第6話 お址(あと)が虚しいようで

 言葉にしたところで一笑に付されるだけの物事は、絶えずこの世に在るものだ。

 しかし、それを敢えて言葉で表現せざるを得ない状況に直面した時、きっと僕は感動する。


 それは言うなれば、パズルのピースが同心円状に組み上がっていくような「おお」という驚嘆に近く、そして夏休みの自由研究に窮した小5の弟が8月28日から三日三晩並べ続けたドミノを蹴倒した瞬間のような「ひょー」という快感にも似ている。


 実際に「ひょー」と締め殺される鶏のような声を出したのは1時間前の弟だったが、僕も腹を抱えて笑いながら同じ音を思っていたのだから、これは紛れもなく兄弟の絆であろう。


 そんな縁の体感確認と最適な行動のシミュレーションを終えた僕は、前脛骨筋その他を使用した瞬発力特化型運動への予備動作を起こしつつ1階玄関までの最短ルートを脳内に立ち上げ、15秒後には温かい我が家からの脱出を敢行したのであった。

 夕食のハンバーグという犠牲はあまりにも痛かったが、生命活動なくしてはあの肉汁を味わうこともできないのだから致し方ない。


 全力疾走、そして数度の後方確認。どうやら僕の俊足に弟は恐れをなしたようだった。中学生ともなれば50メートル12秒フラットで駆け抜ける瞬発力は当然のことだ。小坊は大人しく運動会の学年リレーでも走っているがよい。


 いつも半裸の親父が打ち捨てられているスナックの前を駆け抜けた辺りで、僕はいきなり前方に押し倒された。それは弟の追随を許したからではなく、唐突にぼかぁんと爆ぜた夜陰の音にびびったからに他ならない。恐らく僕の下着はしとどに濡れているであろう。


 打ち付けた顎をさすりながら我が家の方を見やると――いつの間にか地区境まで駆けてきたようだったが――夏休みにちょっと気になるあの子と観に行った星間戦争の現場もかくやという惨状がそこに広がっていた。


 体育館の壁に森山(うちのクラス一の巨体だ)が決死の体当たりを食らわせて破壊した5時間目のような轟音。表皮をじりじりと舐める、あの日トイレ代わりにした焼却炉のような熱気。

 僕の家の面影は土地単位で割と跡形もなく、麗しき爆心地の様相を呈している。


 祇園精舎の鐘も沙羅双樹の花も涙を流して咽ぶこと請け合いだが、この時の僕はそんな感慨に浸ることもすっかり忘れて、ただ空を眺めるしかできなかった。


 あ、オリオン座だ。その隣に舞っている黒い切れ端は僕の学生服だろうか。


 否、ばさりと足元に落ちてきたそれは、変わり果てた僕の最愛の彼女であった。色白巨乳のいけない家庭教師だったはずだが、ベッド下に追いやっていた間にすっかり焦げ肌の炭ギャルと化して見る影もない。


 小学5年にして「復讐」という概念を身体で表現した弟に僕は深い敬意を抱いた。

 これは差詰め僕が定期購読していた某誌の粉塵爆発コレクションを使ったのだろう。


 しかし、すぐに僕は落胆した。たまたま側溝で寝ていた父親によると、奴はあろうことかプロパンガスのボンベを叩き割り火炎放射をかましたのだそうだ。

 不出来な弟だ。せめて知育雑誌に付いていた核キットを使うくらいのことはしてもいいだろうに。


 ふと、膨らむように爆散する轟炎の中、濃紺の星空に向かって飛んでいく白いものが見えた。

 それを視認し、認識し、理解した瞬間、僕は身体を突き抜けるような感動に震えた。

 燃える家の前でサンオイルを塗ろうとしていた母も、側溝の穴からいろんなものを出して逮捕された父も、ドミノと運命を共にした弟も、こんなことを言えばきっと笑うだろう。


 けれど、たとえありきたりだと笑われても、どんなに後ろ指をさされても、胸を張って、前を向いて。


 そうして、僕は何度でも言うだろう。それがきっと、僕に与えられた使命なのだから。


 僕は叫ぶ、声の限り。なにせ文字通りなのだから。


 ――布団が吹っ飛んだ。

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