2 紅玉の魔女

 魔女は魔法とは異なる予知能力を持ち、魔法薬に精通している種族だ。病を治すのが医者なら、呪いを解くには魔女がよいといわれている。

 だが、魔女は少ない。彼女たちの予見と魔法薬は心を惑わすものだと迫害がされた時代があったからだ。魔女を守るために『賢女』の称号を与え、国の要としたのが水の国だ。女王が統べる国は、いつしか魔女の国と異名を持つようになった。先生曰く、その国では魔女を賢女と呼ばないと怒られるそうだ。

 紅玉の魔女とはどんな人物なのだろう。ヤシロとセイクの知人のようだけれど、ヤシロの様子からしてあまりいい思い出がなさそうだ。

 例の紅玉の魔女は、三大都市のひとつ海上都市『メゼリア』にいる。都に到着するには二日かかる。今日は町に一泊することになった。

 旅の話題に、家族の話をして欲しいとセイクにせがまれた。もしかしたら、私にかかっている魔法の手がかりになるかもしれないからと。私は知る限り語った。ぽつぽつと話しながら自分の過去を辿るように。

 先生に引き取られたのは五歳の頃だ。その前の記憶はうろ覚えで、実の両親について尋ねられても答えられなかった。そもそも実の両親という概念すらなかったように思う。セイクに血縁者だといわれたとき、そういう存在もいるのかと納得したような発見したような妙な感覚だった。

 靄に似た何かが自分の奥底を溶かしているような、掴めそうで掴みきれないものが引っかかっている。ひたすらそれを辿ろうとしても思い出せない。視界の片隅に、翡翠色の蝶のきらめきが残っている気がした。

「カナラ」

 セイクに呼ばれる。無意識に難しい顔をしていたようだ。

「引き取られる前の話はしなくていいよ。今の話をしてくれないかな」

「うん、ありがとう」

 あの森の家にいた記憶ならちゃんとある。

 童顔の先生は不器用だ。最近はしー兄に身長を追い越されたのを気にしているのか、並ぶときは一歩前に出て自分を高く見せようとしている。たまには料理をすると言い出しては失敗して、黒縁眼鏡を上げて困った顔で笑う。服装に頓着がなく、洗濯のために集めた服を平気で着ようとする。本当に困った人。困った私の『父親』。だけど、私の未来のためにと懇切丁寧に何度も読み書きを教えてくれた。寝る前には必ず絵本を読んでくれた。

「先生はね、不器用だけど優しい人だよ。いつも見守ってくれた。大事にされているんだなぁって自覚できるくらいにね」

 魔法生物を研究している先生には、家の外に研究室という名の小屋があった。そこで採取した魔法生物を飼育している。世話は主に助手のしー兄の仕事。危険ではないものなら手伝うこともあった。実際は魔法生物の世話より、散らかった小屋の掃除をするほうが多かったけれど。

「研究経過をこまめに記録していた。私にはわからなかったけれど、聞いたら丁寧に教えてくれたよ」

「その研究はどうしていたんだ? 学会にでも発表しているのか?」

 ヤシロに尋ねられ、定期的にしー兄が鳩を飛ばしていたのを思い出す。鳩を飛ばした数日後に郵便配達員が受け取りにやってきた。

「研究が纏まったらどこかに送っていたみたい」

 そのときに金銭の受け取りもしていた。あれが我が家の収入源だ。保存食は地下室に備蓄し、菜園もあった。森でキノコや薬草を採り、川で魚を釣るときもあった。鹿や兎をしー兄が狩ってくる日もあった。それにヤシロがやってくる。冬の備えにさえ気をつけていれば、食料には困らなかった。

「どこに送っていたのか気になるところだね。ヤシロは知っていた?」

 ヤシロは首を振った。

「カナ嬢、その先生は出版はしていないのか?」

 そういえば、数ヶ月に一回、郵便配達員が小包を届けに来ていた。中身は学術書だ。分厚いときがあれば薄いときも、一冊のときもあれば数冊のときもあった。先生が仕事で使うものだと深く考えずに渡していたけれど、あの中のどれかは先生の本だったのだろうか。

 先生の本棚に収まっていた本を思い出す。好きに読んでいいよと許可をもらった本は専門用語ばかりで頭に入ってこなかった。それでも図解や白黒写真が面白くて時々眺めていた。思い出す限り著者名をあげていく。ヤシロが「高尚な学者の名前はさっぱりわからん」と呟いた。

「ちょっと待って」

 セイクに止められる。

「空の子、今の名前」

「クオン・アビリーニュ?」

 クオンの本は古書が多かった。装丁の表題が掠れているものがほとんどだったが、先生は状態がいいほうだと話していた。クオンの本は特に大切にしていた。思い入れがあるのかと尋ねたら、先生は懐かしそうに目を細めて頷いていた。

「知り合いなの?」

「あぁ、クオンには会ったことがあるよ。子どもの頃だったかなぁ」

「おいおい、セイクのガキの頃っていったら」

「そうだなぁ。二百年、いや、少年期は終わりかけていたから百年前かな」

 二百年と百年ではずいぶん差があるが、長命種の神使にとってはさほど問題ではないらしい。

「僕は神使では若いほうだよ?」

 そう言われても。苦笑する私にセイクは不思議そうな顔をした。

「百年前の本か。よくそんなもんを持っていたな。そのクオンっていう学者様はどんな功績を残したんだ?」

「功績を残すも何も、彼が最初に竜の研究を始めた人間さ。彼の残した書籍は竜殺しを導く結果になってしまったからね。魔法教会から焚書にされていると聞いていたけれど、そうか、あったのか」

 焚書は禁書だ。世界の魔法を定める権力を持つ魔法教会に知られたら罰せられるぐらい外に疎い私でもわかる。先生は犯罪者になる。もしかしたら、しー兄も私もそうなる可能性だってある。

「ごめんね、空の子。また怯えさせてしまったね。有能な学者ほど禁書を一冊ぐらい持っているものだよ。さして珍しい話じゃない」

「学者と魔法教会は昔から仲が悪いと決まっているからな」

「そういうものなの?」

「あれだ。カナ嬢。それぞれの立場ってやつだ」

 ヤシロがにやりと笑った。今はそういうものだと飲み込むことにした。

 それにしても、竜は幻獣だ。どうして先生が持っていたのだろう。

 専門分野ではないのに。

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