ニコと失せ物探し

 ずっと続いた荒れた道も、平地に出ると石敷きの舗装路へと姿を変えた。

 それは大きな街が近い合図。沿道の並木にも人の手が入り、青々とした深緑の葉を枝にたたえている。それらは先ほどふたりが踏破してきた山から吹き降ろされる風によって、気持ちよさそうに揺れていた。

 ここまで来ると人の往来も多くなる。徒歩は勿論、荷馬車に牛車。珍しいところでいえば、最近都会で話題になってる自動車なんてのも走っている。どうやら師匠は見飽きているらしく見向きもしないが、ニコにとっては興味津々。

 あの荷台の下から突き出した筒が吹いている煙は何だろうと凝視していると、またぞろ師匠に置いてけぼりを食らう。ここまできて迷子になるのはゴメンだと、ニコは慌てて師の背中を追った。

 そうして見えてきたのは石の壁。ニコが十人、縦に並んでも天辺まで手が届きそうにない高さをほこる堅牢なものだ。それが見渡す限りに延々と続いている。すなわち、街の外周をくるっと囲っているのである。壁には一定の間隔で門が配置されており、そこから道が街の内外へと続いている。

 一般的な都市の造りだが、これほど大きなものをニコはまだ見たことがない。そしてもっと大きな都会では、すでに街を仕切る外壁すらないのだとニコは師匠に聞いたことがある。だがニコにはそんな突飛な話はとても理解できそうになかった。

 戦も終わり世界はガラリと様変わりした。

 かつては厳戒を極めた街の門番たちもそれほど厳しくはない。ふたりはごく簡単な手続きと荷物検査のみで難なく街中へと通された。

 と、通関の係員から手荷物を返された時のことである。

「この人形は誰かへのプレゼントかな?」と聞かれ、

「……いいえ。忘れ物です」

 真剣な眼差しでそう答えるニコに、係員は不思議そうな目を向ける。そんなやり取りを目にしてしまい、師匠は笑いを噛み殺すのに腐心した。

 ニコは街中へと足を踏み入れて感嘆の声を上げる。

 道すがらその全容を目にしながらある程度の予想はしていたものの、改めて内側からそれを体感すると、街のあまりの大きさに圧倒されてしまう。生まれ故郷のド田舎とは比べるべくもないが、ニコがいままで訪れたどの街よりも文化的で煌びやかだ。

 それは建築物の意匠、街灯りのガス燈ひとつとってもニコには新鮮な驚きがある。できることならそのひとつひとつを調べて回りたいくらいだが、せっかちな彼の師匠がそれを許してはくれない。加えて空気を読むのが苦手ときている。師匠はいま己の背で、目に入れても痛くないと豪語するかわいい弟子が、純粋な好奇心に目を輝かせていることなど知りもしない。ただツカツカと雑踏を前へ前へと進んでいく。

 これまたいつものようにニコが慌ててその背を追うと、師匠はある一軒のカフェの前で、なにやら店主と話しこんでいた。おそらく売り込みだろうとニコは予想する。それは毎度のやり取りであった。

 カフェの店主は初めいい顔はしなかった。ところが、師匠が二言三言告げてやると、たちまち笑顔で店頭の一画を彼らへ明け渡した。

「さあニコ。お疲れのところアレですが、お仕事です。日の暮れる前に少し稼いでおかないと今晩は野宿になりますよ」

 別段、深刻そうな素振りも見せずに、師匠は店先にイスとテーブルを並べ始めた。小走りで追いついたニコもそれに倣うと、ちょこんと師匠の隣に座る。

「さっき……お店の人になにか言われたんですか?」

 ニコは上目遣いにそう訊ねた。彼のとび色の瞳は、常になにかを訴えかけるように潤んでいる。彼の師はその目がたまらなく好きであった。

「いやなに、いつものことですよ。ソラミミはどこの街へ行っても最初はうとまれます。戦の後は特にニセモノが横行しましたからね。祈祷、まじない、憑き物落とし。そんなことソラミミにできるわけないんですが、案外みんな騙されちゃうもんです」

