アルマナイマ未踏領域 ch.2
翌朝、日の出とともに目を覚ました。
空港のロビーに下りていくと、トゥトゥの姿は既になかった。
寝台がわりに動かしたソファは元通り片付けられている。
アムは、不安になってトゥトゥの名を呼んだ。
もしかしたら、何も言わずに出て行ってしまったかもしれない。
死に場所を探す永遠の航海へ。
そう思ったら、背筋が寒くなった。
太陽が昇るにつれ、ガラス張りの正面玄関から朝の光が押し寄せて、空っぽの到着ロビーを染め上げる。
その色はアルマナイマ星の、生命の力強さを感じさせた。
アムは朝日の中に焦って飛び出し、トゥトゥの名を呼ぶ。
「どこ行ったの!?」
空港を一周しても返事は無い。
自転車に飛び乗って爆走すると、滑走路の近くに輪になって座っているセムタムたちの姿が目に入った。
「エンダ!あなたたち、トゥトゥを見てない?」
挨拶もそこそこに、アムが息せき切ってそう言うと、リーダー格のひとりが立ち上がって南を指し示した。
南はセムタムたちの上陸点。
すなわち船出をする場所。
「ありがとう!」
いつもなら整備不順の原因を減らすために滑走路の脇で自転車を止めるが、今日はその禁を破る。
一刻も早くトゥトゥに追い付きたかった。
自転車をこぎながらちらりと見やると、黄金の王の残留物は、昨日から何一つ動かされていないように見える。
破格の相手であるが故に、セムタムたちも対応に困っているようだ。
ドゥラアカト、彼らの長として認められた成人衆の判断を待っているのだろう。
朝日が黄金の王の鱗に乱反射して、恐ろしいまでに美しかった。
クエイ。
トゥトゥがそう言った時の、感情を押し殺した声の欠片が、まだ耳に残っている。
さらに力を込めてペダルを踏みこんだ。
ぱあん、と破裂音がしてアムは前につんのめる。
タイヤがパンクしたのだと思い至ったのは、体の痛みが少し落ち着いてからであった。
気づいたら滑走路に転がっていた。
じんじん痛む体を少しずつ伸ばしながら見る空は、爽やかに青い。
「やっちゃったわ」
この星ではパンクしたタイヤを直せる見込みはゼロに近い。
エヴァンに怒られるだろうな、とアムは思った。
絵の具のような鮮やかな青、吹き流された雲の白い筋。
そこに、ぬっと赤が混じった。
「寝てると踏んじまうぞ?」
アムは急いで上半身を起こす。
ひどく痛かったが、構ってはいられない。
「トゥトゥ!」
「何やってんだドク」
「何やってんだって、あなたがいなくなったのかと思って」
トゥトゥは胸を反らせて、ぶははははと豪快に笑った。
ひとつに結った長い髪が炎のように揺れる。
昨日ココアを飲みながらうじうじしていたのは、いったい何処の誰だったのか。
「さあさドク、朝飯喰ったか?早くしねえと市場ぁ仕舞っちまうぜ」
「市場?」
「じじばば待ってる間に俺らが食うに困るだろ。坂道に料理人どもが陣取ってる。目ざてえやつらだからなあ」
アムは跳ねるように立ち上がった。
服を探ると、ポケットにはちゃんと小さなメモがしまってある。
衣食住は人々の生活を探るうえで、どんな星のどんな種族に出会った時でも重要なファクターだ。
「トゥトゥはもう食べたの?」
「軽くな」
「一緒に行ってくれない?」
「ドク」
トゥトゥの顔にためらいの色が浮かんだ。
アムはトゥトゥの胸を軽くたたいて(これはセムタムの親愛の仕草)、言う。
「私はね、あなたと一緒にいたって理由で何か言われたとしても、これっぽっちも怖くないの。それよりもトゥトゥと話をしたい。美味しいもの教えてよ。あなたが嫌でなければね」
深く息を吐くと、トゥトゥは頷いた。
「仕方ねえなあ。ドク、どのみち売れるもの持ってねえだろ。釣りに行くか」
「そうこなくっちゃ!」
パンクした自転車を滑走路脇の草むらに引きずって、ポピの木の根元に立てかける。
トゥトゥは手を出さなかった。
余所者の技術にセムタムが軽々しく触れることはない。
どれだけトゥトゥが異星の文化に柔軟だといっても、無限に柔軟なわけではない。
