ニコと優しい嘘

 馬車の荷台に揺られながら、前日、師匠と歩いた同じ道を戻っていく。

「失せ物探しのお客さんが、これから山を越えて荷を届ける仕事があるそうですから、便乗させていただきなさい。話は私がしておきますから」

 師匠がそういったのは、あれからすぐ後のこと。

 なにを探し出してもらったのかは定かでないが、馬車の持ち主は機嫌よく師匠の頼みを承諾した。

 荷運びは往復で一晩掛かるらしく、例の山小屋には次の日の明け方にまた通りがかるということだった。

 馬車の主はニコに、寝坊するなよと念を押し、峠を下っていく。

 山中にひとり取り残されたニコは、鳥の声に驚きながらも自分を奮い立たせた。まだ新しい記憶を頼りに、山道から外れた獣道へと足を踏み入れる。

 すると小屋は拍子抜けするほど簡単に見つかった、もとは人家なのだから当然といえば当然であるが、ニコはそんなことになんだかホッとする。

 彼にとってひとりでいるというのは、ただそれだけで未知への挑戦である。

 少しも気は抜けない。


「お邪魔します」

 前来たときは、挨拶する余裕もなかったことを思い出し、そっと口にしてみる。だが当然のことだが返事はなかった。

 あまりのおっかなびっくりぶりに自分でも苦笑する、ようやく少し落ち着くことができた。そしてやるべきことはただひとつ、夜が明けるまでに小屋に残されたソラミミの正体を見つけることだ。あたりはすでに日も暮れている。ニコは暖炉に火を入れた。

 ひとりになってから早や半日。今頃、師匠はどうしているだろうかと考えながら食べる夕食は味気なかった。

「自分が決めたことじゃないか」

 ニコは自分を鼓舞するかのようにパンにかじりついた。

 わびしい夕食を終えた後、いよいよ屋内の探索は始まった。本棚、机のひきだし、隣室である木工場。思いつく限りの場所を見て回る。

 しかし、ない。

 というよりも、一体なにを探しているかも分からないのだ。次第に徒労感だけが募っていく。

「なにしてんだろ……ボク」

 寝転がった床はひんやりとして心地が良かった。

 パチパチと暖炉の火が爆ぜている。揺れる炎にあわせて影が躍り、ニコを眠りの世界へと手招いているようだった。

「ダメだダメだ!」

 夜が明ける前にソラミミの正体を探さなければ――ニコは勢いよく飛び起きた。

 すると、


 そこに誰かいるのかね――。


 あまりにも唐突に声を掛けられた。声の主はアゴ髭をたくわえた長身の男性。木工場の入り口からひょいと現われ、ニコの方を見つめていた。

「ア、イヤ、ソノ――」

 ありえないことだ。

 この小屋にはいまニコしかいない。あの木工場もさっき確認している。では、ニコの知らぬ間にあの男性は小屋へと侵入したのか、いやそんなはずはない、入り口はひとつきりだ。誰かが来たのであれば分かるはず。

 大混乱に見舞われるニコ、すでに脳が思考を拒絶している。あるのは恐怖と困惑のみ、身体もうまく動かない。床に腰を張り付かせたまま、ただ男性を見上げることしかできなかった。

 男性は次第にニコの方へと近付いてくる。一歩、また一歩と。床を踏む音は、暖炉で爆ぜている炎に吸い込まれていった。

 もうだめだ――。

 ニコがそう思った瞬間、目の前を小さな影が駆け抜けていった。まるで後ろの方からニコの身体をすり抜けるみたいにして男性の方へと一直線に。

「パパ!」

 影に見えたものの正体はひとりの少女であった。短い手足をいっぱいに広げて男性の胸に飛びついた。男性もまた少女を抱きすくめて慈愛の表情をみせる。エレーナと小さく呟いて。

 そこでふたりの姿は消え、しばらくしてまた違う場所に現れた。その時、少女は少し大きくなっていた。真新しいマリオネットで遊ぶ仲のいい親子。ニコにはそう見える。

 ふたりはその後、何回も消えたり現れたりを繰り返し、部屋のそこかしこで幸せそうにしていた。料理をし、食事をし、お絵かきをし、時には男性に叱られ少女が泣いていることもあった。そして少女が――エレーナが段々と成長していくにしたがって、男性のことを激しく遠ざけるようになっていくのが分かった。

「こ、これは……」

 ニコは自分がなにを見ているのかを理解する。どうしてなのか、またどうやったのかなどは分からない。しかし、目の当たりにしている事実を客観的に捉えればこれは、エレーナと、彼女の父親との記憶であることに間違いはない。

 そして過去の記憶は、いよいよ決定的なときへと進んでいった。エレーナはすでにひとりの女性として美しく成長していた。

「もうウンザリよ!」

 テーブル上の物をぶちまけてエレーナが叫ぶ。男性はとても哀しげな表情をしていた。

「私は父さんの操り人形なんかじゃない! こんな山奥で一生終えるなんて死んでもイヤよ! 出ていくわ、もう二度と戻らない!」

 叩きつけられるように閉じられたドア。部屋には男性ひとりが残された。そして消え、再び現れたときには、やつれているのがはっきりと分かった。机に座り、震える手でなにかを書いていた。そしてそれを封筒に入れると、悩んだ挙句に食器棚の方へ――。

