ニコとホントの忘れ物

 地図にも載ってないような小さな村でニコは生まれた。

 村全体が農業を営んでおり、大人も子供も関係なく、皆、その日の仕事に精を出す。貧しい生活の中、ニコの両親も、また歳の離れた兄弟たちも働き者で、なかなかニコをかまってやることはできなかった。

 ニコの幼い頃の風評といえば、いつもひとりで遊んでいる不思議な子、といった具合で、同じ年頃の子供たちとも少しズレたところがあった。

 そしてなにより彼を孤独にしたのは、ソラミミという特殊な才能だった。

 科学や論理などよりも、とかく迷信や言い伝えなどが重要視される文明化前の田舎では、彼の存在を受け入れるのは難しかった。また生来の人見知りも災いして、ニコは人間よりも花や動物たちを相手に時間を潰すことが多かった。

 もしかしたら自分はいらない子なんじゃないか――。

 仕事もろくに手伝えない、友達もいない。ソラミミを聞けば嘘だといわれ、またそれを証明しようと失せ物を探し当てればバケモノだと罵られる。

 そんな毎日が続くうち、ニコは段々笑顔を失くしていった。

 ある日、森の中でニコが遊んでいると、キノコが群生している辺りでソラミミを聞いた。

 なんだろう、と草の中を探ってみればキラキラと光る金属の輪を見つけた。それは指輪だった。高価ではないがとても大事にされていたことがソラミミから感じられる。

 ニコはその指輪の持ち主すら読み取っていた。

 村に住む、機織りの老婆である。気難しいことで有名で彼女だったが、ニコにはこの指輪が先立たれたご主人から贈られたものだということが分かっていたので、さぞ悲しまれているだろうと思った。

