アルマナイマ未踏領域

東洋 夏

アルマナイマ未踏領域 ch.1


 ◆


 世界は二枚貝の中にあった。

 貝の中では、長らく唯一の者がまどろんでいた。

 唯一の者が見る夢は甘美で何一つ瑕疵のないものであった。

 ところがある時、ふいに唯一の者が寝返りを打つと、その拍子に貝の口が開いた。

 隙間から明るい光が射し込むと、あまりにもまばゆくて唯一の者は目を覚ました。

 その拍子に、永遠とも思える時間ずっと開いていなかった瞼から涙がこぼれ落ちた。

 涙からは三匹の龍が産まれた。

 三匹の龍は唯一の者に比べれば小さな存在だったが、唯一の者は彼らを愛した。

 三匹の龍にせがまれたので、唯一の者はその大きな体をうんと伸ばした。

 すると天と地はみるみる分かれて広くなり、三匹はとても喜んだ。

 世界がまったく明るくなったので唯一の者はまた、まぶしくて涙をこぼした。

 地の多くが涙によって海になった。

 さて唯一の者は三匹を並べて、世界を一周してくるようにと命じた。

 三匹はあっという間に世界を回ってきた。

 最も早かった龍は太陽まで行って、その炎を身に移してきたので、鱗が黄金色に輝くようになった。

 唯一の者は黄金の龍を褒め、天を治めるようにと言った。

 それこそがアララファルである。

 残った二匹の龍に向かって、唯一の者は海の底まで行くようにと命じた。

 海はたいそう深く、世界の果てよりもなお深いようだった。

 一匹はぐんぐんと潜り始めたが、もう一匹は兄弟のうちで最も体が小さかったがために、このままでは負けてしまうと思い一計を案じた。

 小さな龍は涙の海の底に沈んだ大地に呼びかけ、どんどん高くなるようにと言った。

 大地は龍の呼び声にこたえて背を伸ばし、ついには海の表を割って天を突くようになった。

 唯一の者はこの知恵に驚いて褒め、小さな龍に大地の支配者アラチョファルの名を与えた。

 そして潜った最後の一匹は、わずか一息で深い海底まで潜って帰ってきた。

 あの世まで通じる海の淵を乗り越えてなお息を乱さぬ龍の胆力を、唯一の者は褒めた。

 その龍は、海龍の中の長アラコファルと名乗ることになった。

 さて、アラコファルが海底に至った証拠に持ち帰った泥の中から美しい女神が現れた。

 目覚めた女神はアラコファルに求婚し、アラコファルも女神を愛した。

 海龍神と海底の女王の間に産まれた十一個の卵からは、まず沢山の龍たちが、ポピの木が、そして最後に男のセムタムと女のセムタムが現れた。

 唯一の者は彼らを祝した。



『アルマナイマ創世神話』(著:アム=アカエダン)より引用。

 ※なお、作者姓の「アカエダン」は現地の言葉で「星に証立てた者」の意味とのこと。引用者注。




 ◇


 現地時間午前十時五十八分。

 アルマナイマ国際宇宙港の上空二千メートルほどの場所で、大気圏外から突入し着陸態勢にあった汎宇宙客船<ハーヴェスト>が爆発した。

 管制室からモニタしていたアムは、ハーヴェストが上空で大きな花火と化す直前に、ああこれはダメだ、と確信していた。

 爆発の数秒前からレーダーには巨大な影が確認されている。

 それが星の主、龍とよばれる生命体が持つ質量であることは、長年このレーダーと付き合っているアムには自明の理であった。

 今回のレーダー反応は超弩級。

 急いで窓に駆けよってブラインドをこじ開け上空を双眼鏡で眺めると、長い体をくねらせた龍が、白く塗装された宇宙船、世俗的な企業広告をそのわき腹にごてごてと書き込まれたハーヴェストに体当たりするところが見えた。

