ダーク・ピンク
紙川浅葱
鉄の翼が夜の闇をなぞる。高音を上げて上昇していく飛行機を、舞は自分の車のドアに寄りかかりながらぼんやりと眺めていた。
時刻は八時をまわっている。大きな荷物を抱えた客たちは足早に出発ロビーに向かい、また、高速バスや送迎の車に乗り込んでいく。軽装な彼女に声をかけたのもやはり、そんな大きな荷物を連れた女性だった。
「……悪いわね、迎えに来てもらって」
「別に。暇してたし」
車のキーを指で回しながら、舞は視線を目の前の女性に移した。彼女はこの空港で別れたあの日と何も変わらない顔をしていた。
「二年ぶりね、舞」
「変わってねぇな、奈々は」
「そういう貴女は切ったのね、髪。私、貴女の長い髪好きだったのに」
短い黒髪にタンクトップとジーンズの舞に奈々は懐かしむように言った。
「色々あんだよ、色々」
「……そっか」
奈々はそこで言葉を止めた。
「で、どこ行くのよ」
舞はスポーツカーの狭いトランクを開けて訊ねた。自分が呼ばれる理由は何となく察しがついている。
「ええ……横浜の魔法協会まで」
想定通りの答えが返ってくる。かつてふたりで月日を過ごした場所へ。
深い赤色をしたスポーツカーは唸りを上げた。湾岸に伸びる高速道路を北へ下る。オレンジの明かりは一瞬だけ車内を照らしては後ろに流れていく。それの繰り返しが続いた。
「煙草いいか」
運転席に座る舞が訊ねた。
「ええ、平気よ」
舞は片手で煙草を取り出す。火をつけないまま口にくわえると、人差し指と親指を重ねてはじいた。ぱちっと火花が飛ぶと煙草の先端に火を灯した。
「まだできるのね。それくらいは」
「まーな。これでも年々できなくなってるけどな」
「電話いいかしら」
「んー」
前を見たまま彼女は答えた。
『こちらホワイトレドです。到着が遅くなり申し訳ありません、先生。はい、スカーレットも一緒に。えーと、あと……』
「15分」
『……15分で到着します。あ、はい今回のイギリスではあちらの魔術協会と……』
――女の子の、一万人にひとりは魔法少女になる。その魔法は十代の間だけの不安定な力であり、過ぎ去りし日々を私たちは懐かしむ。でもたまに、百人のうちの一人だけは魔力を失わないと言われている。常に隣にいた奈々がそうだと分かった時、彼女を恨みもしたし、自分を責めたりもした。
私が降りざるを得なかったステージに、奈々は立ち続けている。その事実は、今夜の私には眩しすぎた。
「……っ!」
奈々が咄嗟に視線を前へ向けた。
「どうした奈……」
「スカーレット」
彼女がその名を呼ぶ時は、魔法少女としてのスイッチが入った時だ。
「これ……」
奈々に言われてようやく、かすかな気配を感じた。違和感と少し懐かしさのある冷たい気配。私たちが、魔法少女が戦ってきた理由。
『先生、カケラです。少し強めな存在のようなので、こちらで迎撃します。』
魔力のカケラ。魔法が使えない普通の人たちの、諦めた夢や叶えられなかった願いが集まって具現化した姿。この存在自体や魔力の塊であるカケラを悪用するような者から人たちを護るために、少女たちは“願い”を魔力にして戦うことができるようになる。
「……迎撃ってどうすんだよ、奈……レド」
「待って、今捕捉する……二分後にベイブリッジの上って出られるかしら」
「……今来た道を逆走すればな」
港を繋ぐ大橋はさっき通った所だった。
「じゃあそれで頼むわね」
「えっおい」
「大丈夫、反射迷彩をかけるから。貴女がぶつけなければ問題ないわ」
「あーもうそういう所あるよなお前って」
「ええ、私は何も変わってないわよ?」
舞は煙草を車の灰皿に棄てた。腹を括ってハンドルを回す。
「そうだったな……行くぜ」
高速を逆走する感覚は、箒で飛ぶ感覚と似ていた。向かい来る車にはこちらの姿が見えていないので、飛んでくる障害物を避けて飛ぶように彼女は車を飛ばした。
大きなカーブを登り切ると、橋の上に戻った。
「おい、いないぜ!?」
追っているカケラの姿はどこにもなかった。
「ここで戦うって意味じゃないわ。敵さんはあそこ」
奈々が指をさした先に、五メートルのサイズで浮かぶカケラと、箒に乗って応戦する魔法少女の姿が見えた。
「私にもかすかに見えるってことは」
「相当大きいわねあれ。流石に初めて見たわ」
走りながら、奈々が車の天井を開けた。
「アレやるわ。一瞬だけ、運転気を付けてね」
「あーもうなんとでもなれって感じだよこの野郎」
彼女が左手を宙にかざす。手首に巻いたブレスレットが煌めいて、橋の照明や車のヘッドライトの白い光を奪った。
橋が暗闇に包まれる。その中で奈々が形成する光の白弓だけが輝いた。舞が逆走を続けるその車から、ホワイトレドは一矢を放つ。
「滅」
橋やその上を走る車に光が戻る。白の矢は幾重にも分散し、そのすべてがカケラを撃ち抜いていく。大きな魔法を受けて主を持たないその魔力は崩壊した。
「やったのか?」
「ええ、ありがとねスカーレット」
ホワイトレドとスカーレット。かつて敵なしのふたりと謂われたその魔法少女たちは、既にそれぞれの道を歩き始めていた。
ダーク・ピンク 紙川浅葱 @asagi_kamikawa
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