 届けに行こう。きっと、おばあさんも喜ぶ――。

 ニコは嬉々として村へ戻った。

「あのッ……これ……」

 おずおずと差し出した手のひらには汗で光った指輪がある。老婆はそれをヨロヨロと震える指でそっと持ち上げた。

 瞳を閉じ、愛しむように。老婆はうっすらと涙を浮かべて指輪を握り締める。

 緊張はしたが、勇気を出して届けにきて良かったとニコは思う。

「あの、これ、森の中で落ち――」

 だが、

 その想いは老婆の口にしたたった一言で脆くも崩れ去った。

 このコソ泥め、と。

 老婆は村中に響き渡るかという声で叫ぶ。誰かこの悪ガキを捕まえておくれ、じいさんの指輪を持っていったひどいヤツだ――。

 ニコにはわけが分からなかった。ただ、指輪を届けにきただけなのに。

 次第に周囲には、事情を知らない村人たちが群がってきて騒ぎとなる。ニコは急に恐くなって、必死でその場から逃げた。

 走って、走って、走って。

 何も言わず、誰とも会わず。ニコは息の続く限り走りまわった。

 しばらくして足が痛くなり立ち止まる。

 ふと気がつくと、そこは見たこともない場所だった。細く曲がりくねった野道だけが延々と続いている。

 振り返るニコ、その先に彼の村はすでになく。

 もう戻れない。もう帰れない。

 帰ることなどできない――。


 この夢を見た朝は決まって身体が熱を帯びている。

 頭の芯は痛いくらいに冷ややかなのに、首のあたりがポォっと熱い。

 慣れない都会の喧騒にあてられたということもあるが、昨日は数日振りのフカフカのベッドで、ニコは早々に眠りの世界へと旅立った。

 だがあの夢を見たのはそうした安らかな油断からではない。もっと絶望的な感情が呼び覚ましたニコの忘れ物。

 いや――。

 忘れることなどできはしない。

 隣を見ると、もうひとつのベッドはすでに片付けられていた。いるはずの人物の姿ももうそこにはない。

 ニコの上体は跳ね起きた。あからさまな不安を瞳の奥で光らせて。

 あたふたと首を回し部屋の中を見返すニコ。いよいよもってベッドから飛び出そうとした時だった、身支度を終えた彼の師が、ひょっこりと顔を出したのは。

「おはようございます、ニコ。いやしかし昨日はぐっすり眠ってましたね。よほど疲れ……どうしました?」

 ニコはベッドの傍らに立つ師の腹に顔を埋めた。背に回した両腕にギュッと力をこめて。

 師匠は別段驚く風でもなしに、彼を優しく引き離す。着替えたばかりのブラウスには、うっすらとなにかで滲んだ跡が残った。

「……朝食の用意ができているそうです。一緒に食べますか?」

 師匠は一切の理由を聞かずにただ笑顔をニコに向ける。

 そしてニコもまたなにもいわず、コクンとひとつうなずくだけだった。


     ****


 大盛況というわけでもないが、ふたりの失せ物探しは今日もカフェの店先を賑やかしていた。その集客効果たるや、店側としても前代未聞のものであるため断る理由がない。実のところ、「今日はうちの店へ」と水面下での誘致合戦もあったのだが、師匠は自分たちを受け入れてくれたカフェの主人に義理立てしてすべて断ってしまった。

 師匠はニコにいう、それが誠実さというものだと。

 人間、儲けを優先すればいくらでも意地汚くなれるものだ。だが彼の師は、ニコをそうはさせたくなかったのである。

「いつまでへこんでいるつもりですか」

 太陽も中天に指しかかろうかという頃。朝から続いた客足も一旦納まり、師弟はおだやかな午後の小休憩を手に入れていた。

 しかしながら昨日から続くニコの胸中たるや、とてもおだやかとはいい難かった。古びたマリオネットを手に、自らの表情もまた精彩を欠いている。

「仕方がないでしょう、『知らない』と断言されてしまったのだから。だとしたらもう、我々ソラミミの出る幕はありませんよ」

「でも!」

「でもも、かかしもありません。失せ物探しが『失くしてないもの』の押し売りをして歩いてどうするんですか……いやまてよ、それはそれでアリですね」

 需要と供給を同時に生み出すのが巧い経済のあり方だとは思うが、それでは詐欺以外のなにものではない。場を和ませるためとは分かっていても、我が師の存外まんざらでもない表情を見ると、ニコは一抹の不安を覚えないではなかった。

「で、でもあの人、嘘ついてます!」

 自分のソラミミへの絶対の自信と、マリオネットから伝わる切なさがいわせた言葉である。だがそんなニコの熱を、師匠は冷水を浴びせ掛けるように淡々と諭す。

「嘘を覚えなさい、そういいませんでしたか? あなたは何でも馬鹿正直すぎます。故意に人を騙せとはいいませんけどね、真実が必ずしもいい結果をもたらすとはいえないんですよ」

「どういう意味……ですか?」

「まあそのままの意味ですけどね。どうせだったら本人に聞いてみたらいかがです?」

「エッ……」

 師匠が目配せで通りを指した。ニコがそれに従うとそこには、ひとりの若い女性が立っていた。視線を地に伏した物憂げな表情。それは昨日、ニコがマリオネットを届けようと追いかけたあの女性であった。

 結果彼女はマリオネットは自分のものではないといい、あまつさえ二度と見せるなと突き返されてしまったのではあるが、無論、ニコとてこのままでいいと思っていたわけではない。しかしながら、向こうから歩み寄ってくれるようないわれもないわけで。

 正直、前日以上に当惑している。それがニコのいつわらざる胸のうちだった。

「昨日は……どうも」

 遠慮がちな声で女性がふたりに語りかける。着ているもののイメージもあるせいか、どうしても硬い印象をニコは受けた。さらに前日の激しい口調も思い出され、なかなか会話の糸口を見出せないでいると、そんな状況に焦れていた彼の師匠が、しょうがないなと助け舟を出す。