それはアムも同じことだ。
例えばセムタム女性はオルフを見せるために、上半身は胸以外の部分を隠さない。
でもアムは恥ずかしいので空港内では上着を着る。
その恥ずかしさは文化の違いによるもので、アカトになったからといって速やかに生まれ育った価値観を捨て去れるわけではないのだ。
トゥトゥと並んで歩きながら、そんなことを思う。
昨日、アララファルの鱗を求めてセムタムたちが居並んでいた坂道に、今はずらりと炊事の煙が並んでいた。
「すごい」
アムが目を輝かせて言うと、セムタムの料理人たちがぱっと顔をほころばせて応える。
「ドクターどうだい、このホピマウがいちばん美味いぜ」
「いんや、うちのテテカだね」
「違う違う。うちのプーリは女性うけがいいんだから」
アムはいちいちノートを取り出して記録を書きつける。
ホピマウは保存食としても重宝される、ホピの葉で魚や肉を包んだ蒸し焼き。
テテカは、小魚の塩漬けをあぶったもの。
プーリは、アルマナイマ固有のイモを潰してプリンのように蒸しあげた甘味。
ボールペンを取り出して(恐ろしいことに、この単純な形のペンは地球の20世紀の地層から発見されたものとほとんど変わり映えがしない)紙の上を走らせていると、セムタムたちがしげしげと覗き込んでくる。
彼らにもハウライ―――創世神話にて海龍の王アラコファルの鱗に浮かんだ紋様に着想を得てセムタムの祖が生み出したと説明される文字があるのだが、アカ・アカを通じてセムタム間の知識が均一化されていることから、書くあるいは書き残すという行為の需要が無かった。
それ以前に書きつける先である紙、パピルス、引っかきやすい石といった資源が少ない。
従ってハウライ文字が登場するのは神事、あるいはオルフとして成人の背に彫りつける用途に限定された。
朝ごはんについて文字で書き留めるアムの姿は、物珍しいだろう。
自分の習熟したレシピであれば目をつむっても皿に盛り付けるところまで出来ると、知り合いのセムタム料理人は言ったものだ。
アムのことは、知識ひとつ頭に納めることすらとても不器用な種族だと認識されているかもしれない。
夢中でノートと格闘している間、トゥトゥは何も言わなかった。
それが彼の優しさであることをアムは承知している。
頭の禿げあがったプーリ屋の店主が、売り物を小さく切って試食させてくれた。
ほんのりと甘く、どこか懐かしい、カスタードプリンに近い味がする。
「美味しい」
と言った拍子におなかが鳴った。
アムが、あ、とおなかを押さえると、店主は笑い
「早く大きなものを食べさせてもらいなさい。あなたは沢山の役割をする人だから」
とジェスチャーを交えながら言う。
「そうするわ。ありがとう」
トゥトゥのニュアンスには慣れたが、初対面のセムタムとの会話はまだいささか拙い。
顔を赤くしたアムが歩き出すと、頭の上の方で、ふん、とトゥトゥが鼻を鳴らした。
何事かと見上げると、トゥトゥの視線は坂の先、海の方を見ている。
船の近くにエヴァンが立っていた。
珍しくセムタムと話をしていて、今ちょうどその会話にきりがついたらしい。
通訳が要らないくらいの内容だったならアムも心配することはない。
こちらに気づいたエヴァンが手を振ったので、アムも振り返した。
トゥトゥはもう一度わざとらしく鼻を鳴らした。
「やっぱり嫌い?」
「ナアカ(成人ではない大人)は嫌いだ」
やれやれ、と思いつつも、アムは坂を下った。
少しだけ離れてトゥトゥがついてくる。
「アム、もう起きたのかい」
「エヴァンこそ早いじゃない。珍しくセムタム料理にチャレンジ?」
「いやあ……」
エヴァンは柔らかい金髪をくしゃりと掻く。
「やっぱり僕は舌に合わなくって。保存食のヌードルにも、いい加減飽きてきたんだけどね」
「こればっかりは難しいわ。昨日の墜落は、あなたの胃には痛手ね」
アムがおなかをつつこうと指を伸ばすと、エヴァンは、ひゃあと言いながらそれを避けた。
「そういえば、エヴァン。また発注間違えてる」