 龍の鱗は黄金に煌めき、堂々と開かれた翼の間に雷が走っている。

 頭に生えた対の角は螺旋を描いて屹立し、瞳は血の如く赤い。

 長い胴体には三対六本の手足。

 先端まで黄金色に染められた尾が打ち振られるとハーヴェストの胴に冗談のように大きな穴が開く。

 壮麗な眺めだった。

 そこに人命が失われるのでなければ。

 高速で降下中の客船ハーヴェストに反撃の機会は与えられなかった。

 与えられていても、客船の攻撃装置程度では鱗を貫通するに至らなかったであろう。

 龍は天空の彼方から現れてハーヴェストに一撃を食らわせ、木っ端みじんにしたのち、あっという間にまた空の住処に去っていく。

 飛翔に乱れはなかった。

 龍へのダメージは皆無。

 気にくわなかったのであろう。

 恐らくは。

 一年に一度は、こういった不幸なアクシデントが起こる。

 それがたまたま今日だっただけで。

 管制室のレトロな電話が鳴る。

 モニタには緊急事態を知らせる真っ赤なアラートが表示されていた。

「<!>宇宙船からの信号が途絶えました」

 アムは冷ややかな視線でその文字をなぞりながら電話を取る。

 途絶えましたって、そりゃあ爆発したんだもの、現実を自分の眼で見てきなさいよ機械さん。

「はい、管制室」

「ああ神よ―――派手に爆発してしまった、アム」

「知ってる。龍でしょ」

「今まで空港上空に出た中では最大級だった。黄金色だったよ」

「鱗を拾いに行きたいのね?」

「恥ずかしながら」

「行けばいいじゃないの。落下物地帯は関係者以外立ち入り禁止になってるでしょ」

「アム、一緒に来てくれないだろうか。龍の鱗は大きいし、重いし、それに」

「私がアカトだから」

「そう。頼むよ」

「五分待ってて」

「愛してる」

 小さくため息をついて、自分の気持ちをごまかして、アムは受話器を置いた。

 背もたれにかけていたアルマナイマ国際宇宙港のロゴが入ったジャケットを羽織る。

 それからアカトの証であるペンダントも首から下げる。

 宇宙船を模した形に作られた鈍色のペンダントヘッドは、アムとこの星の住民たちとの良好な関係の証であった。

 管制システムに<新規受け入れ禁止>のコマンドを入力すると(そもそも次の便は一か月後だけれども)、アムは照明を落として部屋を出る。

 目から涙がぽろぽろ落ちた。



 宇宙港の滑走路を自転車でかっ飛ばして行く。

 前方に陽炎のような黄色と黒の縞模様のテープが張られているのが確認できた。

 いわゆるトラ柵テープ、昔ながらの立ち入り禁止のサイン。

 どれだけ人が宇宙を渡るようになっても、電子上以外の場所を立ち入り禁止にしようとした場合、いちばん有効なのは物理的に囲うことだという。

 上空の特殊な大気層のせいで電子機器の使用が制限されるこの星では、まったくもってその通りだ。

 十分ほど自転車をこぐと、トラ柵テープの向こうで立ち働いている人影がぽつぽつと判別できるようになる。

 人影の内訳は生きている人間がひとり、残りは人型の作業機械。

 アムに電話をかけてきた相手の姿はそこにあった。

 やせぎすの上半身に、ぺったりと頭に張り付いた短めの金髪。

 テープの前で自転車を止める。

「エヴァン」

 呼びかけると、眼鏡をかけた顔がひょいと振り向いて、笑顔になった。

 相変わらずのふにゃふにゃした優男だな、とアムは思う。

「待ってました、我がアカト。龍の鱗がけっこう落ちてるみたいで、セムタムたちが沢山集まってきてるんだ。いつもより興奮してる。彼らがしびれを切らす前に頼むよ」

「了解。セムタムたちはどこ?」

「あっち」

 エヴァンが指したのは、南側だった。

 そちらには海がある。

「行ってくる。私が挨拶を終えるまでは、触らないようにして」

「分かった」

 神妙な顔で頷くエヴァンに手を振って、アムは歩き出した。

