アルマナイマ未踏領域 ch.3

 セムタム達は列をなして坂を上がっていた。

 今日は柵は開け放たれていて、そこから滑走路へとどんどんセムタムが流れ出てていく。

「空港の方に向かってる?わっ、プリー(ごめんなさい)」

 誰かの足につまずいてアムがあやまると、その足を引っかけられたセムタムは怒るでもなく微笑んで、いいんですよ、と言った。

 この穏やかさをアムは愛する。

 セムタム達が向かったのは、アムの推測通り空港であった。

 近づいて行くとエヴァンが必死のセムタム語で彼らを落ち着かせようとしているのが聞こえてくる。

 しかし、成人ではないエヴァンの言葉には誰も耳を貸さない。

 アムは慌てて前に出た。

「エヴァン、私が話すわ。その前に何があったのか教えて頂戴」

「ああ、スーパーヒロインのお帰りだ!ありがとうアム」

 エヴァンはアムをハグする。

 男性にしては随分と細っこい骨格だとアムは妙に冷静に思った。

「さっき島に非セムタムの人間が漂着してね。今は医務室に寝かせてあるんだけど、どうやら僕たちがずっと探してた先月便の行方不明者みたい」

「何で今頃……」

「一か月に一度定期便があるっていうのを知ってたんだろ。それを目指して、必死にここまで帰って来たに違いないよ。まあ……」

 と、エヴァンは顔を曇らせた。

 アムもその先に言葉が続かない理由は痛いほどわかっている。

 その定期便は昨日、木っ端みじんになったのだから。

「わかった。話してみるわ。彼らの要求の中身も知らなきゃいけないし」

「お願い」

 アムが向き直ると、セムタム達は水を打ったように静かになった。

「証を立てます。私はあなたたちの話に耳を傾ける。だからあなたたちも私の話に耳を傾けてほしい。お願いできますか」

 前方のセムタム達は頷き、後方からは同意の声が返ってきた。

 いつの間にやらトゥトゥは最前列の端っこで腕組みをして、彼女の声を聞いている。

 徹底的にエヴァンと関わりたくないらしい。

「まず、あなたたちは何を求めていますか」

 すると最前列のセムタムが

「余所者を出せ」

 と言った。

「なぜ余所者を出す必要がありますか」

 アムは必死に言葉を手繰り寄せる。

 セムタム語には丁寧な言葉遣いというものがあるのだが、この際気にはしていられない。

「余所者が余所者の武器で龍を撃ち殺した。あってはならない。あなたは余所者を隠した。その余所者が龍を殺したと、我らは考える」

 そうだそうだ、というヤジが飛ぶ。

「出すことはできない。何故なら、私はここに隠れた余所者の顔を見ていないから」

 アムはゆっくりと彼女を取り囲むセムタムたちの顔を見渡しながら言った。

「私は今朝、トゥトゥと一緒に海に出て、龍の死骸を見た。その龍を殺した余所者に、私たちも襲われた。だから余所者の顔を見れば本物かどうかわかる」

 セムタムたちは殊の外静かにアムの言葉を聞いている。

 空港島に命からがら帰還した後、もみくちゃにされたときにトゥトゥが上手く説明しておいてくれたのだろう。

「少し待ってほしい。余所者の顔を見て、もし龍を撃った人間だったのなら、私はあなたたちにそれを引き渡します」

 アムは、駄目押しにひとこと、きっぱりと付け加える。

「私は余所者を逃がさない。それを証し立てましょう」

 セムタムたちがどよどよと、おおむね賛同の声を上げたので、アムの言は聞き入れられることになった。

 あなたの求めるものは何か、と尋ねられたので、空港前に集まらないようにしてほしい、とアムは言う。

 これは渋々ながら聞き入れられた。

 アカトが証立てると言ったのだから、疑うのは彼らの美意識に反するのであろう。

 ようやく空港を包囲したセムタムたちが三々五々、散っていく。

 安心したアムは、エヴァンと共に空港の建物へ入った。

 トゥトゥは、気づかない間にいなくなってしまっている。

 彼にとっても島の上の大地を汚した強化コンクリートの塊は、ココアにつられて入ることはあるにせよ、肌に合わないものであることに違いない。