「どうやって説得を?」

 すると師匠はニコにだけ聞こえるように、そっと耳打ちをした。その内容は果たしていかなるものだったのか。ニコは顔を真っ赤にしてしばらく固まってしまう。そんな弟子を尻目に師匠は「さて」と呟き、重い腰を上げた。


 さあさ、お立会い。

 ちょいとそこ行くお兄さん。なにかお忘れ物はないですか。

 はたまたそちらの素敵なご婦人。失くなされたものはないですか。

 忘れられたものの声なき声。我らソラミミが教えましょう。

 失せ物、ど忘れ、尋ね人。なんでもござれのソラミミだ。

 さあさ寄っといで、いまならお代は五〇ペリン。ここのコーヒー一杯と同じだよ。


 過分に俗っぽい師匠の口上に街頭の足が止まる。老若男女の別もない。

 失せ物探し――それが彼らの生業だ。とかく異能とうとまれるソラミミたち、その多くが糊口を凌ぐためにと就く職である。

 どの街にもいるというわけではないソラミミ。興味半分、物見遊山。間借りしたカフェの店先はあっという間に黒山の人だかりとなった。

「どれ。じゃあひとつ頼むとするかの」

 師匠の呼び込みが始まってからおよそ十分もしたころだろうか。この街で第一号の客が彼らの前に座った。恰幅のいい白髪の老人で、頬も赤い好々爺。年の頃は定かではないが、ニコくらいの孫はいそうである。

「はいはい。どうされました、ご老台」

 愛想のいい笑顔を向けて師匠はいう。

「わしには長年愛用しとるパイプがあるんじゃがのぉ。むかし、ばあさんから貰った大事なものなんじゃが、つい最近どこかへ置いてきてしまったようなのじゃ。まったく歳は取りたくないもんじゃのぉ」

「なるほど。では、頭の中でそのパイプを強くイメージしてください。……はい、いいですよぉ」

 耳に手を添えて瞳を閉じる。師匠は風にそよぐ何かを感じるかのように身体を空に泳がせていた。

 その仕草のあまりのわざとらしさにニコは苦笑いを噛み殺す。

 こういうものは演出が肝心です――。

 彼の師は常日頃からそう口にしてはばからない。

 客に失せ物をイメージさせたのも、いかにも異能を発揮しているかのような立ち居振る舞いもすべては演技なのだ。本当のソラミミはそんなものではない。ただ自然と、聞こえる者の耳へと届く。

「ご老台。チェスはなさいますかな?」

「なさるもなにも、わしからチェスをとったら何にも残らんぞ。朝は新聞片手に詰めチェスの練習。昼間は大概、このカフェで近所の年寄りと勝負しとる。どうじゃ若いの、これから一局。チェス盤ならあそこの棚にある」

「イヤ、結構。しかし、そのチェス盤には用事があるのです。あのー、ご主人、ちょっとすみませーん」

 師匠は老人からのチェスの誘いをバッサリ断ると、カフェの主人を呼んだ。そして、チェスの道具がしまってある棚へ行くように指示をした。

「どうですか、ご主人?」

「どうですかったって、その爺さんにいわれてもう何度も探したよ。それで見つからないんだから、いまさら出てくるわけないじゃないか」

「マァ、そういわずに。あ、ご主人、そこじゃなくてもっと奥です」

「奥ぅ?」

 カフェの主人はいかにも億劫だといわんばかりのしかめ面で、積み重ねられたチェス盤と棚の横板との隙間に手を差し伸べた。すると眉間の寄っていたしわはゆるゆるとなくなり、その表情は次第に新鮮な驚きへと変わっていった。

「おお! それじゃ、それ!」

 飴色に輝く樽型の火皿。グッと持ち上がり吸い口へと至る煙道もくびれて悩ましげである。パイプは目をまん丸にしたカフェの主人から、師匠の手を介して老人のもとに戻った。そのなんともいえない少年のような笑顔。ニコはそれを見ているだけでもうれしくなるようだった。