 気がつくとニコは床に寝転んでいた。

 最初に男性から呼びかけられたときと同じ姿勢のまま。暖炉の火はまだ赤々と燃え、外はまだ闇に包まれていた。

 時間の経過と、経験が合致しない。夢でも見ていたのだろうか、それともあれもソラミミの一種なんだろうか。

 すべてがあやふやのまま。ニコは幻の中で男性が最後に向かった場所、食器棚へと近付いた。さっき調べたばかりではあるが、きっとなにかが隠されているはずだと。グルグルと周囲をくまなく見回す、なにか見逃したものはないか。

 するとニコは壁と食器棚の間に隙間があることに気付く、ゆっくりとランプの灯りを近づけると、奥の方でなにかが挟まっているのを見つけた。ニコは、カフェの主人が老人のパイプを取り出したときのことを思い出し、グッと腕を伸ばした。丸い頬が棚の横板で潰れる。

 手にしたそれは、一通の手紙だった。宛先にはエレーナの名前と住所はあるが、切手も貼っていなければ封もされていない。そこから感じるのは、ためらいである。ニコは散々迷った挙句、封筒から中身を取り出した。飾り気のない便箋が二枚、朴訥な想いを綴るその文字はひどく震えていた。




 エレーナへ。


 この手紙をお前に出せるのは一体いつになるのだろう。

 もう何度も書き直しているよ。

 俺もこんな性格でなかなか素直に話せないから、これが遺言だと思って読んで欲しい。


 エレーナ、小さい頃のお前は身体が弱くて、なかなか外に出してやれなかったな。いま思えば、それがお前に外の世界へと目を向けさせるきっかけになったのかもしれない。不器用な俺はただ叱ることしかできなかった。すまないと思ってる。

 せめて遊び相手にと、操り人形を作ってやったが、あまり気に入らなかったかな?

 男手ひとつだったが、躾だけは厳しくしたつもりだ。

 それが死んだ母さんとの約束でもあったし、なによりお前が他所で恥をかいちゃいけないと思ってよ。でも俺には学がないから、教えられることは少なかったけどな――。




 ――淡々と綴られる想いにニコの胸は熱くなる。

 これが親の愛かと。

 ニコは確信した、エレーナが忘れているのはこの気持ちだ。この親の愛、思い出させてあげないと彼女は一生後悔することになる。ニコの気は逸った。二枚目の便箋に手が掛かる。




 最近はめっきり弱っちまって、身の回りも知り合いに世話してもらってる。もし俺になんかあったときは、その人から連絡がいくようにしてあるから心配はするな。

 それからここからが重要なんだが――。




「エッ……」




 エレーナ、お前は俺の本当の子じゃない。

 もう母さんもいないし、戦後のゴタゴタで戸籍もどうにかなったしな。俺さえ嘘をつき続けていれば、なんの問題もないことだ。

 しかしお前がどんどん母さんに似てくるのを見ると、正直、隠しているのが辛くなった。

 もう俺も先がない。あらいざらい白状してあの世へいくよ。

 わびは向こうでさせてくれ。

 でもな、これだけは胸張っていえるぞ。お前は俺の自慢の娘だ。

 愛しているよエレーナ――。




「そ、そんな……そんなことって……」

 この事実をおそらくエレーナは知らない。

 伝えるべきか、ニコは悩んだ。

 ふと師匠の言葉が頭をよぎる――真実が必ずしもいい結果になるとはいえない。

 また自分は余計なことをしてしまったのではないか。ニコはおのれの迂闊さにほとほと愛想が尽きていた。知らなくてもいい真実を掘り起こし、したり顔でそれを喧伝して回る。それのどこが人のためなのか、どこが忘れられたもののためなのか。

 ニコはそれから一睡もできなかった。

 そして馬車の蹄が聞こえたのは、まだ夜も明け切らぬうちのことだった。


     ****


 のんびりとした揺れが気持ちよく、ニコは街までの道すがら馬車の荷台で少し寝た。

 目を覚ますと太陽はすでに高く昇り、周囲も喧騒に包まれていた。ニコは馬車の主に深々と頭を下げると、一目散にカフェへと駆け出した。いまはただ、師匠の顔が見たかった。

 カフェの前にはまだ行列といえるほどの人の気配はない。店先では、ようやく仕度を始めたといった感じの青年の姿がある。ニコはその背中目掛けて飛びつきたい衝動をグッとこらえた。しばらく待っていると青年は振り返り、その黒い瞳の中にニコの姿を映した。