 船の修理もしなければいけないし、もらうと宣言した黄金の王の冠鱗のこともある。

 余所者の顔を眺めに付き合うほどお節介焼きではないのだろう。

「生存者のバイタルサインは安定してる。ずっと海に浮かんでたみたいで低体温症と衰弱は見られるけど、怪我もないし」

 エヴァンに連れられて医務室へ向かう。

 その扉の五歩ほど前でエヴァンは立ち止まり、言った。

「それより、ねえアム。僕の耳が確かなら、襲われたって聞こえたんだけど」

「ええ、言葉通りよ」

 アムは肩を落とす。

「海に出て、ほらすぐ南に島があるでしょ」

 窓の外の景色を指さす。

「あのあたりで龍が死んでたの。調べようとしたら襲われて……モーターボートと銃で武装してた。信じられないわ」

「そうだね」

 とエヴァンは目線を落とした。

 海なんか見たくない、外の世界なんて興味ない、とその姿勢は告げているようだった。

「君が無事なら何よりだ」

「エポー(ありがとう)」

 思わずセムタム語で言ってしまったので、慌てて共通語で、ありがとうと付け加える。

「君は本当に馴染んだねえ」

「ふふ、まだ聞き取りは難しいし、話すのだって片言よ。ねえエヴァン、私たちがどうやって助かったか顛末を話したいわ。後で聞いてくれる?」

「もちろんさ」

 エヴァンは再び歩き出して医務室の扉をノックした。

 返事はなかったが、エヴァンは何も言わずに扉を開ける。

 白い壁、茶色いひだのカーテン、疑似陽光ライト、最低限の医療器具。

 低度人工知能プログラム少々、医療ロボットおよびアンドロイドナースは無し。

 本日はそこに、男性患者一名が加わっている。

 アムは胸を撫でおろした。

 私とトゥトゥを狙った人間ではない。

 新入りの患者一名は、ぼおっとこちらを見つめていた。

 無理もないだろう。

 同じ立場に置かれたら私だって言葉をなくすわ、とアムは思う。

 着衣は医務室に置かれていた白いガウン。

 襟に緑色の縁取りがある。

「御気分は?」

 エヴァンが努めて朗らかに言った。

「ああ、悪くない」

 新入り患者は、意外とはっきりした口調でそう答える。

「失礼ですが名前を教えていただけますか」

「リチャード・ガンデ。パスポートはここにある」

「ガンデさん。珍しい苗字ですねえ」

「母が地球系で、父がオリオン系だから。リチャードと呼んでいただければ」

 エヴァンが簡単な質問をしながら簡易カルテを書いている間、アムは、リチャード=生存者を観察した。

 髪は短く刈り込んでいる。

 エヴァンの気の抜けた色とは違い、伸びたらさぞかし豪華な金色になるだろう。

 短めにそろえられた髭が顔を縁取っていた。

 漂流していた割にはこざっぱりと整っている。

 曰く、リチャードは観光業界の関係者だという。

 元はライフセーバー、カヌー競技の選手、密林地帯の河川観光ガイドなど水回りの仕事を転々としていたが、オリオン系の海洋ヴァカンス専門旅行会社<サニーデイズ>に就職して初めての仕事がアルマナイマ星の調査だったらしい。

 経歴に入星審査書類との齟齬は認められなかった。

 疑う余地はない。

 愛用のカヌーを持ち込み、漕ぎ出して三週間であえなく遭難。

 何とか持ち前の体力とサバイバル技術で食いつなぎ、定期便に望みをつないで必死に空港島まで帰ってきた、と説明した。

 セムタムと接触することはあったが言葉がわからず、コミュニケーションはできなかったとのこと。

 彼らは基本的に余所者に興味がないからだ。

 野垂れ死んだら良いと願われたのだろう。

 リチャードの説明に混乱は感じられない。

 アムは、彼を引き渡すことはできないと思い、セムタム達を説得する方法を案じ始めた。

 エヴァンは現在の空港の状況を、ストレートかつソフトに説明している。

 その柔らかな物言いが功を奏しているのか、リチャードも冷静に現状を受け止めているように見えた。

 次の定期便はきっかり一か月後。

 あなたのばあいは辺境星遭難者登録がされているから特別便が検討される可能性がある。

 <サニーデイズ>社は保険に加入していますか?