「これは驚いた。でもどうして? 結構探したつもりだったんだが」

 カフェの店主は首をひねる。

「こちらのご老台がチェス盤を棚にしまおうとした時、何の気なしにパイプをそこへ置いてしまったようですな。それを忘れて帰ってしまったまま、次々と他のチェス盤が返却されていき、いつの間にか奥へと入り込んでしまった。と、ソラミミが申しております」

 おお――歓声が上がる。

 路傍の人だかりは、さも不思議そうにお互いの顔を見合わせた。そして「ホンモノだ」と、誰からともなく口にする。

 するとふたりの前には、我先にと人が押し寄せた。カフェの店先はあっという間に失せ物探しの客で埋まる。

「はい、並んで並んで。次はそちらの男性の方です」

 師匠の前に長蛇の列ができる。ざっと見ても二十人はいるだろうか。その様子をニコが隣であんぐりと眺めていると、

「ニコ、なにをぼんやりとしているんですか。あなたも手伝ってください」と師匠がいう。

「エッ! ボクがですか……?」

「なんて顔をしてるんです。もっと自信をお持ちなさいな。あなたのソラミミは私なんかよりもはるかに強力なんですよ。さ、笑顔笑顔」

 緊張するニコの前に通されたのは、化粧の濃い中年の女性。いかにも裕福そうな仕立のいい服を着ていた。その吊りあがった三角メガネが、人見知りするニコをいっそう萎縮させる。

「あら、アタクシの探し物はこのお嬢ちゃんが見つけてくれるざァますか? ちょっと頼りないざァます」

「…………ボク、オトコです」

「あら、そうざァますか、それはごめんあそばせ。まあ、そんなことはいいざます」

 ツンと射るような冷ややかな一瞥。ニコはご婦人の高飛車な態度が恐くて顔も上げられない始末である。テーブルの下でモゾモゾと手を組み替えたり身を捩ったりと、とにかく落ち着きがない。

「アタクシが探して欲しいのは――」

「あ、あのッ」

「なんざァます?」

 ニコに出鼻を挫かれ不機嫌になるご婦人。しかしこの時、ニコとしては彼女の口から聞くべきことなど、もうなにもなかったのだ。

「えと、その……あなたがお飼いになっている猫は、その通りの向こうで日向ぼっこをしています」

「な、なんざますって!?」

 驚きのあまりメガネがずり落ちそうなご婦人とは対照的に、面白くなさそうな師匠の顔。

 ニコには分かっていた。師匠はなぜもっと勿体つけないのかといっているのである。だが、そんな余裕がニコにあるわけがない。いち早く、ご婦人の視線から逃れたかっただけである。

「ど、どうしてなにもいってないのに、そんなことが分かるざァますか!?」

「それはその……忘れられているのは猫じゃなくって、あなたの方――」

 いい終わるよりも先に、冷や汗をかいた手のひらがニコの口を塞ぐ、目の泳ぐ先には師匠の引きつった作り笑いがあった。

「この子は、そんじょのこらのソラミミとは才能が違いますからね。ささ、猫ちゃんのご機嫌が変わらないうちにどうぞ迎えにいっておあげなさいな」

 いまいち釈然としない顔をしながらも、代金を置いてご婦人が通りの向こうへと消えていった。その背中を静かに見送るニコ。

 鼻の先は師匠に抓られて真っ赤になっていた。


 夕刻、街並みの雰囲気もガラっと様変わり。通りは勤め人の帰路で溢れていた。

 カフェの店先からも失せ物探しの客がようやく途絶え、ニコたちも一晩の宿泊代くらいは稼ぎが出たと一安心。

 客は皆、失くしたものが帰ってきたと喜び、カフェの主人も売り上げが伸びたと大満足である。この日、誰もがみんな得をした。そんな小さな幸せが、ニコにとっては大きな喜びに感じられて仕方がない。