「まあ立ち話もなんですから、どうぞお掛けになってください。しかし、よく我々のことをご存知でしたね。この街へは昨日着いたばかりなのですが」

「あの……エレーナ・クリャドフカと申します。役所に勤めておりまして、あなた方の話は昨日のうちに耳にしておりました。それでその……冷静になったものですから」

 彼女の目が揺り動く。その焦点はニコの抱く木人形にあわされていた。

「ヤァ、これは。お役人さまでございましたか。簡易就労届は通関で提出してありますので納税には後ほどお伺いしようかと――」

「いえ、今日は私用ですので……」

「と、いいますと?」

 さすがに白々しいが、師匠がそう訊ねると、エレーナはニコへと向き直り深々と頭を垂れた。突然のことにニコはまた固まってしまう。

「昨日はごめんなさい。謝って済むことではないわね、あんなひどいことを……」

「い、いえッ――。あ、これ……」

 弾かれたように突き出された両腕。ニコの手のひらの間ではダランとマリオネットの四肢が垂れた。エレーナは若干の戸惑いを見せながらも、しかしどこか愛しむようにそれを受け取る。だがそこに、懐かしさのあまりおもわず抱きすくめるといった感情の発露はなく、ただジッと、離れていた時間を取り戻すかのような冷淡な視線が降り注ぐ。

「あなたのいう通りよ。この人形は私のもの……亡くなった父からもらった唯一の贈り物なの。でも……どうしてあなたがこれを? これは私が生まれ育った山奥にあるはずよ」

「あ、えと、それは」

「それは私から説明しましょう」

 ただでさえ挙動不審なニコである、言い回しひとつであらぬ誤解を招くとも限らない。

 師匠は順を追って説明した。山中での雨宿りのこと、そして自分たちがマリオネットのソラミミを聞いたこと。

「それでこの子が申しましてね、一晩の寝屋をお借りしたお礼がどうしてもしたいと。まあ、そのお人形の持ち主があの山小屋にご縁のある方かどうかも分かりませんでしたが、素人目に見ても立派な品でしたのでね。あのまま朽ちていくのも、どうにも忍びないと思いまして」

 するとエレーナはようやく少しばかりの笑みを見せた。

「……父です。あの小屋に住んでおりましたのは。一昨年他界しましたが、小屋だけはもうしばらくそのままに、と。解体するにもお金がかかりますしなにより……思い出もありますので」

「ほう……」

「早くに母親を亡くしまして、幼い頃はあの山小屋で父と二人暮しでした。なにもない山の暮らしのなかで、このマリオネットだけが遊び相手で……」

「ハハァ、そうでしたか。さぞかし優しいお父様でいらしたんでしょうねぇ」

 師匠はなんの気なしに相づちをうった。だが、

「ちがうわ……」

 それからというものエレーナの様子が少しずつ変わっていった。瞳の奥に、やや強い光が宿る。それは怒りや憎しみといった負の感情。マリオネットを見つめる視線も、いつの間にか哀悼から蔑みへと変じていた。

「幼い頃の父はとても厳しかった。なにをするにしたって必ず口を挟んできて、あまり外にも出してもらえなかった。私、それがイヤで大人になったら絶対、山を降りてやるんだっていつも思ってた。そう、父はただ私を思い通りにしたかっただけなのよ……この人形みたいにね」

 いってエレーナは自己を取り戻す。

 その後、彼女は取り乱したことをふたりに詫び、マリオネットを引き取って役所へと戻っていった。律儀にも五〇ペリンを支払って。

 雑踏の中、そこだけまるで切り取られたかのように時間が止まる。ニコはエレーナの後姿から目を離すことができなかった。

「あなたの知りたいことは聞けましたか?」

 師匠の乾いた声がニコの胸中に響き渡る。

「もう少し……時間が必要でしたかねぇ。彼女は『思い出』と口にしていましたが、実際にはまだ生々しい『現実』だったのでしょう、お父さまとの関係は。辛い記憶にフタをして、忘れようと努力なさったんじゃないですかねぇ」

