけ、回転式の目盛り盤を回す。零から一、三、五と奇数に順番ずつ。そうして一周して零に戻れば、これが妖精への合図となる。精霊石がぴかぴかと点滅を始めたら、私はいつものお願いをするのだ。


「妖精さん、妖精さん。私が眠れるように歌ってください」


 布団に潜り込み、目を瞑る。かさこそと囁く声が徐々に歌声に変わっていく。けれど、その歌を私は知らない。起きたらどんな歌かも忘れてしまう。心地よかった。その感覚だけが残る。


 これを十四歳になった今でも続けている。

 妖精ラジオのおかげで眠れるようになったけれど、ヘッドホンをつけた状態はちょっと寝づらい。起きたら外れているのは珍しくなかった。無意識に取っていたのだろう。


 今朝もそうだ。ヘッドホンは枕元に置いてあった。片方の耳に当ててみるが何も聞こえない。妖精とは、夜しか歌わない約束をしたと先生が教えてくれた。


 ベッド脇のカーテンを開けると、眩しい朝日が目に染みた。空は私と同じ目の色をしている。今日も快晴だ。それでも春先の朝晩は冷え込む。一晩、体を温めてくれた湯たんぽはとっくに冷めている。布団に潜りたい誘惑を振り切り、ベッドから下りて壁に貼りつけた暦を確認した。日付の下に書かれた文字に、私はよしと気合いをいれた。

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