 やはりボクの師匠はすごいのだ、と。

 改めてその弟子であるという優越感を噛締めた。

「あなたは少し嘘を覚えなさい。真実が必ずしも、人間に幸福を与えるとは限らないんですよ。たとえそれが事実を捻じ曲げるようなことであっても、ソラミミでなければその真偽は確認できません。で、あるならば騙されはしたとしても、その方の小さな自尊心だけは辛うじて救われます。それがもし傲慢であると感じるのであれば、いますぐ裁判官にでもおなりなさい。きっとあなたの言葉には皆、耳を傾けることでしょう。しかし、ものの嘆きはソラミミにしか知りえないんですよ」

 そして人間は自分に理解できる言葉しか信じない――師匠はきっとそう続けたかったに違いない。ニコは時折、師の瞳がそうした憂いで揺れ動くことを知っていた。何が彼をそうさせるのか。多くを語らない師の過去について、いくらこころを割こうともニコにそれを知る術はない。だが自分になら師の言葉の意味を理解することができる。いつしかその自負はそのまま師への尊崇へと変わっていった。

 しかしながら公然として、弟子に客を謀れと諭すのも若干どうかとは思う。

「さてニコ。そろそろ、おいとまするとしましょう。先ほどのお客さんの中に、宿を経営している方がいましてね、どうやら少し安く泊まらせてもらえるようです。暗くならないうちにご厄介になるとしましょう。ここで少し待っていてください。カフェのご主人にご挨拶をしてきますので」

 はい、と短く返事をしたニコは、傍らに置いていた肩掛け鞄をよっこらと持ち上げた。すると何かの拍子で中から例のマリオネットが顔を出す。

「……ごめん。まだ見つからないよ、君のご主人さまは」

 いい訳ともつかぬ独白をして、ニコはマリオネットを手に取った。ダランとだらしなく垂れる手足。他の荷物にもまれ、繰り糸もいささか絡まっている。それを気の毒に思ったニコが、解いてやろうと糸に手をかけた時だった。

 夕焼けに染まる通りの向こう側に、なにかを感じた。

 それはいま手のひらにある、一体の木人形から響き渡るソラミミの届く先。

 アイタイ、アイタイ。

 人の言葉ではない言葉。こころに感じる不思議な声。そんなものの嘆きが欲していたもの。それはひとりの女性だった。

 見失っちゃう――。

 ニコのこころを突き上げる衝動。気付いたら一心不乱に駆けていた。小さな身体が人ごみに舞う。家路にいそぐ人の波をすり抜けて前へ前へ。

 ぶつかりながら、飛ばされながら。

「ま、待って!」

 息切らし、その女性を呼び止めた。彼女は立ち止まり、ゆっくりとニコを見た。

「なにか御用? お嬢さん」

 誤解を訂正している余裕はなかった。疲労と、空腹と、安堵と、緊張でニコの頭はいっぱいだった。そしてなによりも自分に課せられた使命に忠実だった彼は、なんの説明もしないままに、手にしたマリオネットを女性へと差し出す。

「こ、これ……ハァ、あなた、ハァ、の……」

 よかった、いえた。

 胸裡を満たす達成感に、しばし横腹の痛みも忘れるニコ。しかしそれは、意外な言葉によって迎え入れられた。

「知らないわ。なにかしらその汚らしい人形は」

 女性は冷淡な口調でそういった。

「エ……で、でも――」

「知らないっていっているでしょう! 二度とそんなもの持ってこないで!」

 まだうら若き女性の鬼の形相に、ニコの時間が一瞬とまる。

 追いかけることすらできなかった。全身から力が抜けていく。困惑が次第に恐怖と寂寥をつれてきた。手にしたマリオネットがカタカタと震える。

 ニコのこころを支配していたものはただひとつ――どうして?

 訳の分からない痛みが胸を貫いてくる。

 それを癒したのは彼がこの世でもっとも信頼するものの温もりだった。亜麻色の髪にそっと触れる優しい手のひらの温もり。

「……お師さま」

 ニコは顔を上げることができなかった。

「とてもお腹がすきました……」

 強がりともつかないつぶやき。

 頭の先から伝わった安堵感が緊張を緩めていく。油断した身体はいつも正直にグゥと答える。

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