政之助は無駄だとわかっていたが、まずは把握している新太郎が身を寄せそうな所に足を伸ばした。けれども、その姿を見つけることはできなかった。

 新太郎の役者仲間に形振りかまわず、話しかけようとして喜助に止められた。

「闇雲に動き回るとろくなことにはなりません。旦那様ならわかるはずだ」

 政之助は、御庭番十七家のひとつ、倉地家の当主だ。その地位に相応しい器量を持っていた。ただ、お仙に関しては冷静さを欠く。

 喜助はこのまま政之助が自我を忘れ動き続けると、倉地家の存亡に関わると、切られる覚悟で止める。

「わしが聞いてまいります。旦那様はお屋敷でお待ちください」

「ならん。私は屋敷になど戻らぬぞ。お仙の無事がわかるまでは」

 新太郎を餌に、もしくは新太郎自身がお仙を襲った可能性がある。争った後はいやおうなしでも残る。それが見つけられないということはかどわかされた可能性が高い。しかし、どこかですでに殺されているかもしれないのだ。政之助はじっと屋敷で待つなど耐えられそうもなかった。

 後悔するのは、お仙を止めなかったこと。すでに彼女の情報で倉地家はいくつかの功を上げている。銭を失ったもの、地位を失った者が逆恨みして、その道の者に調べさせればお仙と倉地がつながっていることなどすぐにわかることだった。そしてお仙が危険に晒されることも予想できたはずなのに。

 政之助は自責の念に駆られ、歯ぎしりする。硬く握りしめた手の平は切れ、血が滲み出た。

「旦那様。おねえげえします。黙ってこちらに隠れていらしてください。わしが聞いてまいりますから」

 政之助が表立って行動をすることは倉地家、御庭番全体にも影響がでる。喜助は己に任せるように説得を試みた後、背後をさりげなく気にしながら芝居小屋に入った。

 すでに喜助は一度関係者に尋ね回っている。不信感を抱かれないように、もっともらしい言い訳を垂れながら、新之助の行方について尋ねる。

 政之助は、居てもたってもいられなかったが、急かす心をどうにか落ち着かせ、喜助の姿を眺める。すると不審な女が目に映った。その女はそろりそろりと背中を向けている喜助から離れ、ある程度の距離を取ると走り出した。

 関係ないかもしれない。だが、政之助はその女を追った。

 町を外れ、人気がない場所。辿り着いたのは川辺の掘っ立て小屋だった。

距離を置いて追跡しているため、引き戸でなにやら女が騒いでいるが、声が聞こえない。だがしばらくすると、着物を着崩した新太郎が引き戸を開けて現れた。

『騒ぐんじゃないよ。誰かに付けられてないだろうね』

 彼の唇の動きから言葉を知る。

 女は興奮していたが、横向きの顔からその唇の動きを読んだ。

『新さん!お前さんを探している男がいるんだ。そんな女、早く捨てちまいな』

 二人のやりとりで、一気に政之助の頭に血が上る。

 乱れた新太郎の着物、けだるい様子、それらから小屋の中で何が行われているか想像がつく。

「新太郎!」

 政之助は刀を抜く。

 そして走った。

「ひぃいい!」

 女は関係がない。

 けれども政之助は迷うことなく、女を切り捨てる。 

「なっ、あんたさんは!」

 新太郎の体が女の血で染まる。

「死ね」

 政之助は一筋で新太郎の首を跳ねた。

「だ、旦那様!」

 喜助が到着した時には、すでにすべてが終わっていた。

 だが倉地家当主の目付け役の彼は周りを見渡し、この場をどう片付けるかすぐに算段を始める。

「お仙!」

 刀についた血糊を地面に崩れ落ちた新太郎の着物で拭き、鞘に収めると政之助はすぐに小屋に飛び込んだ。

 あられもない姿をしたお仙の姿が目に入る。帯は剥ぎ取られ、辛うじて着物は身に着けていたが、はだけており、その乳房が露になっていた。しかし恥じる様子もなく、お仙は焦点が合わない視線を政之助に向けていた。