「えっ?」
「補給軍に送ったリスト、電子とペーパーと二重に提出しちゃってるの」
「あちゃあ、また間違えたかあ。ごめんよ、アム」
「これで三か月ぶり五度目よ。帰ったら直しておいてね。このままだと倉庫がヌードルで破裂しちゃう」
トゥトゥは鼻を鳴らしながら二人の横を通っていく。
これからどうするのかと問われたので、アムは海に出ると言った。
「セムタムには彼らのやりたいようにやってもらったらいいわ。調査は終わったんでしょ?」
「僕の方はね。アム、君に……」
ファッカムセラン・カヌーの帆が開く音がした。
アムは、申し訳ないとは思ったけれども、今朝ばかりはエヴァンとのおしゃべりに付き合う気がしなくて、聞こえないふりをして身を翻した。
「ごめん行かなきゃ。半日で帰るから!」
砂浜に飛び降りて駆け出す。
トゥトゥのカヌーはもう、ゆっくりと動き出している。
全速力で砂浜を走ると胸が高鳴ってきた。
海が呼んでいる。
鳥たちの甲高い声がする。
波の囁きが聞こえる。
ああ、私の居場所はここだ、とアムは思う。
トゥトゥがラン(浮き木)に片足をかけて、乗りやすいようにしてくれている。
きゅっと口を一文字に引き締めて、砂浜を蹴る。
水面に半ば沈んでいるランに着地すると、トゥトゥが引っ張り上げてくれた。
「ははは、相変わらず勘がいいなあ、ドク」
「もう!すごく緊張したのよ。船に乗るの一か月ぶりなんだもの。届かないかと思った」
「そりゃあ長く○○〇だなあ」
「なになに、なんて言ったの?」
「カラコラコは水が無いこと。船に乗らないセムタム」
「ああ、干上がってるて意味なのね。面白いスラングだわ」
「天候が悪かったのか?」
「ううん。ちょっと悪いことがあって。先月の便で来た観光客がひとり行方不明になったの」
「なんだ、いつものことだろ。そのへんに沈んでらあ」
アムと話をしながらも、トゥトゥはカヌーの上をせわしなく行ったり来たりしている。
湾を囲むラグーンを抜けるまでが、実はいちばんの難所だ。
ラグーンの付近は浅瀬が多いし、海に出るための切れ目は流れが速い。
「手伝った方がいい?」
「いいや、ドクは客だから。座っていて」
ファッカムセラン・カヌーの材質は主に龍骨である。
この素材は木よりも丈夫で軽い。
おまけに火に強いから、いざとなれば船上で煮炊きもできる。
セムタム達にとって龍がそばにいるというのは大いなる幸運だった。
アムはアルマナイマ星以外の海洋民族も調査したことがあるが、鉱石や木材、加工に適する土の不足によって<うつわ>を発展させられないパターンが多かった。
龍体は加工すれば様々な可能性を引き出すことが出来る。
セムタムの伝承歌もその恩恵を称える。
例えばその名もずばり、『龍の体の歌』はこうだ。
骨はカヌーや鍋に。
鱗は武器や釣り針に。
牙は勇士の胸に輝く。
肉は我らの体に。
血は神聖なる染料に。
空を行く龍の骨は軽く、地を歩く龍の骨は重く、海を泳ぐ龍の骨は我らと同じ重さ……。
このあと、龍の内臓について、それぞれの格について、恩恵をあずかるための儀式についてなど実践的な内容が続く。
龍についての歌の中でも特に基本的な歌で、これを子守歌にする母親も多い。
セムタムの魂に染み込んだ歌だ。
「ところでトゥトゥ、どこまで行くの」
「潮の向くまま。パレイパレイが見えるから近くになんかいるよ」
トゥトゥの指さす方を目を凝らして見ると、はるか遠くに白い海鳥が矢印型の群れをなして飛んでいるのが辛うじて分かった。
パレイパレイの飛ぶ下には魚の群れか、小型海龍がいることが多い。
鳥の群れの左手奥には、ぽつんと島影がある。
その名もアムナ島といい、アムにとってはなんだか自分のものように思える島だ。
初めてカヌーの練習のためにラグーンの外に出た時、目標にした島でもある。
トゥトゥが手早く調整すると、風を強く受けた帆が気持ちの良い音を立てて張り詰めた。
カヌーの速度がぐんと上がる。