 落下物がいくつも目に飛び込んでくる。

 龍の鱗。

 ほぼ完全な形で脱落したと考えられる一メートル幅の大きなものから、こぶし大のかけらまで、無数に散らばっていた。

 まるで黄金の雪が降ったかのようだとアムは思った

 この星の住人であるセムタムは龍の鱗から様々な品を作る。

 金銭という概念のない海洋狩猟採集民の彼らにとっては、龍の体のパーツというのは最高級の価値を持つ逸品だ。

 完全形の鱗を傷つけずに遠洋の島までもっていけば、一年二年は左団扇で暮らせるかもしれない。

 事故の多い宇宙港の近辺で彼らが待ち受けているのも、当然のことだろう。

 もっとも龍は彼らにとって神にも等しく、神の事故あるいは故意の負傷を待って利益を得ようとする考え方に警鐘を鳴らすセムタムも、勿論のこと、いる。

 セムタム同士のトラブルを避けるために、宇宙港関係者からの挨拶と説明は欠かせないのだ。

 南へ南へと足を進めると、次第に人々のどよめきが聞こえるようになる。

 打ち鳴らされる太鼓、吹き鳴らされる貝笛。

 翻る紋章入りの旗。

 エヴァンの言う通り、いつもより随分と人数が多いようだ。

 彼らが詰め掛けた坂の向こう側に、エメラルドグリーンの海が見える。

 伝統的なカヌー、ファッカムセランの白い帆が海に点々と広がっていた。

 まだ続々とセムタムたちが詰め掛けているのだろう。

 勇気を出すためにアムはセムタムの歌をハミングしながら歩く。

 <海に誓え/卵が割れた日の如く/星を見て進むべき道を知る/海の血族の誓いを>

 照りつける日差しが暑い。

 アルマナイマ国際宇宙港島、通称空港島は常夏の島だった。

 ヤシの木に似た大きなポピが滑走路の脇ににょきにょき伸びている。

 木陰を渡る風は涼しそうだが、アムは堂々とセンターラインを歩かなければならない。

 何故なら、セムタムの文化において隠れることは恥だからである。

 こちらの姿を見つけたセムタムの中から、ドクター、という声が上がった。

 アムの愛称である。

 彼らにはドクターの意味自体は理解されなかったものの、アムという異人を表す言葉として定着してしまった。

 群衆との間には木の柵が置かれている。

 セムタムの運動神経ならば一跨ぎで飛び越えてしまうだろうが、宇宙空港が彼らの社会で黙認されるようになってからは不法侵入されたことはない。

 アムは彼らの作法に従って、胸に手のひらを当て

「エンダ!」

 と挨拶する。

 セムタムたちからは

「エンダ!」

 のおかえしが津波のように押し寄せた。

 裸の上半身に成人の証を下げ、ボディーペイントを施し、ズミックという伝統的な七分丈ズボンを穿いた老若男女のセムタム。

 鍛え上げられた筋肉質の肉体と、鋭い目と、潮の香りを持つ誇り高き海洋民たちの視線がアムひとりに集中した。

 挨拶ののちは、セムタムたちは怖いほど集中してアムの言葉を待っている。

「私は説明し、証を立てます。つい先ほど龍が宇宙船に当たって、鱗が落ちました」

 セムタムは外の星からやって来た人間のことをひとつも信用していない。

 余所者は我らの言葉も知らず、船にも乗れず、海で自活できず、龍に敬意を払わない。

 セムタムにとって価値あるものを何一つ備えていない。

 ただ、アムの言うことだけは尊重して聞く。

 何故ならアムはアカト、証を立て終わった者、すなわち成人のセムタムと認められているからである。

 セムタム成人として認められるための試練をアカ・アカという。

 アムはこの試練に、惑星の外から来た人間として初めて参加し、合格した。

 これが一年前のこと。

 セムタム達はこの試練にために青春のすべてを捧げるようなものだから、アムの合格はあえて基準を甘くしてくれた、つまり彼女の熱意にセムタムたちが動かされた証なのだろう。