「阿片か!」

 ひどく甘い匂いが鼻につき、それだけで気分が悪くなる。

 政之助はお仙を抱きしめるが、彼女は無反応だった。

「旦那様。籠を準備いたしました。お仙をその中へ。旦那様もすぐに屋敷へお戻りください」

 こんな状態のお仙を一人にさせておきたくはない。しかし喜助の必死の様子、己の立場を思い出し、政之助は彼女の着物を正し、帯を簡単に締めると、どう手配したのか早々とやってきた籠の中にお仙を乗せる。

「頼んだぞ」

 陸尺は見知った者で、政之助の言葉にしっかりと頷き、籠を担ぐとすぐに出立する。

「旦那様はこれに着替えてください」

 喜助はこれもどこで手に入れたのか、新しい着物を政之助に渡した。返り血を浴びたままでは目立つこともあり、着替えを済ませると喜助に急かされるまま、帰路についた。


 それから二月(ふたつき)、政之助は突然お役目から抜け出し、屋敷に戻ったということで謹慎処分。これは半分は仮作したものだが、父の力にも頼り、一月(ひとつき)で済むところを二月(ふたつき)の謹慎処分にしてもらった。その間、政之助はお仙の治療に専念した。

 一度や二度吸っただけでは、その症状は軽い。しかし、知らぬ間に新太郎に陵辱された記憶を時折思い出すようで、お仙は何度も政之助に死を願い出た。

 お仙が新太郎によってかどわされたこと、新太郎が政之助に殺されたことなど、全ては闇に葬った。その後の調べでお仙のかどわかしには、実行犯が他にいた。お仙の動きを知り、それを封じたい輩が新太郎を唆し、結託してお仙をかどわかした。政之助は真正面から殴り込みたい気分であったが、旗本までつながる身分であったため、ひとまず将軍預かりの案件になり、今の所追加の命は出ていない。

 政之助はこの件を考えると腸が煮えくり返りそうになったが、夫婦となったお仙が政之助を諭した。

 お仙が襲われたこと、もともとお仙が己の許婚であることを上げ、政之助は父を説得し、お仙を同じ御庭番の馬場家の養子に入れ、武家の娘として嫁に迎えた。

 しかし、町では「お仙が突然姿を消して、新太郎が田舎に帰ったこと」から、「お仙が新太郎と駆け落ちした」などと噂が流れている。

 政之助はその度に嫌な思いをしたのだが、真相を語ることはなかった。


「お仙」

「旦那様」

 あの事件から三月(みつき)後、夫婦となった二人は庭に生えている大きな桜の木を見上げていた。

 鍵屋お仙であった時とは意味合いが違う「旦那様」。同じ響きなのに、そこから感じる想いが異なることに政之助の心が喜びに満たされる。

「お仙。そちは今お幸せか?」

「はい。もちろんですとも」

 その問いに、お仙は笑顔で即答し、政之助は己の動揺を誤魔化すように顔を背け、夜空を見上げる。

 そんな照れた政之助の姿を微笑ましく思いながらも、お仙も同様に空を仰ぐ。

 今宵は満月。

 夜にしては明るい空に丸い月がぽっかりと浮かんでいた。

「よい月夜ですとも」

「うむ」

 政之助はお仙の肩を引き寄せる。

 一度は失ったと思った愛しい女、今度こそ家のためではなく、己のために生きて欲しいと願う。

 江戸の男を虜にした鍵屋お仙、 笠森稲荷の境内の茶屋から、笠森お仙とも言われる当代きっての美人娘。

 突然の失踪から様々な憶測が流れ、いくつかの物語が作られた。

 しかしその手を最後に掴んだのは、幼馴染でもあり許婚でもあった倉地政之助満済であった。


(完)

 

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笠森お仙 ありま氷炎 @arimahien

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