 ただし、とエヴァンは声のトーンを落として言う。

 アムの耳が彼の言葉に引き付けられた。

「ご存知でしょうが、この星にいる龍―――超大型生物のせいで確実な帰還が保証できないのは残念です」

 リチャードはベットシーツを握りしめた。

 それ以外に感情をぶつける先がないというように。

「何とかならないのか」

「それについては」

 エヴァンは一旦言葉を切り、深呼吸してから続けた。

「賭ける気はありますか。僕にはあいつを殺す方法があると言ったら?」

 アムは小さな悲鳴を呑み込んだ。

「それで安全が確保できるなら。この星はもうこりごりですよ」

 リチャードは事もなげに答える。

 エヴァンはくるりとアムの方を振り返った。

「アム」

 その優しげな顔のそこここに、狂気の渦が描かれているような気がした。

 いや、エヴァンの反応の方が正常なのだ、とアムの中の常識が告げる。

 ここは二度と生きて故郷に帰ることが出来ない可能性のある星。

「君に協力してもらわないといけない。管制室へ連れて行ってくれ」

「何をしようというの」

「宇宙港には、いざという時のために対空兵器が備わっているはずだ。動かすには管制室の緊急防衛装置のロックを外す必要がある。違うかな?」

「エヴァン、ああ、どうか落ち着いて。龍にダメージを与えられるような性能じゃないわよ。戦艦だって沈められたことがあるっていうのに」

 エヴァンの頬が、ひくりと痙攣した。

 笑ったつもりなのだろう。

「策があると言った。実証実験は済んでるよ」

 アムの脳裏に、今朝がた見た飛竜の死骸が鮮やかに浮かぶ。

 銃で殺した。

 火薬で龍は撃てるのか。

 背筋が寒くなった。

「あなた、いつからそんな大それたことを」

「最初からだよ、アム。僕は生物学者なんだ。現状発見されている生物の中で最も強固な装甲をもつターゲットを研究するなら、それがどれだけの衝撃を加えて耐えきれるのか、あるいは死ぬのかを計測しなければならない」

 エヴァンは懐から銃を取り出す。

 あまりにもさり気ない動作だったので、アムには反応を返す暇もなかった。

「さあ、管制室に行こう」

 エヴァンは今度こそ晴れやかに笑った。



 背中に銃口が向けられている。

 ちっぽけだが、それは確実にアムを殺傷できる。

 リチャードは味方にならない。

 なるはずがない。

 常識的に考えて、拡張脳内機能も星間移動の自由も七つ星レストランも、そして生存の権利を不確実にされた人間は、アルマナイマ星から安全に脱出する道があるならば、迷わずそれ―――エヴァンの計画を後押しして龍を殺す選択をするだろう。

 アムは非常識なのだ。

 セムタムとアルマナイマ星に憑りつかれた哀れな女。

 だからどうだというのだ、とアムは思う。

 守りたいものを守るのに常識的正義が要るか?

「ロックを開けて」

 とエヴァン。

 管制室の扉は、アムの生体認証で開くようになっている。

 指紋、静脈、体内パルス、その他。

「感情認証が無くてよかったわね」

 と、アムは嫌味を言った。

 ストーキング、DV、その他の暴力犯罪を抑止するため、怒りや憎しみあるいは悲しみと言った負の感情や、極度の興奮を読み取るセンサーが開発されたのもう何世紀も前のことだが、恐ろしいことにその市場は年々拡大を続けている、という。