 そして、成人が<証を立てる>と言った時には、セムタムはそれを真摯に聞かなくてはならない。

 彼らの前で、歩きながら拾った龍の鱗のかけらを見せた。

 まばゆく輝く黄金色。

 最前列の人々から驚きの声が上がった。

 やはり、という声もあった。

「私たちが一応の調査をした後は、いつものように拾っていただくことができます」

 アムは続ける。

「けれども今日は人が多いようだから、どうか争わないで」

 一度言葉を切ってセムタムたちの顔を見渡した。

 表情の豊かな彼らの顔の上に、いつもとは違う気配が漂っている。

 緊張というか不安というか。

 アムは、その意味することを悟っている。

 セムタム族の創世神話によれば、黄金の鱗を持った龍はこの世にただ一匹しか存在しない。

 天頂の王、雷の槍を握る者、太陽を宿す龍、キナンを従える師。

 そんな大物が現れることは滅多にない。

「その前に教えてほしい。アララフ―――」

 セムタムたちは我先に殺到してアムの口を押さえようとした。

 はっと気づいてアムはその先を呑み込んだ。

 神たる龍の本名を呼んではいけない。

 来てしまうから。

 アカトだというのに、そんな単純なことすら忘れていた。

 しばらく海から離れると、考え方もセムタムから離れてしまうようだった。

 このまま坂を駆け下ってファッカムセランに乗り海に出てしまいたい。

 アムは言いなおした。

 敬意を持って、敬称にて語る。

「<黄金の王>の出現について事前に知っていたアカトはいますか?」

 興奮した現地語が飛び交うのに耳を澄ませる。

 言葉を選んで喋るのは難しい。

 聞き取るのもまた。

 アムは異星語の専門家であり、アカトでもあるが、ネイティブスピーカーではない。

 セムタムはセムタム以外の文化圏を(おそらく)知らないから、自分たちのことを外部の者に説明するのは不慣れである。

 今回の聞き取りは特に難易度が高かった。

 お手上げかな、後でゆっくり教えてもらうしかないかな、とアムの脳が諦めの姿勢を見せ始めた時、

「おめえら、それじゃドクターにはわかんねえよ」

 そんな声が群衆の後ろで響いた。

 口調から読み取るに、そういうぶっきらぼうなニュアンスで言ったのだろう。

 黄金の鱗を見た時とはまた違うざわめきが群衆から上がった。

 ブーイングのようだ。

 アムが顔を上げると、人々を掻き分けたひときわ長身のセムタム青年が、こちらを見ている。

「トゥトゥじゃない!お久しぶりね?」

 久しぶりだな、と青年は言って笑った。

「アカ・アカが無事に終わったなら何よりよ」

「それについては、またゆっくり話す」

 トゥトゥとは半年ぶりの再会だが、いちだんと声が大きくなったように思う。

 百九十センチ強の身長に見合う、太鼓の革のように張りのある大きな声だった。

 燃えるような赤い毛束が、彼が首を少し傾げるのに合わせて揺れる。

 肩にケープを羽織っていて、それがアムには引っかかった。

 成人の儀を終えた者は肩甲骨周りに刺青を彫る。

 それはオルフと称され、成人と非成人を分かつ最もわかりやすい要素なのだ。

 あえて見せないのか、それとも見せたくないのか。

 トゥトゥ一流の反骨心の現れのような気もしたが、わからなかった。

「ドク、こいつらは怖いんだ」

「つまり本物なのね?」

「そう。災いの前触れだからな。アンダナマスのじじいが預言した。黄金の王が空を駆けて、鱗を散らし、余所者の船は沈むであろうと」

「それでみんな―――」

 トゥトゥは両手を広げて、頷いた。

「鱗を壊そうとしてるのさ。地の上に置いておきたくないから」

 まあ俺は持って帰るけど、というようなことをトゥトゥは話したらしい。

 周りを囲むセムタムが鋭い口調で叱責した。

 一方のトゥトゥは片方の眉毛をおどけるようにちょいと上げて、それを同族への返事がわりにする。

 アムが口を挟むよりも先に、トゥトゥが言った。

「黄金の剣は俺に似合うだろう?」

 またセムタム諸氏からのブーイング。

 罵声を浴びながらトゥトゥがにやっと笑うと、その口の中の鋭い犬歯がちらりと見えた。

 どうもこの子は、とアムは気を揉む。

 事あるごとに斜に構えようとする。

 面白がって面倒を起こす。

 能力は一級品なのに。

 しかし成り行き上、この場のかじ取りはトゥトゥを見守るしかないと思って、アムは何も手を出さないことにした。

「アカトたるトゥトゥは証を立てる。俺はあいつの鱗をもらう。文句があるなら―――」

 トゥトゥは拳を掲げる。

「これで来い!」

 やはりそう出るか、とアムは肩を落とした。

 成人になっても喧嘩っ早さはちっとも変りやしない。

 しかも天にまします神たる龍を指してあいつ呼ばわりとは、セムタムへの挑発としては最悪の部類。

 これじゃあただの悪ガキだ。

 勝っても負けても知るものか。

 わっと歓声と怒号が上がり、肉と肉のぶつかり合う音が響いた。

 トゥトゥは、先ほど真っ先に叱責の声を上げたセムタムの首を掴み高々と投げ飛ばす。

 その間に違う相手が飛び出してきて二、三発は殴られたはずだが、屁とも思っていない様子で、叩き返して蹴りを入れた。

 おおよそ百人ほどの群衆がおり、成人しているということは武芸も身に着けている。

 トゥトゥはそのすべてを相手にして殴り勝つつもりであるらしい。

 何とも無謀な、と思われるが、それは正々堂々を旨とするセムタム族のこと、一騎打ちで勝たなければトゥトゥの提示した条件、つまり成人が証を立てた条件であるところの「拳で来い」をクリアすることにならず、袋叩きでトゥトゥをのしたところで不名誉なだけである。

