61:悪意との対決(ただし全裸で)

 私立木之花女子高等学院において、『Kana』こと花井香奈は決して目立つ存在ではなかった。

 いや、歯に衣着せぬ言い方をすれば、極めて地味な存在だっただろう。

 成績も人並み、素行は悪くないが良くもなく、友達付き合いも控えめで、外見さえもこれといって特長のない素朴さ。


 全国から成績優秀者、あるいは一芸に秀でた個性的な生徒を募ってきた学院において、言わば彼女は「透明な存在」だった。

 誰から注目されることもなく、顧みられることもなく。


(そんな 彼女が、まさか『悪霊』を操ってるなんて、多分誰も考えなかっただろうな)


 だが。

 今度こそ俺達は見逃さなかった。


『Kana』が何かを小さく呟き、胸に手を当てたところを。


「――来るよ、『悪霊』!」


 異世界からの扉の開放は一瞬。

 その僅かな隙に、真っ黒な影はこちらの世界へと滑り込んできた。


 文字通り、一切の光を吸い込む黒く凝った闇は、目にも留まらぬ速さで俺へと襲いかかってくる!


(読み通りだ――単細胞めッ)


 これまで『悪霊』は、全てチカコに罪を着せてきた。

 翻せば――チカコに罪を着せられる状況なら、『Kana』はきっと『悪霊』を仕掛けてくる。

 ましてや、『Kana』自身の立場すら危うくする人間が現れたとなれば。


 飛び込んできた黒い影が、俺を突き飛ばす。

 狙いは転倒だろう。

 事故にも見えるが、悪霊のせいにも見える。そんなギリギリの攻撃。


 だがそんな腰が引けたヤツにやられるほど、俺はヤワじゃない。


(ウーさんの一発に比べれば、子供に撫でられたようなもんだ!)


 濡れたタイルの上を滑る足を、初級魔法、電磁吸着エレクトロマグネットで強引に静止させる。

 かすかな漏電が、足元でスパークした。


 さらに吸着の反動で体重を制御しながら、胸を押してきた――そう、間違いなく人間を模した腕を掴むと、肘を逆側にねじりあげる。


「――――ッ!!」


『悪霊』があげた、言葉にならない悲鳴。


(よし、捕らえたッ)


 今だ、頼むブリュンヒルデ!


「ハイ、あらよっと」


 ブリュンヒルデが手にした長槍で――恐ろしいほど精緻な細工が施された美麗な穂先で、『悪霊』が出てきた扉を撫でる。


 瞬間。

 まるでガラスが砕けたような、ささやかな音がして。


「――そんな!?」


 狼狽する『Kana』の眼前で、扉は消え失せた。


「あ~、この解除式で行けるってことは、やっぱり降霊魔法だね。まだこの世界に魔法が残ってたなんて、ビックリしたよ。あれかな? どこかに魔法書とか眠ってたのかな?」

(知るか! 分析は後にしてくれ!)


 とにかく、これで呼び出された『悪霊』は還る場所を失った。

 これまでのように影だけを残して消えることは出来ない。

 初めて白日の下(というか蛍光灯の下)に晒された、その姿は。


「……かなっち? え、なにこれ――黒かなっち?」


『りかぴょん』が言う通り。

『Kana』こと花井香奈そのものだった。


 ただ、その髪も、肌も、相貌も、両目すらも、全てが黒く塗りつぶされているだけで。


「……ようやく会えたわね、『悪霊』」


 呟いたのは、チカコ。

 俺は捕まえた『黒Kana』を床に押さえつけながら、直感が裏付けられたことを確かめた。


「どおりで姿を隠したがるわけだね。見られたら一発アウトだもん」


 ブリュンヒルデの言う通り。

 そもそも、ただの悪霊なら、そこまで必死に姿を隠す必要もなかった。

 絶対に見られたくなかったのは――姿こそが最大の弱点だったから。


「て、てゆ~か、これ、なに~!? かなっちが、二人~? 双子? え、ありえなくない!?」


 混乱する『りかぴょん』に降霊魔法のことを説明しようかとも思うが、まあ、そんなことは後で良い。

 ただ、「どうやら『Kana』が黒幕だったっぽい」という印象が刻めれば、それで十分。


(『潰す会』と同じやり口だ――空気・・さえ作れば、冤罪は晴れる)


『りかぴょん』はその為のスピーカーになってくれれば、それでいい。


 チカコが、ぺたりと一歩を踏み出した。


「花井香奈さん。あなた、この『悪霊』とどういう関係なの? どうしてあなたそっくりの『悪霊』が、来香を殺そうとしたの? 答えて!!」


 大浴場に響き渡る、詰問の叫び。

『Kana』は、ばしゃりと音を立てて、湯船から立ち上がり、


「違う! 殺そうとなんてッ、ただ転んでッ、怪我でもすれば、それで――」

「そう。それじゃ認めるのね。この『悪霊』は、あなたの命令で動いてるってこと」


 あっさりとボロを出した。

 いやー、助かる。そこが一番、証明しづらいところだったからな。


 チカコが身体に巻いたタオルの中、胸の谷間からスマホを取り出した。

 俺が用意した防水仕様のスマホには、録音アプリが作動している。

 一人になった時、できるだけ稼働させておくようにお願いしていたものだ。


「正直に話してくれて助かったわ。あなた、本当は悪い人じゃないのかしら」

「い、いや、ち、違う、ア、アタシじゃ、ない――『千里眼』が! この『悪霊』を使って、アタシに、つ、罪を着せようとしてッ」


 もう遅い。

 チカコは捕らえられた『悪霊』の写真を撮ると、録音データと共に、俺も所属していた例のグループに送った。

「千里眼を潰す会」に。


「これで終わり。悪いけど、自分がやったことの責任は取ってもらうわ」

「そんな、まさか、姉小路さんが、こんな馬鹿なこと、信じるわけ――」


 いや普通に信じるんじゃねーかな、証拠もあるし。

 もともとちょっとオカルト好きっぽかったし。


「もし姉小路さんが信じなくても、ここにいる泉野梨花さんはどうかしら? 他の生徒は? ねえ、あなた、これまでずっとこういうことをしてきたんでしょう? その経験に基づいて、考えてみたら?」


 チカコはあくまで静かに問いかける。

 だが、込められた怒りは、ゆらゆらと立ち昇りそうなほどの熱量だった。


「言っておくわ。私のことを嫌おうが、どうしようが、あなたの勝手よ。でも、私の周りの人を傷つけたことは――私の大切な友達を傷つけようとしたことは、絶対に許さない」


 ちょ、ま、そういう不意打ちはよせって!

 俺を動揺させるな、今『悪霊』を取り押さえてるんだから!


「……なによ」


『Kana』は完全に打ちのめされたようだった。

 俯いたまま、ぼそぼそと言葉を吐く。


「なによ、えらそうに。アナタ達みたいな『持ってる人間』が――えらそうなこと、言わないでよッ! 顔が良くて、頭が良くて、キャラが立ってて! アタシみたいなモブのことなんて、知りもしないくせに! 視界にも入れてなかったくせに――なんなのよ、この、この、クソッ!!」


 呟きが、悲鳴じみた絶叫に変わる頃には。

 俺に組み敷かれていた『悪霊』の身体に、激しい力が漲り始めていた。


「せっかく築いた、あ、アタシの場所――壊さないでッ」


「清実ちゃん、まだ終わってないッ」

(分かってるよ、畜生!)


 毎度のことだけど、クエストってのは本当に最後まで油断できないもんだな!

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