 一般的にはセンサーの警告域に達したと認証された場合、オプションが発動する。

 警察あるいは警備会社への即時通報である。

「さて、それはどうかな。ここには駆け付けてくれるような秩序の番人はいないし、駆け付けたとしても武装艦は上空で撃墜されるだろう」

 エヴァンの声は冷静だった。

 指紋認証、クリア。

 静脈認証は、数度エラーが出たのちにクリア。

 扉のスキャナーがアムの体を矢継ぎ早に精査していく。

 ロックが解除されるまではエヴァンも妙なことはしないだろう。

 幾分か、冷静になれた。

 先のエヴァンの言葉が妙に引っかかっている。

 <武装艦は上空で撃墜されるだろう>

 その言い切り方は、どうにもエヴァンらしくなかった。

 アルマナイマ星上空での龍による襲撃の被害は、観光船や貨物船にも及んでいる。

 <武装艦は>

 確かに無事に着陸できた軍艦の類は一隻として存在しないのだが。

 オールクリア、の青白い文字が管制室の扉の表面で踊るように点滅した。

 ぷしゅうと空気を排出する音と共に、滑らかに左右に分かれて開く。

 アムは、一つの可能性に至った。

「エヴァン。あなたハーヴェストで何を運び入れるつもりだったの」

 背中に固い衝撃を感じて、アムは床に突き倒された。

 じんと痺れる痛みが胃の辺りにせり上がる。

 エヴァンに殴られた。

 痛みよりもむしろ、そちらが衝撃的だった。

「立て」

 とエヴァンは言った。

 アムは振り返らずによろよろと立ち上がると、一気に重くなった体を引きずってコンソールの前に座る。

 背後で扉の閉まる音がした。

 制御盤の右手、五つあるモニタはいつものように空港を映し出していた。

 滑走路を映した映像には、アララファルの鱗の周りで立ち働くセムタム達の姿が見える。

 映像の中央付近には冠鱗が確認でき、微かに鼓動のような明滅が感じられるような気もしたが、モニタのちらつきのせいかもしれない。

 そこにトゥトゥはいなかった。

 空は朝から一転して、急速に曇り始めている。

 スコールが来るのか。

「何をしてほしいの」

 アムの声はショックで震えている。

「武器制御パネル」

「……私の生体認証がいるわ。あなたがすべてを話さない限り、操作は拒否する。マスターキーでも武器だけは動かせない。奪っても無駄よ」

 エヴァンの目が冷ややかにアムを見下ろしていた。

 嘘は許さない、とその瞳は雄弁に語っている。

「ここの空港の監督官は私なのよ。制御パネルの操作優先順位に割り込みたいなら辺境治安部隊の権限でも持ってくるのね」

「リチャード」

 と、エヴァンはアムから目を離さずに言った。

「扉の脇の小さなボックスに、制圧用スタンガンが入ってるはずだ。君はそれを持ってくれ。我が愛しの学者さんが何をするかわからないからね。暗証番号は9999」

「無用心な番号だな」

 と呟いて、リチャードはこちらに背を向けた。

 扉の脇にかがんで黄色と黒の<取扱注意>の箱を開ける余所者の姿を、アムはじっと見ている。

 制圧用スタンガンは強化装甲を着込んだテロリストへの対抗措置して、すべての宇宙港に設置が義務付けられているものだ。

 素人でもスイッチ一つで凶悪犯を無力化できる―――ほぼ確実に息の根を止めて。

「連打できる番号の方が緊急時に役立つの」

 思わず解説したアムの額に銃口が向けられる。

「アム、君が操作するんだ。それですべてが解決する」

「違うわね。ロックを開けて、防衛機能をオンにして、私の口を封じて解決するんでしょ」

「何故わからない。ここに僕を閉じ込めるのが君の仕事か」

「この星を壊したくない。仕事ではなく願望よ」

 エヴァンの目がすっと細められた。

 そこには感情が無い。

「あなたは誰」

 アムの問いかけを、エヴァンは嘲笑うようにして聞く。

 三日月の形に口が歪む。

 笑っているのだと気づくのに時間がかかった。

「僕はエヴァン。生物学者にして軍事従業者だ。そうさアム、僕は君を殺す。殺さなければ、僕は特許が取れないからね。君はどうせ僕を告発するだろう?このくだらない星の権利を巡ってね。ああリチャード安心して欲しい。君は生かしておくよ、僕に従順である限り」