 そういったまどろっこしい(とアムには思われる)思考回路を下敷きにしたうえで、勝算ありとトゥトゥは考えたのだろう。

「先に調査してるからね」

 アムはくだらなくなって、そう告げた。

「おうよドク、すぐに行く」

 トゥトゥは殴りかかってきたプロボクサーのような女性の一撃をかわすと、足を引っかけて転ばせる。

 卑怯者、とその女性は言った。

 トゥトゥは大口を開けて、ぶははははっと豪快に笑う。

「最後に立ってりゃ勝ちなんだよ」

 そして、次に挑んできたやつのズボンを片手一本で掴んで宙づりにする。

 挑発だけは上手いんだから、とアムはほとほと呆れてしまったのだった。



 落下物が散乱している地点に戻ると、エヴァンが真っ青な顔で立ち尽くしていた。

 ただならぬ気配に小走りで駆けより声をかければ、

「アム、話し合いは終わったのかい」

「話し合いじゃないわ。証立てよ」

「うん―――」

「エヴァン?」

「……もしこの状況で生存者がいるかもしれないと言ったら、信じてくれるかい」

 顔面蒼白なエヴァンの顔から眼鏡がずり落ちて、滑走路のアスファルトの上を転がった。

 アムはその眼鏡を拾い上げるのも忘れて言う。

「いるっていうの!?」

「僕のスキャナのアラートに<生体反応あり>って出るんだ。エラーに違いないけど」

 眼鏡、とエヴァンが呻くように言ったので、アムはあわててそれを拾い上げた。

 エヴァンの近視は本来ならばアルマナイマ星外の病院で正規の治療を受けたほうが良いレベルに達している。

 手探りでアムの手から受け取った眼鏡をはめなおすと、エヴァンはアララファルの鱗が散乱する一角を指し示した。

 その辺りでは、鱗に交じって宇宙客船ハーヴェストの外殻の燃え残りから白い煙が立ち上っている。

 アムは目を凝らした。

 エヴァンが言う。

「反応が出るのは、ほらあの大きな鱗の辺り」

 滑走路のアスファルトに、ほぼ完全な形を保った鱗が突き刺さって静止している。

 その鱗は他のものより色が濃く、禍々しいながらも否定しがたい美しさがあった。

 揺らめく年輪模様を見つめていると、吸い込まれてしまいそうに感じる。

「冠鱗ね」

「まさかまさかだよ。こんな鱗が落ちるくらいだから、龍も痛かったに違いないね。でもアム、あの鱗の向こうに誰かが生きているとは、僕には到底思えない」

「行ってみましょう」

 アムが同意を求めて横を向くと、エヴァンは頷いた。

 幾分か顔色が戻ってきたようだった。

 歩き始めるとすぐに、足の裏で微細な破片がじゃりじゃりと音を立て始める。

 太陽の光が黄金の鱗に反射して、それはそれは眩しかった。

 今、どこかの国の探査衛星が通りかかってこの地表の写真を撮ったら、世界は騒然とするに違いない。

 少なくとも地球由来の人間種族はよだれを垂らすだろう。

 どんな大富豪でも羨むような巨大な金塊が、地面にごろごろと落ちている。

 しかも航宙機用の滑走路いっぱいにそれが続いているのだから。

 アムは、自分の腰ポケットに入れていた管制室のマスターキーに、遠隔コマンドで<上空からの撮影を禁止>と打ち込んでおいた。

 セムタム達の暮らしを出来るだけそっとしておいてあげたいとアムは願う。

 そう思うのに溶け込もうとするのは、相反しているような気もしないでもないが。

 エヴァンのスキャナが、ピーと音を立てた。

 スキャナのセンサーは冠鱗の方を向いている。

「生体反応を確認しました、って」

 困り顔で振り向いた生物学者に向かって、アムは首を振った。

「あなたにわからなきゃ私にもわからないわよ」

「成人の儀式のときに何か聞かなかったかい、その、生きた鱗の話とか」

「鱗が生き物になる話はあるけど」

 神話によれば―――黄金の輝きの前では神話と現実の境目が曖昧になるけれど―――龍の鱗というのは、奇跡を起こすための触媒の役割を果たす。

 例えば海を司るアラコファルが身をよじったときに落ちた鱗は、彼の眷属である海龍に変じるという。

 また、セムタムたちに流行り病が蔓延した時、地を司るアラチョファルは彼らを憐れんで自らの鱗を剥ぎ、それを器に聖水を汲んでは島々を回って、病をことごとく癒したという。

 それに引き換えアララファルは……。

「天の龍、黄金の王に関しては、鱗の話は最初しかないのよね」

「最初?」

「ええ。セムタム族の創世神話によれば、世界が始まったとき神の涙から三匹の龍が産まれた。神は三匹に世界一周を命じたんだけど、そのうちの一匹は余裕綽々に太陽まで行って帰ってきたっていうのね。それで鱗が黄金になった」