飛ぶように進むカヌーは波を切り、風を追い越す。
アムが歓声を上げると、トゥトゥもまた勇ましく吼える。
「海はいいだろ、ドク」
舳先に立って胸を張るトゥトゥの姿は、どこからどう見たって誇り高いセムタムだった。
アムは言う。
「ココウ(かっこいいよ)、トゥトゥ」
トゥトゥは口角をふっと吊り上げた。
「そうかい」
「そうよ」
「アエラニ(ありがと)」
少々ぶっきらぼうに言ったトゥトゥは不意に顔を背けると、海面にそっと櫂を下ろす。
この辺の流れは知り尽くしているはずなのに、どうやら照れているらしい。
アムは頬が緩むのを押さえられなかった。
セムタムの歴史は重い。
だけれども、独りで背負う必要はないはずだ。
今でも鮮やかに覚えている。
アルマナイマ星の調査員として降り立った時、初めてアムの拙いセムタム語に付き合ってくれたのはトゥトゥだった。
彫りが深く、心を見透かすような目をしたセムタムの青年は、まだ星になじまぬアムの目には恐ろしく見えたものである。
ただ彼は、好奇心旺盛な優しい魂の持ち主であった。
大きな体を折り曲げて、何度でもアムの発音の間違いを正してくれた。
カヌーの手ほどきも、おいしい料理の見分け方も、サバイバルの仕方も全部、トゥトゥがまず教えてくれたのだ。
この星の名は、セムタム族の創世神話における原初の神が、続いて産まれたすべての命に対して戒めた言葉による。
それはセムタム族の人生観の根幹をなしていた。
アルマナイマ、その意味はすなわち<過不足を求めるなかれ、均衡を貴ぶべし>。
お返しをしたいと思う。
アムがもらった恩はトゥトゥの背を支えて初めて、やっと釣り合うくらいだと感じるのだ。
この星の神が正しく裁定してくれるのならば(と考えるのは随分と不敬だろうか?)、トゥトゥを引き留めたからと言って怒られることもあるまい。
「ドク、見てくれ」
舳先のトゥトゥが手招きした。
横顔が厳しい。
嫌な感じがする。
アムはバランスを崩さないように立ち上がった。
代わりにトゥトゥが舟の中ほどに下がって、ふたりは位置を入れ替える。
カヌーが前傾してしまうので、舳先に並び立つのは難しいのだ。
「飛龍の死骸…?この辺りではかなり大きめの個体ね」
「ドク、気になるのは首だ」
カヌーが近づくと、水面に下りていたパレイパレイが騒がしく飛び立つ。
視界が瞬間、白くなった。
鳥類の独特なにおいが鼻につく。
トゥトゥが帆をたたんだ。
ファッカムセラン・カヌーの速度が落ちて、死骸の翼に乗り上げないように角度を細かく調整しながら近づいていく。
龍の体長はカヌーよりも長く、鼻先から尻尾の先までおおよそ10m。
白い腹を上に見せる姿勢で浮かんでいた。
一本角を生やした立派な頭は海面下にある。
まだそれほど腐臭がしないところから、死後間もないものだろう。
「首の傷を見てほしい」
トゥトゥが言う。
アムは水面に向かって手のひらを広げながら応える。
傷の直径はアムの手のひらよりも大きそうだ。
「えぐられてるみたい。何で突いたらこんなに?」
「銛にしては傷が大きすぎる。セムタムの仕業じゃない」
アムはトゥトゥを振り返った。
「この大きさの龍を襲えるのは龍だけじゃない?でもそれにしては不自然よね」
「ああ。ざっと見たが首以外に大きな傷がねえんだ。龍同士で噛んだにせよ、爪でえぐったにせよ、ただ一つの傷で終わるとは思えねえな」
「うん、縄張り争いならもっといっぱい傷があるはずね。捕食だったらこのまま残してあるのもおかしいし」
トゥトゥは頬をぽりぽりと掻いている。
空から様子見していたパレイパレイのうち、命知らずな何羽かが二人の船に舞い降りてきて、キャアキャアと甲高い声でわめいた。
邪魔だと言っているのだろう。
振り向いたトゥトゥが、食っちまうぞ、と怒鳴ると、あたふたしながら再び舞い上がった。
「まあいいや、ドク。こいつをアムナ島まで曳いて行こう」
「調べないといけないものね」
「弔いもな」
