2 黒のお姫様

 妖精ラジオは今日も囁く



 幼い頃、先生から妖精ラジオをもらった。

 あれは、眠るのが怖いと相談した夜だった。


 この家に来てまだ間もない頃、幼かった私はいろんなものに怯えていた。この国では珍しい黒髪と黒目を持つ先生の黒色が怖かった。見張るようについて回るしー兄が怖かった。夜の森の静けさが怖かった。扉のノック音が怖かった。ベッドの下に何かが潜んでいる気がした。窓の外に誰かが覗きこんでいると思っていた。


 ただひたすら怖かった。

 特に夜が怖かった。頭から毛布をかぶり、瞼を閉じ、眠りを待つ。緩やかに眠気がきたかと思えば、夜の深い底に沈んでいく感覚に怯えて目を覚ました。私という存在が眠りで遮断される。明日になったら私はカナラではなくなるかもしれない。私が『私』を忘れてしまう。夜の底に落ちて、自分が見えなくなって、闇夜に溶けて自分がどこにいるのかわからなくなってしまうんだ。


 私はここにいるのに。

 ここにいるはずなのに。


 その夜も眠れずに、幼い私は階段を下りて居間に来た。掃除されずに石敷きの床に溜まった砂がじゃりっと鳴る。暖炉の傍で安楽椅子に座って読書をしていた先生は、起きている私を見て中指で眼鏡を押し上げた。これは先生の癖。困ったときにやる動作。


「カナラ、どうしたんだい」 


 私を安心させようとしたのか、不器用な笑顔をつくった。子ども心に、この大人は子どもの扱いが苦手なんだと悟った。


 先生は器用ではない。子どもみたいな大人だ。整理整頓ができなければ、料理の味付けも壊滅的。魔法生物の研究に没頭すれば人の話は聞かなくなるし、本にかじりつくのはもちろん、研究室から出てこないのは日常茶飯事。たまに森を散歩してくると出かけたかと思えば、帰り道がわからなくなってしー兄と一緒に探しに行くのは珍しくない。そのくせ、私としー兄にはとことん甘かった。実年齢は教えてくれないけれど、しー兄は結構老けていると言っていた。童顔のせいで幼く見えるのが悩み。


 一時期、髭を生やして威厳をだそうかと本気で考えていたけれど、しー兄に「似合わないからやめてください」と一蹴されていた。


 どうしようもない人。それが先生。私の義父。


 あの日の夜は、先生の黒色が不思議と怖くなかった。暖炉の炎に照らされた横顔はわずかに疲労の色が滲みでていた。研究はもちろん、不得意な家事をしようとして失敗していた時期だ。幼い私は後悔した。先生は疲れている。迷惑なら部屋に戻ろうか。迷っていると、先生は本を閉じて自分の膝を叩いた。


「おいで、カナラ。僕とお話しようか」


 先生の好きなところは、私を子どもだからといって見下さないこと。拙い私の話を真剣に聞いてくれるところ。温かい眼差しで、何度も頷きながら頭を撫でてくれた。眠るのが怖いと。自分を忘れてしまいそうで怖いと。怖いものがたくさんあると。ぽつぽつと不安を口にすればするほど、そのうちしゃっくりがでて、鼻水がでるようになった。目頭が熱くなった。頭がぼうっとした。これ以上、私を迎えてくれた優しい人たちに迷惑をかけちゃいけない。ぐっとお腹に力を込めて堪えれば、先生は私を抱きしめてくれた。 


「カナラは、七つの童話を知っているかな」

「知らない」

 首を振ると、そうかと柔らかい声で頷いた。

「神様がね、この世界に落とした童話なんだ」 


 どんな童話かと尋ねたら、『黒のお姫様』の物語を教えてくれた。



 昔々、あるところにお姫様がいました。

 そのお姫様はたいそうわがままで、欲しがりでした。甘いお菓子をたくさん食べたい。綺麗なドレスをたくさん着たい。ふかふかのベッドで眠りたい。その他にも魔法生物に触れたい、幻獣を見つけたい、精霊樹を独り占めしたいとたくさん王様にお願いしました。


 お姫様が可愛い王様は、欲しがるものをなんでも与えました。

 ある日、お姫様は白い月が欲しいと言いました。

 王様はこの注文に頭を抱えましたが、可愛いお姫様のためならと、天にも届く高いはしごを作らせました。


 お姫様は大喜び。

 すぐにはしごを登りましたが、白い月は空の明るさに隠れてしまいます。


 それなら暗い色に空を染めてしまえばいいと、お姫様は絵の具をつくりました。その絵の具は黒に似て、よく見れば薄い青がかかったような不思議な色をしています。覗き込むと吸い寄せられるような色でした。


 お姫様はこれなら空を暗くできるだろうと、はしごを登り、その絵の具で空を塗ったのです。

 すると、どうでしょう。

 白色の月が金色に輝きだしたのです。暗い色が苦手な太陽は隠れてしまいました。

 びっくりしたお姫様に、月が語りかけます。


「夜をくれてありがとう。わたしは太陽に輝きをとられていたんだ。あなたはわたしを欲しがっていたね。わたしをあげよう」


 欲しかった月が手に入る。お姫様は喜びましたが、あることに気づきました。欲しかったのは白色の月。金色の月ではありません。


「私が欲しいのは、あなたじゃない」


 すると、月は怒りました。金色ではなく血のような真っ赤な色に染まったのです。


「わがままなお姫様だ。夜の底に落ちておしまい」


 はしごが大きく揺らされ、お姫様は足をすべらせてまっさかさま。地上を通りこし、深い深い夜の底に落ちてしまったのです。


 落ちた瞬間、お姫様の白色のドレスは黒に染まりました。それはあの絵の具と同じ黒色でした。


 黒のお姫様は、今日も夜の底でひとりぼっちです。

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