67:永遠の花嫁
酸素は薄く、気温も低い。
全てが凍りついて、死に絶えるような超高空。
地球という世界と、宇宙という異世界が触れ合う狭間で。
あの女は、純白のドレスを纏っていた。
肩と首元が大きくはだけ、スカートがふんわりと広がったそのドレスは――どう見てもウェディングドレスにしか見えない。
例え腹のあたり血の染みが広がっていても、その清廉さは揺るがない。
手にはブーケではなく、長大な槍が一振り。
切っ先から石突きまで、全てが金色に輝くその槍こそがグーングニル。
例え幾度防がれ折られようと、何度でも蘇り、持ち主に勝利をもたらす奇跡の器。
顔には深い傷が一筋。腕にも、肩にも――細い身体にはくまなく戦いの軌跡が刻まれて。
それでもなお、柔らかな笑みを浮かべていた。
「あなたをずっと、待っていました。私の元に、帰ってきてくれる時を」
彼女は、チアキ――
数千年、あるいは数万年の時をかけて、
「……なあ。ダメ元で頼むんだけどさ。もし俺のことを思ってくれてるなら、この
「ふふ。相変わらず冗談がお好きなんですね」
その微笑みは満開の百合のように、たおやかでしどけない。
こんなに素敵な女性を残して死ぬなんて、昔の俺はどれだけの間抜けだったんだ。
……そうなんだよ、ビックリしただろ?
実は、俺はファンタジーな異世界で生まれた超ウルトラスーパー強いチート魔法使いで、何故かすべての記憶と能力を捨てて、この世界――地球に転生して来たんだって。
信じられる? 俺は未だに半信半疑だよ。
というか、前世の自分が絶大な魔力を使って世界を支配して最高のハーレムまで作り上げた超絶ド外道鬼畜魔王だったとか、絶対信じないからな。
大体もし俺がソイツだったら、ハーレムを手放そうなんて思わないし。
「ある意味ブレてないよね、清実ちゃん」
(やめてくれマジで)
まあ過去の俺の悪行なんて、今更どうでもいい。
記憶も身体もないのに『同じ魂』とか言われたって、オカルトも大概にしとけって思うだけさ。
俺の命は昨日食べたハンバーガーで出来てるけど、そのハンバーガーがこれまで犯してきた罪をつぐなわなきゃいけないって思うか?
(なんてトボケた所で、チアキは納得しない)
そんな簡単に消える執念で、数万年も生きられるはずがない。
(だとすれば――どうやって阻止するか、だ)
鍵はグーングニル――正しくは、かつてグーングニルと呼ばれていた槍だ。
オーディンの手から奪われ、数多の異世界を旅する彼女によって、ありとあらゆる世界の技術を以て鍛え直された秘宝。
遍く生と死を超える奇跡。
時をも揺り動かし、世界の根幹を揺るがす神器。
(運命を約束する力。それがグーングニル)
俺が必死こいて集めてきた、運命を変える力――『変革力』と似ているけれど、ちょっと違う。
運命を約束するグーングニルの力は、結果的に全世界を一つにしてしまう。
まあ、ざっくり言えば。
俺の力はガチャを引き直す力で、彼女の力はガチャのシステムを改変して目当てのSSRだけをゲットする力、って訳だ。
どっちがより凶悪なチートか、分かるだろ?
「ねぇ。思い出しませんか? 私達が出会って間もない頃――あなたはこうして空の果てまで私を連れてきてくれましたね。あの時の感動、私は一瞬たりとも忘れたことはありません」
そりゃロマンチックな思い出だな。
さも、俺も憶えてるでしょ? みたいに話されると、なんかゾッとするけど。
「大丈夫。もう一度、思い出させてあげますから」
チアキは笑い。
彼女の手の中で、グーングニルが蠢いた。
べきべきと音を立てて変形して――彼女の腕から左胸までを、全て飲み込んでしまう。
(なるほど、そうやって海底から生き延びたって訳か)
肉体を――もしかすると魂すらもグーングニルに捧げて。
ただ願いを叶えるためだけの器となって。
突き出してきた黄金の槍は、正確に俺の心臓を狙ってきた。
もちろん俺は避けたが――避けた分だけ、蛇のように変幻自在の槍が追ってくる。
(ヤバい、ますます速くなってやがる――)
俺をもう一度『魔法使い』に転生させるために。
彼女は、グーングニルで俺を殺すつもりだ。
この
チアキが槍を操る技術は、前回の時点でとっくに人間の領域を超えていた。
多分、ウーさん――何千年と戦い続けてきた中国武術の神だって敵わないレベル。
俺が避けられたのは、今まで手に入れてきた色んなチートのおかげだ。
それでも傷を負わないのが精一杯で、反撃の糸口はまるで見いだせない。
(クソ! 急がないと世界が全部溶けて固まっちまうってのに!)
「大丈夫だよ! がんばれ、清実ちゃんっ」
いつもシンドい時に支えてくれたブリュンヒルデの声。
でも、今回ばかりはどうにも厳しい。
――彼女のような神々は、グーングニルには抗えない。
結局の所、運命とは神々そのものであり、グーングニルはそれを改変するものだから。
もしも黄金の槍に触れれば、ブリュンヒルデは一瞬にして消滅してしまう。
本当なら、近づくだけでも危険なのに。
ブリュンヒルデは愛用の槍で、グーングニルの一閃を跳ね除けてくれた。
翻った銀髪は、まさに夜空の星々のごとく美しい。
「清実ちゃん――清実ちゃんが今までやってきたことは、何?」
ブリュンヒルデの問いかけに答える間もなく、グーングニルの切っ先が俺の喉笛を掠めた。
痛みと苦しさに悶絶しそうになる。
「どうしたんです、大賢者様! “
「クソ、知るかよ。
必殺の魔法勁を放とうにも、触れることさえできそうにない。
あるいはグーングニルが、その運命を破棄しているのかもしれない。
ウーさんが根気よく教えてくれた戦いの技も、雷神ティールが気まぐれで与えてくれた究極魔法“
俺が立ち向かうことすらも。
全ての運命が、チアキの手の内にあるのだとしたら。
一体俺は、何のために?
「そうじゃない。違うよ、清実ちゃん」
ブリュンヒルデの声。
「今までと何も変わらない。相手が誰でも、どんなヤツでも――清実ちゃんは変わらない」
いつもそばにいてくれた、彼女の声が。
「清実ちゃんはいつも運命を変えてきた。どんな悲惨な死も、どんな辛い生も、変えてきたでしょ――そうやって誰かを助けて、自分を貫いてきたじゃない!」
俺の背中を押してくれた。
いつかの日――誰かを救えと、俺を走らせてくれたときのように。
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