トゥトゥは船底に巻いて置いてあったロープを取り出すと、その片方を船尾飾りの鉤に結び付け、もう片方を自分の手に巻いた。
躊躇なく海に飛び込むと、すいすいと龍の顔の下に潜り、あっという間に縄を固定する。
アムは手品を見せられているようだった。
こればかりは、生まれた時から海と龍が横にいるセムタム族でなければ体得できない。
「トゥトゥ、縄どうやったの?」
カヌーに上がったトゥトゥは大型犬のようにぶるっと身を震わせた。
しぶきがアムの所まで飛んでくる。
「あ?ああ、あの龍な、歯が折れてたんだ。そこをくぐらせてある」
トゥトゥが口に指を突っ込んで、こんな風に、と見せてくれた。
「歯が折れるなんてね。ずっと折れてたのかな。それとも落ちたとき?エヴァンに解析してもらった方がいいのかな」
嫌そうな顔をしたトゥトゥを見て、アムは即座に
「ごめん、今の無し」
と言う。
鼻を鳴らしたトゥトゥは、少しだけ乱暴に櫂を握って漕ぎ始める。
今度は照れ隠しではなくて本当に漕ぐのだ。
アムも櫂を取って、トゥトゥとひとり分の間隔をあけて海中に入れる。
角度が良い塩梅になったところで帆を開き、カヌーに勢いをつけた。
船尾に結んだ綱が徐々に張っていく。
綱が張り切ったころには、カヌーは龍の重量を引っ張るのに十分な風を捉まえていた。
アムナ島は指呼の間にある。
曳航が上手くいけば、砂浜の間近まで海龍を運んでいけるだろう。
そうすればカヌーからおりて、しっかりした地面に足をつけて観察することが出来る。
パレイパレイの群れも一緒についてきた。
どうしてもこの巨大な食料を手放したくないのだろう。
それに、待っていればセムタムがおこぼれをくれるのを、彼らは良く知っている。
龍の死骸の所有権は第一に発見者にあるが、自分が必要とする以上のものをそこから取ってはいけないという暗黙の了解があった。
それもまた、独占を卑しいものとする<アルマナイマ>の考え方なのだろう。
島のラグーンが見えるほど近づいたところで、突然パレイパレイの群れが方向転換した。
反射的に顔を上げてそれを見ようとしたアムを、トゥトゥが覆いかぶさるように抑える。
それと同時に乾いた炸裂音が響いた。
船尾の辺りで、何かが―――カヌーしかないのだが―――爆ぜる音。
それからアムの良く知る、だがこの星にはあってはならないリズムが聞こえる。
エンジンの回転する音。
「逃げてトゥトゥ」
「何だって」
「余所者の船が来た。こっちより速いわ!」
トゥトゥが勢いよく立ち上がる。
「気をつけて」
頷いたトゥトゥは、船尾に走りよると力を込めて綱を外し、龍の死骸を解放した。
アムは帆を最大角度まで展開する。
エンジン音は前方から響いていた。
ちらりと目を走らせると、小型のボートが島影から出て、こちらの行く手を塞ぐように鼻先へ、鼻先へと動いている。
重みの減ったカヌーは滑らかに速度を上げたが、風頼みのこちらがエンジンを搭載した船を回避できる可能性は、ほぼゼロだ。
再び炸裂音。
浮き木の先端がはじけ飛んだ。
「銃」
アムは奥歯を噛みしめる。
ボートの乗組員の姿がちらりと見えた。
セムタムらしき肌色の人間が数人、そのなかに明らかに違うファッションの人間がひとり立っている。
ボートの操縦をしているのがセムタムなら、さらに逃げきれる可能性は低下するだろう。
風の読み方も潮の読み方もこちらと同じ知識を持っているのだから。
「くそ。妙なもん使いやがって」
と吐き捨てるようにトゥトゥ。
「泳ぐ?」
「いや。ドク、しっかりつかまっててくれ。一か八かだ」
ズボンのポケットから、トゥトゥは何かをつかみだした。
手を開くと、そこに一塊の黄金が乗っている。
トゥトゥはそれをうやうやしく空にかざした。
「それ―――」
「冠鱗の芯だ。こいつは生きてる。恐らく、まだ持ち主につながってるはずだ」
また炸裂音がして、船首がえぐれる。
かろうじてまだ浸水はしていないが、この調子で撃たれたら、穴をあけられるのも時間の問題だ。
どころか先にアムかトゥトゥかどちらかに当たるかもしれない。