「ボクは……余計なことをしてしまったんでしょうか」

「さあどうでしょう。結果として人形は持ち主のもとへ戻った。それが一体『誰のため』であったかという問題はありますが、まあそれでいいんじゃないですか、いまのところは。こういうこともありますよ」

「お師さまはこうなることをご存知だったんですね……」

「いいえ。ただ――」

 そのときの師匠の目はとても淋しそうだった。

「あなたは自分の境遇をあの人形に重ね合わせてはいませんでしたか?」

「そ、それは……」

「人形が持ち主のもとへもどることで、自分の気持ちも救われる――そんなことは考えてはいませんでしたか?」

「…………」

「それは傲慢な代償行為でしかありません。傷つくの構いませんが、それをエレーナさんのせいにするのはおやめなさい。あなたは勝手にあの人形を彼女のもとへ持ってきて、無碍むげにされたからといって勝手に落ち込んでいるのですよ?」

 いい返す言葉もない。

 ただ下を向き、グッと奥歯を噛締めた。

 自分には特殊なソラミミがある。むしろ他に頼るところがないから、どんな迫害を受けてもそれには絶対の自信があった。村を飛び出すきっかけとなったおばあさんにも酷いことをいわれたが、指輪を受け取ったときの表情だけは本物だった。ニコはあの顔がどうしても忘れらないのだ。そして、その想いは師匠と出会いさらに膨らんだ。

 なのにどうだろう。

 よかれと思いしたことが裏目に出て、あまつさえ師には独りよがりであると断じられた。悔しくて情けなくて、でもどうしてもゆずれなくて。

 ここから先はただのいい訳になってしまうかもしれない。

 ニコはそう思いながらも、さっきから胸の奥で引っ掛かっている思いを吐き出した。自分と同じ、忘れられたもののために。

「今日会ってはっきりしました」

「はい?」

「エレーナさんはまだ、なにか大事なことを忘れていると思います。あの山小屋で聞いたんです。とても弱々しいソラミミを」

 それは小屋を去るときに感じた小さなソラミミ。あのときはなんだか分からなかった。

「それが一体なんなのかボクには分かりません。でも、それがもしエレーナさんにとってとても大切なものだとしたら、返してあげたい……たとえ自己満足だといわれても、ボクはそうしたい……です」

 恐る恐る見上げた師匠の顔は思慮深げだった。目を閉じ腕を組んで「うーん」と小首をかしげている。

「それはあの小屋へもう一度もどるということですよね?」

 困ってはいるようだったが、別段、怒張した様子もない。しかし、ニコが「はい」と答えると、彼は意外なことを口走った。

「では、ひとりでおいきなさい。ニコ」

 この一言にニコは戦慄した。

「失せ物探しの予約が午後からもいっぱいでしてね。私はここを離れるわけにはいきません。それでもいくというのならば私は止めませんよ」

 ニコが師と出会ってからもうどれくらいが経っただろうか。降り注ぐ冷たい雨に打たれながら膝を抱えていた自分を救ってくれたあの優しい声。それがいまあの日から初めて自分を突き放すような言葉を紡いでいる。ニコにはそれが恐ろしくて仕方がなかった。ガタガタと小さな身体が震えている。またひとりになるのかと。

「恐いですかニコ。ならば、いかなければいい。誰も困ることではありませんよ」

 甘い雰囲気を持ったその言葉に、ニコのこころはよろめいた。

 しかし、ここで折れてしまっては本当にただの自己満足になりかねない。ニコはひとりきりでの山登りや夜を想像し怖気づいたが、勇気を振り絞ってコクンと力強くうなづいた。それを見た師匠はなかば呆れ顔だった、口の端を緩ませてみせる。

「分かりました。あなたもなかなか強情なところがありますね」

「……ごめんなさい」

「はっきりさせてきなさい、あなたの感じたソラミミの正体を。それができるのもまた、我々ソラミミだけなのですから」

 ニコの亜麻色の髪を師匠がくしゃりとやる。ニコはこの温もりを忘れないでおこうと思った。

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