「あっ、それは僕も知ってる話だぞ。確かアララフ」

 今度はアムが口を塞ぐ番だった。

 驚いてふがふが言うエヴァンに向かって

「名前は言っちゃダメなの」

 わかった?と念を押すとエヴァンが頷いたので、アムは口を解放した。

「それにしても君の手はずいぶんとたくましくなったねえ。最初に会ったときは傷一つなくてお姫様みたいな手だったのに」

「私の勲章よ」

「うん。世界でいちばん素晴らしい手だってことは僕も保証する」

 その時、背後で咳払いが聞こえたので振り返ると、トゥトゥを先頭にセムタムたちが立っていた。

 今のやり取りを聞かれていたかと思うと、アムは少々恥ずかしくなる。

「混ぜてもらっていいかな、おふたりさん」

 トゥトゥがにんまり笑った。

 歯が一本折れている。

「いいに決まってるわ」

 と、アム。

 顔が熱い。

「そう、ちょうど聞かないといけないことがあるの。生きた鱗の話なんてある?」

 ふうむとトゥトゥは唸った。

「俺は知らん」

 それから首を捻って後ろを見やると、少し離れて佇んでいるセムタムたちのひと群れに向かって言う。

「おうい、ドクが話を聞きてえってよ。生きた鱗の話、天の龍のやつだ」

 セムタムたちはざわざわと互いの顔を見合わせて話し始めたが、これと言って良い逸話は見つからなかったらしく、ついに前に出て喋ろうというものは現れずじまいだった。

 トゥトゥはわざとらしく肩をすくめてみせる。

 アムは口を引き結んだ。

 伝承に例のない話だというのなら、どう対応するのが正しいのだろう。

 ここに落ちている冠鱗とは、数ある龍の鱗の中で最も格の高い鱗とされていた。

 頭に生えた二本の角の間に形成され、額を守る役割を持つために非常に硬く、大きい。

 セムタムの語彙ではエダン(星々)―カム(持つ)-ラナ(鱗)、すなわち<宇宙を宿す鱗>と言われる。

 アムがこれを共通語で「かんむり」と訳したのは、冠鱗が角に添って突起型の輪郭を生じるために、古代の王の冠のように見えたからだ。

 さて、冠鱗は神の依り代であるとセムタムは信じている。

 エヴァンのスキャナが正しければ、その依り代は生きているということになる。

 これを穏健に処理する方法がアムには思いつけなかった。

 うんうん唸っているとトゥトゥが歩いてきて、無造作に冠鱗に手をかける。

「悩んでるならもらっていくぜ、俺が」

「ちょっと」

 と驚いてアムはトゥトゥを見た。

「流石に怒られるでしょうよ、それは」

「構うもんか。俺は証を立てたんだし」

 トゥトゥは拳を振り立てる。

 腕は青あざだらけだった。

「鱗は鱗だ。剣でも鍛えてもらうさ。長旅にはうってつけの剣になる」

「トゥトゥ?」

「ドク。俺は成人になれなかった」

 トゥトゥが肩からケープを外すと、今度こそ心の底から驚いて、アムは絶句する。

 成人の証であるオルフは無かった。

「俺の名はトゥトゥ=ナ・オルフ。オルフなしのトゥトゥは、セムタムではない。セムタムでなければこの海では生きられない。災厄になるだけ。……ドク、長旅になるんだ」

 なんてこと、とアムは呟くように言った。

 離れてこちらの様子を伺っていたセムタムたちの幾人かが、そっと顔を背けた。

 それは彼らのトゥトゥに対する気持ちの表れだったはずだったが、それが憐れみなのか嘲りなのか、あるいは羞恥なのかはアムにはわからない。

 ただ、今やらないといけないことだけはわかった。

「トゥトゥ、ココアを飲みましょう」



 マグカップが、ひどくちっぽけに見えた。

 トゥトゥの長い指は陶器の表面にプリントされたテディベアの絵を無意識に撫でている。

 この熊のキャラクターは幾星霜の月日を経てなお、定期的に湧きおこるアンティークブームと共に復活する。