「アララファル!」
トゥトゥは叫んだ。
アムは、はっと身を固くする。
「天のいと高き座よりみそなわす尊き龍よ。風を与えたまえ!」
黄金の塊がぎらりと輝いたようにアムには思われたが、風は動かない。
トゥトゥの赤い毛束が、怒りのあまりぞわりと波打ったように見えた。
エンジン音がひときわ甲高くなる。
さらに一発、今度の銃弾は浮き木を完全に断ち割った。
浮力を減らされたカヌーが、がくんと波間でよろめく。
トゥトゥは堪忍袋の緒を真っ二つに引きちぎった。
「何もしねえってんなら大した腰抜けだぞ、アララファル!そこに一匹親族が死んでるだろうが、てめえ、余所者怖さに仇も討たねえってのか!!」
その言葉の後で、一瞬風が凪いで、続いて台風のような猛烈な風がカヌーの帆を突き飛ばすようにして押し寄せた。
トゥトゥの怒声は本当に天まで聞こえたのだろう。
まるで三歳児が駄々をこねながら気に食わない相手をバンバン叩いているかのような滅茶苦茶な調子で、カヌーは揺れに揺れた。
帆は軸を中心に柔軟に回転し、
「うわわわわわ」
「危っぶねええ」
アムとトゥトゥは船底に転がりこんで、驚異の角度で暴れまわる帆から身を隠した。
カヌーは恐ろしい速度で海原をかける。
今、自分たちがどこにいるのか、そしてボートを引き離せているのかを確認する余裕はなかった。
振り落とされないように船底に張り付いているのが精一杯。
「ドク、見えるか空。お出ましだ」
視線を上げると、さきほどまで真っ青だった上空に、みるみる雨雲が集まってきた。
先ぶれもなく極太の雷が雲の真下に落ちて、衝撃でカヌーが跳ねあがる。
ふたりはカヌーから外へと投げ出された。
てっきり海に落ちるものと思っていたら、着地した先は砂浜だった。
トゥトゥがとっさにかばってくれたらしい。
アムの背中と地面の間に、トゥトゥの逞しい腕があったので、打撲することなくすんだ。
「トゥトゥごめん、痛かったでしょ」
「軽いさ。それよりも、あれ」
島のラグーンにボートが引っかかって、黒煙を吐き出している。
トゥトゥは目を細めて
「天罰だな」
と言った。
「王の槍が降ったんだ」
その言葉に同意するように、ボートは沖の方にぐらりと傾き、派手な音を立てて爆発する。
反射的に耳を塞いで、アムは悲鳴を上げた。
トゥトゥはぴくりとも動かなかった。
「……セムタムも乗ってた」
「ああ。助けにはいかねえぞ、ドク。自業自得だ」
アムは小さく頷く。
どこからかまたパレイパレイの羽ばたきが聞こえる。
それにしてもここはどこなのだろう、と振り返ると、何のことはない空港島の砂浜であった。
普段はカヌーを入れない浜だが、間違いない。
ぐぐう、とアムのおなかが鳴った。
「そういやあ、朝飯抜きだったな」
トゥトゥが、くふふと笑う。
滑走路に続く坂道まで戻ってくると、アムの空腹はいっそう激しいものになった。
あちらこちらから、いい匂いがする。
しかし残念ながら、アムは物々交換できそうなものを仕入れそこなった。
セムタム料理に舌鼓を打つのはあきらめた方が良さそうだ。
と思っていたら、トゥトゥがわざとらしく
「そういえば、間違えてベヌーを二人前頼んじまったんだなあ」
「間違えて?」
「間違えたんだよ」
咳払いするトゥトゥ。
ふたりが坂を上っていくと、セムタム達が血相を変えてわっと集まってきた。
口々に質問を投げかけてくる。
先ほどのチェイスの終盤部分は、この坂の上からでも見えたはずだ。
恐らくそれに関することだと見当はつくのだが、やはりヒアリングの難しい早口だ。
今回は一から十までトゥトゥが聞いているから問題はないだろうが、悔しさはつのる。
トゥトゥはアムを背にかばうようにして人混みを掻き分けた。
時折見せる、顔の前で手を振る仕草は「黙れ」の意。
「ドクは朝飯喰ってねえんだ。静かにしろ!」
我慢の限界に達したトゥトゥが大声で言うと、ようやく四方八方から言葉の雨を降らせるセムタム一同は静かになった。
