11:死を告げる足音

 深夜のオフィスに響く、足音。


 俺は背後を振り返った。


 果たして、そこにいたのは。


「あ。バレちゃった」


 頭のてっぺんから爪先までを黒ずくめに包んだ――制服姿の俺を遥かに超える不審者だった。


 その手に握られているのは、刃物のように鋭く割れたガラスの破片。


「だ、だ、誰ですかっ!?」


 イガワさんが上げた誰何の声は、見事に裏返っていた。

 しかし、まったくごもっとも。


(まさか……コイツが?)


 ブラック企業に押しつぶされそうなイガワ・ミノリさんに訪れた死の運命。

 形をとって現れた死神だとでも言うつもりか?


「残念だけど、キミに名乗る名前はないよ」


 不穏な台詞と共に。

 黒ずくめが、床を蹴って――こちらへ向かってくる!


「清実ちゃんっ!」

「分かってる!」


 ブリュンヒルデが警告するより早く。

 俺は咄嗟に、イガワさんと黒ずくめの間に立ちはだかっていた。

 閃くガラスの破片に、腕を叩きつける。


「――えっ!?」


 黒ずくめが驚きの声を上げたのも当然だろう。


 俺の腕を切り裂くはずだったガラス片は、あっけなく砕け散った。

 まるで鉄にぶつかったかのように。


 特に痛みはなかった。硬いものが当たった衝撃だけ。


「なんだオマエっ!?」

「こっちの台詞だ、変質者!」


 俺は全力で、狼狽する黒ずくめを殴りつけた。

 顎を一発。悪くない手応え。

 だが、黒ずくめはまだ引き下がらない。


「邪魔するなっ!」


 反撃の蹴りが、俺の脚を打つ。

 バランスを崩しそうになるが、何とか耐えた。


「効くかよっ」


 今度は黒ずくめのボディを狙う。

 脇腹に何回か拳を打ちつけた後、突き飛ばされる。ただで転ぶものかと、相手の襟を掴んで引き倒す。

 ゴロゴロと床を転がりながら、お互いに額やら拳やら肘やらを叩きつけあって。


 マウントを取られたのは俺の方だった。


(畜生ッ)


 相手は手慣れている。

 体格は俺の方が勝っていても、殴り合いの技術は黒ずくめの方が格段に上だ。


「殺しはしないよ。キミが誰だか知らないけど」


 黒ずくめは、そう宣言すると。

 顔面めがけて振り下ろされる拳、拳、拳。


(でも)


 ダメージはない。何発殴られようと、痛くも痒くもない。

 幸い、相手はそれに気付いていない。

 もちろん気付いた所で、魔法が使えなければ俺にダメージを与えることはできない。


 そして。

 さらに言えば、いくら手練でも、スタミナには限りがある。


 相手が深く息を吐いた、その隙に。

 俺は反撃に出た!


「この野郎ッ」


 上半身のバネを使って、思いっ切り殴りかかる。

 と見せかけて。


雷撃サンダーボルト!」


 俺は、雷電を放った。


 もちろんギリギリまで出力を絞っている。

 死にはしないはず。多分。

 気絶するかな。きっと。

 出力的には、強めのスタンガンぐらいじゃないかな。

 試したことないけど。


 ともあれ。


「うっぎゃああああああああああ――ッ」


 黒ずくめは悲鳴をあげながら、じたばたと奇妙なダンスを踊ってみせた。

 感電した人間がやる奴だ。ネットの動画で見たことある。


(やべ、やりすぎた?)


 死なれては困るが。

 ひとしきり暴れ終わると、黒ずくめは動かなくなり。


 ……ぷすぷすと煙を上げていた。


 ついでに言えば、焦げ臭さに混じって漂う据えた匂い。

 深くは追求しない。

 詳しく知りたい人は、スタンガンとかSMとかのワードでググってくれ。


 とにかく俺は、恐る恐る立ち上がると、イガワさんを振り向いた。


「えーと。この人、知り合い?」

「……いえ。あの、だとしても通報しますけど……」


 イガワさんの言うことは、いちいちもっともだった。

 彼女が取り出したスマートフォンの時刻表示は、十二時六分。


 ウルザブルンが予知したイガワさんの死亡時刻は、つい先程、過ぎ去ったのだった。

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