「飲んでいいのよ」

 アムがそう言うと、国際線待合ロビーのソファに腰かけたトゥトゥは上目遣いでちらりとこちらを見てから、ふうふうと息を吹きかけてココアを喉に流し込んだ。

「おかわり」

「味わって飲んでってば」

「最初の一杯は許してくれって。幸運を逃がしたくねえから、早く飲んじまうんだよ」

 トゥトゥは唇をぺろりと舐めてもう一度言う。

「おかわり」

 はいはい、とあきれつつも笑って、アムはテディベアのマグに粉末ココアをスプーン二杯、それからポットに入れたお湯をなみなみ注ぎ、手早くかき混ぜてトゥトゥに手渡した。

 茶色い渦が巻くマグカップの中身を、トゥトゥはしげしげと眺めている。

 まるで海を読むように。

 トゥトゥが無言でココアに集中しているものだから、アムは、半年ぶりに会ったこの青年のことを改めて観察することにした。

 まず感じたのは、また背が伸びてるということ。

 セムタム族の男性の平均身長は170cm程度。

 トゥトゥの190cmオーバーは破格の高身長と言って差し支えない。

 筋肉が一回りついて、逞しくなっている。

 赤い髪色はセムタム族の中では珍しいものではないが、地肌に近いあたりは黒く、先端が赤いトゥトゥのカラーリングは目を引くものであった。

 これは半年前と変わらない。

 マグカップを包む骨ばった手指と、口を開くと覗く尖った犬歯は、エヴァンが提唱する<セムタムの先祖返り>の一例だと思われる。

 犬歯は半年前よりも長くなっている。

 このまま一生伸びるのだろうか。

 もしそうなのだとしたら、そのうち自分の口に刺さってしまう危険性があるということだ。

 いつか歯医者まがいのことをしないといけないのかもしれない。

 ただそれも、トゥトゥがそばにいたらの話だが。

 ちびちびと愛しそうにココアを舐めるセムタムの青年は、海の香りを発散している。

 長旅になる、とトゥトゥは言った。

 それは十中八九、もうここには帰って来られないという意味だ。

 何故、アカトとして独り立ちできなかったのか。

 そして挽回のチャンスは与えられないのか。

 アカ・アカを一度で突破できないセムタムは毎回出る。

 アムと同じときにアカ・アカを受けたのは、四十手前の男性セムタムだった。

 彼は致命的に記憶力が悪く、口承の暗記だけがどうしてもできずに、二十五回の落第を経てまだナアカ、非成人なのだと言っていた。

 挑戦は何度でも認められるはずなのである。

 それなのにトゥトゥは一回で諦めようとしているのだろうか。

 本当に、成人になることを放棄しようとしているならば、それは思いとどまらせたほうが良い。

 アカトであるかナアカであるかは、セムタムにとっては天と地ほどの差がある。

「ドク、俺が変か?」

 と、トゥトゥに呼びかけられて、アムは我に返った。

 青年の深海色の瞳が訝しげにすがめられる。

 随分とぶしつけに視線を送っていたようだ。

「ごめんなさい」

 と、アム。

「半年会ってなかったから、とても―――ううん、あなたたちの言葉でなんて言えばいいのかな。単語が見つからないわ」

「バロバロ(うれしい)?スピ(不思議な感じ)?ハフー(待ちくたびれた)?それとも、△△△?」

 アムは胸ポケットからノートを取り出した。

「待って、最後なんて言ったの?」

「クエイ」

「意味は?」

 ううん、とトゥトゥは天井を睨んだ。

 鼻の頭に皺が寄っている。

「すっきり晴れた日のラグーンにパンパナスが迷い込んできて」

 パンパナスとは地球産のウミガメに似た動物である。

 大きな違いは、この亀が完全なる肉食動物で海龍の天敵だということ。

「俺はそれを銛で突こうと思ったけど、すごくクエイだったからやめた」