トゥトゥはアムの腕を引いて、坂をずかずか上がる。
足を止めたそこに、ベヌー、すなわちセムタムの愛する鍋料理がぐつぐつ泡をふいていた。
スマートな体形の店主がトゥトゥに気づいて、鍋の蓋を取って見せる。
ぶつ切りにされたパンパナスと、赤い木の実が泡の中で踊っている。
漢方にも似た複雑な香りが鼻にすっと通った。
「食べ時だな」
と言うと、トゥトゥはどっかりと店先に腰を下ろした。
手招きされるがまま、アムも横に座る。
店主は器用に鍋を火から外して、砂を盛り上げた地面に鍋を置いた。
「まさかトゥトゥ、それで今朝は早かったの?」
「たまたまな。島の近くにいるのを昨日見たんだ」
ポピの実の硬い殻を椀にして、トゥトゥが鍋をよそってくれる。
パンパナスは豪快にぶつ切りされて、アムの椀には手先そのものの塊がどんと入った。
鱗や爪といった部分を上手くきれいにすれば、それでも臭みは出ないらしい。
指でほぐしながら食べると、少々グロテスクな見た目に反して淡泊な白身の肉である。
ほろほろに煮込んである身はそのまま食べても良し、レバーと混ぜて食べてもまた良し。
合間に小ぶりなリンゴに似た木の実をつまむと、ほどよい酸味と甘みがアクセントになる。
「どんな取引したか聞いてもいい?」
「俺が獲ったパンパナスはこれくらい」
トゥトゥが長い手を目いっぱい広げる。
「一匹まるごとこの店に卸したわけだが―――」
物々交換と言うものの、セムタム族の取引は労働力と技術の交換でもある。
例えばトゥトゥの説明によれば、今回トゥトゥが支払ったのはパンパナス一匹と、それを狩猟する行為そのものであった。
料理人はそれを受け取り、独自のレシピと秘伝のスパイスを用いて調理を行う。
ここで料理人の側に、調理の手間と技術という価値が発生する。
双方で価値のすり合わせが行われ、合意に達すれば取引成立。
今回に関してはトゥトゥが二人分のベヌーと、可食部以外の価値あるパーツを。
料理人が残りの肉を好きに扱う権利を受け取った。
「それでだいたい対等になるのね、面白い」
「まあ、今回のパンパナスはそこまで立派な奴じゃねえからなあ」
ずず、とスープをすすりながらトゥトゥが言う。
「俺よりでけえようなのを獲ったときは、半年くらいそれの切り売りで食ってた」
「良い稼ぎになるじゃない」
「とはいえ、ひとりのセムタムが獲っていいのは月に一匹だから、まあよほどの幸運でなきゃ割が合わねえ相手だ。こないだも甲羅の間に手を挟まれて、そのまま海に引きずり込まれたやつがいたって聞いたしな」
ふたりがそうして遅めの朝食をとっていると、坂の上から
「ポーラ、ポーラ」
と叫ぶセムタムの声が聞こえた。
これは、セムタム語における集合の意である。
トゥトゥは頭を巡らせて、耳をそばだてていた。
耳の良さもセムタムの特徴である。
他星の人間が退化し過ぎているだけかもしれないが。
できるだけ静かにアムはホピの実の椀の中身をすする。
良い出汁が出ていて胃が落ち着く優しい味だ。
海でもみくちゃにされた内臓を休め、これからの出来事に備える必要がある。
可能な限りしっかりと食事をとっておくことだ。
それに、トゥトゥはああ見えて礼儀にはうるさい。
きちんと椀の中身が片付くまで、ここを動こうとはしないだろう。
最後の一口をえいやと飲み干すと、アムは店の主にホピの椀を返す。
「ありがとう。カヒ(ごちそうさま)」
椀にトゥトゥが素早く目を走らせたのを、アムは見逃さなかった。
「ちゃんと空よ」
目を細めてトゥトゥが言う。
「よしよし」
こちらも空になった椀を店主に返して、さあ行くかとトゥトゥは立ち上がる。
「何て言ってたの?」
「それがなあ、余所者が来たって話してるんだよな」
釈然としない様子のトゥトゥ。
「さっきの船に乗ってた奴かなあ」
とアム。
「わからんが、まあ見に行こうじゃねえか」
(ch.3へ続く)
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