 緊張のあまり、ぐ、と喉が鳴る。

 エヴァンは饒舌に喋り続ける。

 背後のリチャードは凍り付いたような顔をしていた。

「僕は発見したんだ。龍を殺傷しうる銃弾を龍そのものから造ることが出来る、ということをね。骨と鱗の粉末を火薬に混ぜるだけで、あの忌々しい飛竜を一発で殺せた」

 アムの脳裏にフラッシュの花が咲くようにして、断片的な映像が浮かぶ。

 首に大穴の開いた飛竜の死骸。

 歯が折れていたのは着弾の衝撃で顎が跳ねあがったからか。

 セムタム達と話し合っていたエヴァンの姿。

 モーターボート。

 余所者の構える銃。

 そして、滑走路。

「さてアム先生、もうわかっただろう。昨日、とんでもない宝の山が生み出されたのさ。空の怪物を撃ち落とすに足る、怪物自身の鱗だ。しかもご丁寧に粉末状になっている」

 エヴァンは、教授をあっと言わせた天才学生の面持ちで、アムを見ている。

「ああ君を逃がしてあげてもいい。それもいいな。僕の協力者の手で追いつめてあげる。君の大好きなセムタム同士が憎しみあい、どんどん死ぬだろうね。さて僕は?龍を殺して売りまくるよ。誰一人齟齬が出なくて、とても幸せだと思うけど」

 アムはふっと息を吐いて言った。

「齟齬が出なかろうと、反吐が出るわ。龍を殺せる武器が出来たとして、どうやって採算を取るつもりなの。大型の龍を仕留めるためには相応の火薬量が要る。そのための輸送船がいつ撃ち落とされるかわからないのよ。誰が買うもんですか」

 銃口がさらに額に近づく。

「なるほど、確かに口は良く回る。ヒントを差し上げよう、敬愛なるドクター。僕はね、実証実験をしたと言ったろ。それは火薬のことだけじゃない」

 エヴァンがいつものようにウィンクする。

 アムは、その表情が好きだった。

 子供みたいに、波に足が触れただけで飛び上がって喜ぶような、そんな時の照れ隠しのウィンク。

「言い忘れたな。僕は辺境維持軍の学者。武器制御パネルの優先順位に割り込むことが可能なんだよ。君の手でこの星を綺麗に掃除してもらおうという、僕なりの誠意なんだけど。でもこれ以上、僕の手を煩わせるなら……」

