こたつ型牙城論考
ここにて少し1年のまとめをしてみたいと思う。なんだかここで書くのは少し場違いが気もするが、まあいいだろう。
と言っても、私が書いたものをネットの海に放流しだしたのは10月から。つまり、2ヶ月間の振り返りとなる。
この2ヶ月、いろんなことがあった。創作をする方と交流ができ、有難いことに時たま感想を頂くこともできた。さらに、素敵な物語を描く人たちを見つけることもできた。
こうしてネットに笹舟を流すようになって思ったのは、いろんな創作の形があるなあということ。小説家を目指している人もいれば、趣味で書いている人もいる。交流をよくする人もいるし、しない人もいる。宣伝をよくする人もいるし、あまりしない人もいる。短いのを書く人もいるし、長いのを書く人も両方書く人もいる。
私はそれらの人たちの牙城を少しずつ覗きながら思う。好きなようにやったらええんぢゃよ。
いろんな形があるので、意見が分かれることもあるだろう。衝突することもあるかもしれない。でも、みんな根っこのスタンスが違うのだ。正しいとか多分ない。少なくとも私はそういう思いでいる。
ものを創る以上、なんらかのトンガリを持つことも、きっと大事なのだろう。それもまたええんぢゃよ。
そのトンガリをちょっと怖いなあと思う気持ちもええんぢゃよ。ええんぢゃよ、ええんぢゃよ。
私自身、いつも「好き」を見失ってしまってなんだか少し苦しいなと思うときもある。
読んでもらえると、とても嬉しい。でも、読んでもらえるから書くになると苦しくなっちゃう。私は好きだから書いている。(この点においても、小説家を目指す人とは考えが違うかも。私は趣味だから自分の好きにやるのが大事。大事なところが違うのね)
いつ書くか、何を書くか、どう書くかは全て私のものなのだ。私の好きにやっていいのだ。
よく同じ迷路に入り込むのだが、そんなときは立ち止まって好きなことをやるだけ、私の好きを追うだけ、と唱える。いつも出口はそこに戻ってくる。
そう、ここは私の牙城。なんて思う。
しかしまあ、そそり立つ古城なんて趣ではない。こたつ型牙城なのだ。
こたつ型なので、一辺に陣取り私は好きなことをしている。時々誰かがやってくると、おみかんをすすめてみる。他に用意した珍妙な菓子もすすめてみる。全部私の好きなものだ。食べても食べてもらえなくてもいいのだ。少し温もっていってもらえるなら幸いなのだ。
何を言っているのかよく分からない人もいるかもしれない。1つだけお伝えできるのは、私の創作にまつわる姿勢はこたつ型牙城なのであるということだ。
夏には縁側とかになるかも知れない。そのときは氷水を張った盥を用意しておきます。涼んでいってね。
最後に、牙城にも様々なものがあるので、私のこたつをうちのとちょっと違うとか、変だとか思う人も勿論いるだろう。ええんぢゃよ。
私はどんな牙城のこともええんぢゃよと言える一城の主になりたい。好き嫌いとはまた別の次元で、応援している。
キリトリ船座礁日誌 切売 @kirikiriuri
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