「ニコ……」

 なにかを感じ取ったのか。師匠はそれ以上、容易に声を掛けなかった。もしかすると弟子の成長をゆっくりと確かめたかったのかもしれない。

 そしてニコはなにかをいわなければと、思いついた言葉を口にしていた。

「昨日、麓で買ったパンを食べました。もう固くて……少しカビていたけれど。スープにつけて……食べました」

 全部、自分でできました。そう伝えたいだけだった。その顔は真剣で、ふざけた様子など微塵も感じられない。また彼の師もそれを全力で受け止める。

 そして、

「私もです」

 同じものを食べた――それは離れていてもこころは一緒だったといっている。

 ニコは全力で師匠の胸に飛び込んだ。懐かしい、あの日のビスケットの匂いがした。

「おかえりなさい、ニコ」

「ただいま……帰りました」

 師の両腕が弟子を抱きすくめる。心配していたんだぞ、と。


 昼過ぎにはこの街を発つと、そう師匠に聞かされたのは帰ってきてすぐのことだった。師匠は失せ物探しの客や、カフェの常連たちに惜しまれつつ、予約の客を午前のうちに次々とこなしていく。

 最後の客を見送った後、ふたりはおもむろに荷造りを始めた。

「さて、街を出る前にお役所に寄っていきますよ。税金の未納でお尋ね者になったのでは目も当てられませんからね。それからエレーナさんにもお会いできるでしょうから、伝えたいことがあるならそうしなさい」

 ふたりは早々にカフェを後にし、一路、エレーナが働く役所へ。

 師匠が外政窓口で納税の手続きをしている間、ニコは待合室の長椅子に腰掛けながら、エレーナに真実を伝えるべきかどうかを悩んでいた。ありのままを伝えるのならば、父親との血縁がないことにも言及しなくてはならない。かといってなにも伝えなければエレーナは一生、父親の愛を忘れたままだろう。

 ニコはいま一度、二枚の便箋を見つめながら溜息をついた。

「溜息なんかついたら幸せが逃げちゃうわよ」

「ワァァァァッ!」

 不意に声を掛けられ心臓が止まるかと思った。ニコは盛大に長椅子から滑り落ちる。

「ちょ、大丈夫!? そんなに驚かなくてもいいじゃない。女の子なんだからもっとおしとやかにしないと~」

 エレーナだった。そういえばまだ誤解を解いていなかったことを思い出しニコは慌ててかぶりを振った。

「あ、あのッ……ボク、オトコなんですけど……」

「エッ! ヤダ、そうなの? ごめんね~」

 誤解が解けるや否やエレーナはコロコロと笑った。前日までの彼女とはまるで印象が違う。凛とした清潔感の中に、どこか温かみが増したような。

 一度ならず彼女の怒号を耳にしているニコには正直、別人のように見えた。その変わりようにニコはしばし呆然とする。

「今日はなにか御用? あ、そういえば納税窓口にお兄さんの方がいたわね」

「……これからまた旅に出ますので」

「マァ……そう、とても残念だわ。せっかくお知り合いになれたのに」

「そう思ってくれるんですか?」

「もちろんよ。だって――あの人形を思い出させてくれたもの」

「エ……」

 ニコの胸がキュンと痛む。彼女に一体なにがあったのか。最初とはまるで逆のことをいっている。これはどうしたことだろう。

「あれからね、色々考えたの。人形見ながら父さんのこと。そしたらね、子供の頃のこととか思い出しちゃって……気がついたら泣いてた。ホント馬鹿みたい。つまらない意地張っちゃって親の死に目にも会えないで……父さん、淋しかっただろうな」

 そういう間にまた目頭が熱くなったのか、エレーナは天井を見上げた。気丈に振舞ってはいるが、まばたきの回数は嘘をつかない。

「だから……あなたには感謝しているわ、小さなソラミミさん。父の形見をありがとう」

 彼女の一言がニコの闇を振り払う。

 手にした便箋を封筒へと戻し、そっと彼女に差し出した。

「これ……お父さんからです」

「エッ?」

「昨日、もう一度小屋に戻って探してきました。……また勝手なことしてすみません。でも――ソラミミはいってました、エレーナさんのお父さんは誰よりもあなたのことを愛していたと」

 エレーナは手紙を受け取ると、中から『一枚の』便箋を出した。

 震える指が文字をなぞる、確かに父の字であると小声でつぶやきながら。潤んだ瞳が文字を追うたび、彼女は嗚咽を堪えきれなくなっていた。そして最後には「ごめんなさい」と口にしてニコから逃げるように去っていった。

 残されたニコもまた震えている。小さな手にはもう一枚の便箋を握り締めて。

「ニコ……」

 手続きを終えた師匠が彼のそばに立った。くしゃりと撫でた亜麻色の髪には、僅かな微熱を帯びていた。

「うぞ(嘘)を……うぞをついでしばいばした……」

 顔中ぐちゃぐちゃにして泣くのを我慢する。しゃくりあげた言葉には嘘はない。苦悩の末に見つけた最良の策。もしかするとただの逃避じゃないかとも思う、だがニコはこころの中でエレーナの父に誓った、今度はボクが嘘をつき続ける番ですと。

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