第3話 誰も知らないあなたの行方

1 白髪の神使は空を飛ばない

 幌馬車の中は薄暗い。

 商品が積まれた荷台で、私は両膝を抱えて体を丸めていた。額を膝に当てる。先程見た光景を頭の中で繰り返す。私にかけられた魔法。翡翠色の蝶。宿駅に現れた赤い目をした異形。そして、しー兄の姿。しー兄が、シスイが、魔物なのだろうか。そうじゃない。でも、そうかもしれない。答えのでない疑問を何度も繰り返している。

「カナ嬢」 

 呼ばれた方向に視線を動かす。御者台に座るヤシロの後ろ姿があった。先生としー兄とも違う体格のいい大きな背中。行商人になる前は傭兵だったらしい。焦げ茶色の頭は振り向かずに前を見ている。

「見つからない答えだけを、求めるのは止めておけ」

 思考を読まれていた。ヤシロの背中を視界から外せば、斜め向かいに座っていたセイクに微笑みかけられる。

「想像力を働かすのはいいことだよ。でも、今は確証を得ていない。空の子、そのままでは不安に押し潰されてしまうよ」

 わずかに頷くと、セイクは頷き返した。

「だから僕たちは、確証を得るためにある人物に会いに行く。そうだろう、ヤシロ?」

「あいつに会うのは、あまり気は進まんがな」

 ヤシロはわざとらしい大仰な溜め息をついた。

「全く、連れの神使さまはいつも妙なことに顔を突っ込みたがる。だが乗りかかった舟だ。カナ嬢、付き合うぜ。その代わり、あとでしっかり請求するからな」

 幌馬車が向かう先は決まっている。迷いなく進む蹄と車輪の音が今は心強かった。

「……ありがとう」

 すっかり渇いた喉からようやくこぼれ落ちた言葉。簡単に聞き逃してしまいそうな声量だったのに、二人には届いたらしい。

 私にかけられた魔法が何なのか、解くべきものなのか。

 先生としー兄が何かを隠しているのなら、私は知らなければならない。

 守られているのは、わかっていたから。

 二人が大好きだから、私は知りたいんだ。

 あのとき、宿駅から脱出した私たちは急いで幌馬車に乗り込んだ。追っ手はなかった。緊迫した宿駅とは違い、外は拍子抜けするような長閑な空気が流れている。危険はないと判断したセイクは荷台に座り、私に疑問を投げた。

「それで空の子。君はどうしたい?」

 頭の整理が追いついていなかった。現実を受け止めきれない私にセイクは続けた。

「ねぇ、空の子。君はあそこにいたのが誰なのかわかっているね」

「知ってる」

 声が震えないよう抑えるのが精一杯だった。 

「どこまで知っているのか、聞いてもいい?」

 口調は穏やかでも拒絶をさせない固さがある。神使としてセイクは怒っているのだろうか。もし、あの魔物が本当にしー兄なら私は二人を巻き込んでしまった。二人は関係ない。きっとこれは私の問題だ。

「ごめ」

「謝るな」

 割って入ったのはヤシロだった。御者台で手綱を握る彼が、どういう表情で道を見据えているのかわからなかった。

「セイク、怯えさせるな。こいつが何も知らないのはわかっているんだろう」

「空の子には魔法がかかっている」

「それがどうした」

「先程のあれを忘れたとは言わせないよ。空の子がよくないものと関わっているのなら、かけられた魔法と関係があるのかもしれない」

 気まずい沈黙が流れる。私は息を吸い込んだ。

「馬車を止めて」

「は?」

「え?」

 二人分の驚いた声が重なる。

「もしあの魔物がしー兄なら、これは私の問題だもの。しー兄に会ってどういうことか話を聞いてくる。巻き込んでしまってごめんなさい。だから馬車を止めて。来た道を戻るから」

「へいへい、俺たちには関係ないね。関係ない。あぁ、そうだとも。俺は関係ない。だが、カナ嬢。あそこにいたしー兄とやらが本物のしー兄ではなかったらどうするつもりなんだ?」

 疑問の意図に気づいた私に、ヤシロは意地悪な顔で振り向いた。

「なにしろ、あれの最初の姿は獣人の婆さんだった。変化の魔法を使った可能性もある。まぁ、魔法の解析は俺はさっぱりだからわからんが。それでだ。お前が来た道を戻ったとする。先程のあれと会ったとしよう。だが、あれがしー兄に化けた偽物だったらどうするんだ?」

「それは」

 私には魔法が使えない。身を守る武器もない。無防備な状態だ。先程は二人がいたから怪我を負わずに済んだ。そのくらいわかっているつもりだ。こうしている場合じゃないのに、無力で無知な自分が歯がゆい。

「僕は魔物だと言ったけれど、あれが本物の魔物であるかはまた別だよ」

「魔物じゃねぇのか」

「いやぁ、突然の襲撃だったからね。解析はできなかった。僕もそこまで得意じゃないし、平和主義者だし、のんびり絵を描いているほうが好きだし」

「セイク」

 脱線したセイクをヤシロが呼び止める。「わかっているよ」とセイクは穏やかに応じた。

「うん、あれは確かに魔物だったよ。姿形ではね。だけど、本物の魔物かどうかはわからないんだ。室内とはいえ、太陽が昇っている時間に黒の姫君の愛し子が現れるなんて聞いたことがない」

 魔物は夜に属する存在だ。ぱっくりと食べられてしまわないために、夜に魔除けの精霊の家を吊す。宿駅の室内は外に比べて薄暗かったけれど、夜の暗闇とは全く別物だ。

「でも、日の光を避けていたよ」

 室内を覆った黒色の蔦は、窓から差し込む陽光を避けていた。扉からは逃げられない。だから私たちは窓を割って脱出したのだ。

「うん、空の子の判断は正しかった。偉いね。ありがとう」

 先生としー兄に何度も褒められたはずなのに、未だに慣れない。気恥ずかしくなり、セイクから目を逸らした。

「どういたしまして。全員、無事でよかった……」

「ちなみに、あの蔦は夜の魔法だよ。夜の精霊を集めた魔法。黒の魔法とも呼ばれるね。夜の魔法を唄を紡がずに発動させる存在なんて、僕は魔物しか知らなかったから本物かと思ったんだ」

 精霊には属性と色がある。炎は紅、水は紺、風は碧、地は茶、朝は白、夜は黒と認識されている。それぞれの属性を司る神様も精霊と同じ色を持っているとされ、各国は神様に合わせた国旗の色になっている。例えば、風の国『エヴィレ』。風の神様がいる国の国旗の色は碧緑へきりょくだ。

「精霊石を使ったのか?」

「夜の精霊の精霊石を使ったってこと? 確かに精霊石があれば精霊を見つける手間が省略できるけど、高度な魔法を使うには多くの精霊を見つけなければならない。それに、あの蔦の空間は唄を紡いでいなかったから」

「あー、わかった。わかった!」

 ヤシロが投げやりな声を上げ、話を中断させた。片手で自分の後頭部を乱暴に掻く。

「聞いた俺が悪かった。俺は魔法に疎い。護身魔法程度しか知らないただの行商人ですよっと」

「僕もそこまで専門的じゃないよ。こういうときは知恵を借りにいくのが一番だ」

「知恵って?」

 セイクは私の質問にのんびりと答えた。

「魔女だよ。とびきり美人の紅玉の魔女さ」

「マジかよ……」

 肩を落としたヤシロの背中が猫のように丸まっていた。


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