「難しいわね。他の例は?」

「あの金色の鱗もクエイだと感じてる」

「感じた、感じた……、ね。ええと、ポラポラ(綺麗;主に女性に対する)に似ている?」

「当たり」

 トゥトゥはそこで、二杯目のココアをくいっと飲み干した。

「ポラポラ、ココウ(男性的な美しさ、男らしさへの誉め言葉)はセムタムを褒める。クエイはセムタムじゃないものを褒める。トゥトゥ=ナオルフにはクエイを使う」

 アムはノートを脇にどけて身を乗り出し、マグを握るトゥトゥの手に、そっと自分の手を重ねた。

「トゥトゥ、一体あなたに何があったの。なんでそんな―――ああもう、繊細な言葉が出てこない!」

 セムタム青年の口が苦しそうに歪む。

「全部、問題なかったんだ。航海術と武術は負ける気しねえし、暗唱もちゃんとできた。竜骨から櫂を作るのも、じじばば連中との問答もできたさ。だけど、夢見師が」

 そこでトゥトゥは目をつむった。

 内なる声を振り払うようにして頭を振る。

「俺の夢見師は何も見なかったんだ。お前の夢には暗いものしかない。何も見えない、ナオルフだ、って……」

 アカ・アカの最後、成人にならんとするセムタムはお告げを受ける。

 そのお告げは夢見師というセムタム族のシャーマンによってもたらされ、内容を解釈したもの、すなわちオルフが背に彫られ、成人姓が告げられる。

 オルフの最後の一筆が入ったとき挑戦者は晴れてアカトと認められた。

 もちろんアムの背にもオルフがある。

 夢見師が告げた成人姓セパアは<繋ぎ手>の意味だった。

「過去に例はないの?」

 アムはすがる思いで問う。

「ある」

 トゥトゥの目がゆっくりと開いてアムを見据えた。

「じじいが五回死ぬくらい前」

 独特な表現過ぎて脳内翻訳が追い付かなかったが、五代前ということなのだろうかとアムは推測する。

「ナオルフと告げられた男がいた。その頃は今よりももっとセムタムの数が多くて、食べ物も住むところもなくて、みな航海も下手くそだったから、争いがしょっちゅうあった。ナオルフはセムタムをまとめて、王になろうと考えた」

 今のセムタム族の暮らしとは随分と違うように思われた。

 セムタムは過密を嫌う。

 衣食住に困るセムタム、私欲に走るセムタムの姿は、黄金の龍と出会うよりも神話的だった。

「ナオルフは黄金の王に武器を借りて、敵対する相手を次々と負かしていった。気づけばセムタムの数は争いが始まる前の半分になっていた。誰もナオルフに反対しなくなった。彼は調子に乗って怖いものなしになり、自分のくるぶしから上の空気を我が持ち主にしてくれと黄金の王に頼んだ。黄金の王は、わかった、と言うなりナオルフのくるぶしから上を雷で焼いてしまった。その音に驚いた島々の王が身を震わせたので津波が起きて、セムタムはさらに半分になってしまいました、とさ」

 アムとトゥトゥの間に沈黙が落ちた。

 アカ・アカのために沢山の伝承を聞き集めたが、こんな話は聞いたことが無かった。

 セムタムの間では誰もが知る物語に違いないのに、余所者のアムには秘密にしていたのだろう。

 トゥトゥが再び口を開いた。

「わかったな、ドク。俺はセムタムの間にはいられない」

「まさかトゥトゥ、それで黄金の王の鱗は俺に似合うって言ったわけ?」

「うん」

「馬鹿」

 とアムは言う。

「馬鹿ってえのは何だ」

 トゥトゥはすごんだ。

「あなたがそんな危ないことする前に、私が全力で止めるわよ」

 大男にしては、ぱちぱちとやけに可愛らしく瞬きをしてから、トゥトゥはぼそりと呟いた。

「そうか」


(ch.2へ続く)

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