歯車の記憶

東雲 彼方

時計塔の歯車

 この街の中央には、ひとつ大きな時計塔がある。もう何百年とその場所に鎮座しているらしい。『アンティーク』という言葉が似つかわしい、そんな独特の雰囲気を醸し出している。

 その時計塔の中では飴色、若しくは琥珀色といった輝かしい色で太陽に照らされて光り、精巧な歯車が傷一つと無く整然と並び動き続けていた。

 この歯車は20年に一度取り替えられる。そしてより美しく、より正しく時を刻むのだ。




 さて、この歯車が何から作られるか。君は知っているだろうか。知っているのなら、今すぐこの街を出た方が良いし、知らなくてもこの街からは出ることをお勧めしよう。もしそれでもこの街に住み続けたいのならば、知らないままの方が良いだろう。


 ……話を聞いてから判断したい? 良いだろう。しかし、聞いたらきっと此処を去らねばならない。私はこの話を聞いてしまったから今も尚此処に居るのだしね。

 だからひとつ約束をしておくれ。話を聞いたらすぐにこの街を出てくれ。その覚悟が無いなら私は話す気はないよ。話を聞く気があるのなら、街を出る準備が整ったらおいで。ああ。今日はおやすみ。




 その日、時計は少し遅れたという。もう19年、あと半年しかない。あと半年で、君に伝えられるのだろうか。君を守れるだろうか。そんな想いを乗せた針たちは月に照らされ鈍く光った。




 こんばんは。久しぶりだね。どうだい、準備は整ったのかい? そうか、明日の朝に発つのだね。よし、じゃあ奇妙なこの時計塔の話をしようじゃないか。覚悟は良いかい?


 そうだね、まずは教会の話からしようか。この国の国教は知っているよね。君も毎日礼拝をするのだろう? では教会が口を揃えて言うあの文言を言えるかい?

 そう、『清く正しく美しく』。さすれば自ずと幸せが訪れるだろう、なんて言うだろう。何故清く正しく美しくなのか、考えたことは? ……無いか。この街にとってはそれがきっと普通なんだろうよ。しかし異国の地の民に言わせてみればこの状況は少し異常なんだと。その人は「正しい事とは何かというのは決められているのではなく毎日模索せねばならない」と言った。この国は「良いこと」と「悪いこと」が教会という名の鎖で指一本たりとも動けなくなるほど厳しく規定されているだろう。これは一種の洗脳で、思考の停止。つまりはこの街の発展の終わりを告げるという事だ。由々しき事態だろう? しかし民衆が洗脳されたままではこれには気付けない。特に教会の力が強いこの街は、街全体が教会の操り人形なんだよ。

 果たしてこの状況が『正しい事』と言えるのだろうか。私は不思議でならない。教会が規定した以外のモノは本当に『間違った事』なのか。それを考える余地すらこの街の住人は与えられていないんだ。そんなんで幸せで平等な世の中なんてやって来るわけがないんだ。それでも教会に縋る事しか出来ないんだよ……。


 え、これが時計台と何の因果関係があるんだって? まあまあ、そう焦るなって。じきに分かるさ。


 さて、話は変わるけれど君はこの時計台の材料って何処から集められているか知っているかい? 因みに教会から言わせてみれば「この街で取れた材料で作り、修復しています」だと。しかし知っての通り、この街に金属が取れる場所も煉瓦を作る場所も勿論無い。でも教会は嘘を吐いてはいないよ。これがどういう事を意味するか……。想像してごらん。


 分からない? そうだね、もう少しヒントをあげよう。教会の運営している『幸福の社』は知っているだろう? あれはこの街の老人ホームだね。しかしあの老人ホーム、入居には審査があるんだよ。審査基準は、”如何に教会の教えを守って「清く正しく美しく」生きて教会に貢献してきたか”。



 ――これでもう分かるだろう? ……そうだよ、この歯車たちも元々はこの街の人間だった。それも生命を教会に預けた人間だった。忠誠心を誓った仲間だった。そう思っていたのは此方側だけだったがね。

 もう私がこの歯車の一部となって19年の月日が経つ。あと数ヵ月の命なんだ。君はまだ時間がある。どうかお願いだ、教会の忠犬となって身を滅ぼさないでくれ。今すぐ逃げて、生きて。どうか私の分も楽しく生きておくれ。約束だ。

 明日の朝は少しの間時間をゆっくり刻もう。異変に気付いて教会の人間が慌てふためいている間に街を抜け出すと良い。そうすれば追われる事も無いだろう。どうか、教会の手の届かない異国の地へ。


 どうか、無事で。私はもう少しこの眺めを堪能したら暫くの間眠りに就こうか。うん、きっと君が生きているうちに目を覚ます事は無いだろう。今日でお別れだ。……泣かないでくれよ。君の綺麗な顔が台無しだよ。最後くらい笑って。さあ、そろそろ街が眠りに就く時間だ。君も明日の朝は早いのだろう。眠れなくても横についた方が良い。

 じゃあ、おやすみ。









 次の日の朝、時計塔の時刻は歯車の彼の予告通り少し遅れた。気付いた教会の人間が街中を駆け回っている。ご苦労様だ。さて、私もそろそろ行かなくちゃ。



「バイバイ、おじいちゃん。楽しかったよ。また来世で会おう」


 ――Fin.

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