 その時、誰かが管制室の扉をノックした。

 間抜けなほど平和な声が聞こえる。

「おーい、ドク。そろそろ昼飯食わねえかあ」

 トゥトゥの声。

 きょとんとした顔でリチャードが振り向いた。

 扉を指差す。

 トゥトゥが何を言ったのか、セムタム語を解さないリチャードにはわからないのだ。

「セムタムが迷い込んだんだ。無視していい」

 苛立ちの滲んだ口調でエヴァンが言った。

 またノックの音。

 少し強くなった。

 どうしてここにトゥトゥがいるのだろう。

 空港にアムを迎えに来るなんて、未だかつてなかったはず。

「ドク、そこにいるんだろ?」

 エヴァンは舌打ちする。

「相変わらずうるさいな。何故ここに来る。リチャード、スタンガンの電源を入れてくれ」

 アムは叫んだ。

「だめ!」

 眉間に突き付けられている銃のことも忘れてアムは立ち上がろうとしたが、エヴァンに足を蹴飛ばされて床に膝を突く。

「トゥトゥ、来ちゃだめよ」

 首筋にひやりとした金属の感触を覚えた。

 どこからか隙間風が入ってきて、モニタと別方向にある窓の重いブラインドをかたかたと揺らす。

 ハーヴェストの撃墜を見届けたのは、その窓からだった。

 閉め忘れたのかもしれない。

 そこから漏れてきた光が鋭く明滅した。

 遅れて、雷の音。

 アララファル―――。

「あれ」

 とリチャード。

「おかしいな。電源が入らない」

「何だと」

 エヴァンが言う。

「バッテリーパックが外されてる」

 ほら、とリチャードがスタンガンを見せている気配。

 首筋に当てられた銃の感触が、痛いほど強くなった。

「私のせいじゃないわ。着任してから一度も触ってないもの」

 エヴァンが、無能め、と悪態をつく。

 そんな言葉遣いをするのは初めてだわ、とこの期に及んでもまだアムは衝撃を受けた。

 衝撃を感じる程度には冷静なのか、それとも甘いのか。

 アムはエヴァンが苛立ち、首元の中心から銃口がずるりと滑った隙に、体を捻った。

 銃把を握る右手の手首をホールドし、ねじり上げる。

 成人の儀で習った、セムタム式の格闘術。

 こんな時に役立つなんて。

「くそ!」

 反射的にエヴァンが発砲した。

 管制システムのモニタがひとつ吹き飛ぶ。

 時を同じくして、管制室の扉の方でも軽い爆発音が響いた。

 <緊急事態>

 と機械音声が流れて、サイレンがけたたましく鳴り始める。

 エヴァンは抵抗を止めなかった。

 どころか、平時の彼からは想像もできない俊敏さで、手首を捻じられたまま跳躍してアムの腹を蹴りつける。

 息が詰まった。

 床の上で何とか酸素を吸い込もうとのたうち回っているアムの体を跨ぎ越して、エヴァンは管制官用の椅子にどさりと腰を下ろす。

 アムは必死にそちらへ向かって手を伸ばした。

 止めなければ。

「ここまでくると哀れだな。せめてアララファルを自分の手で殺させてやろうと思ったのに」

 アムの耳には途切れ途切れにそう聞こえた。

 何か命じられたのか、リチャードがアムを引きずって椅子から引きはがした。

 やめて、とアムは叫ぼうとする。

 叫んだところでどうにもならないのは知っているが、それでもなお。

 めり、という軋み音が聞こえる。

 幻聴か自分の肋骨の音かと思ったら、そうではなかった。

 続いて、ばき、という破砕音と共に管制室の扉がエヴァンに向かって飛ぶ。

 飛んできたのは扉だけではなかった。

 椅子から転がり落ちて飛来する扉を避けたエヴァンに向かって、トゥトゥが飛びかかる。

 あらゆる惑星で死につつある大型肉食獣のように、しなやかに。

「殺す!」

「黙れ、野蛮な―――」

 トゥトゥの片刃の剣が、空気ごと引き裂くように振り下ろされた。

 エヴァンは躱しながら発砲する。

 しゅう、と音を立ててトゥトゥの背に赤い血が走った。

 止まらない。

 剣が舞う。

 エヴァン辛うじて直撃を避けるが、発砲する余裕は無いらしい。

 勝てる、とアムは思ったが、エヴァンが白衣の片方のポケットに手を突っ込むのを見て叫んだ。

「避けて!」

 身を引いたトゥトゥの鼻先で、粉末状の物がぱっと散った。

 げほ、と息を詰まらせたトゥトゥに向かって銃口が振り上げられる。

 アムはエヴァンに飛びかかろうとしたが、その肩をぐいとリチャードが引いた。

 そこからは一瞬だった。

 リチャードが右手に持っていた制圧用スタンガンが―――バッテリーがそもそも抜かれていたはずのそれが、光を放つ。

 驚いた顔をしてこちらを振り向いたエヴァンと目が合い、ああ、とアムはどんな感情なのか自分でもわからないまま、ひとひらの言葉だけが口からこぼれた。

 さようなら、エヴァン。

 スタンガンから放たれた電撃は、即座にエヴァンをこの世界から蒸発させた。

 恐ろしいほどの光量を生み出したスタンガンのおかげで、アムの視界はしばらく白いままで、その中に、トゥトゥが剣を取り落とす乾いた音だけが響く。

 まさかトゥトゥにも当たったのか?

 そんなはずはない、遠距離型のスタンガンには指向性があるはずだ。

「ふん」

 と、耳元で知らない声がした。

 そこにいるのは漂流から生還したリチャード、定期便を失い、あげくこんなアクションムービーのような事態に巻き込まれた不運なリチャードのはずなのだが。

「演じるというのも、まあ楽しいものだな」

 ようやく視界が戻ってきた。

 アムは床に寝かされている。

 すぐ横に、見慣れない金色の靴があった。

 いや、靴ではない。

 これは、とアムは今度は思考回路が白くなりそうな感覚を味わいながら<靴>と認識したものの把握に努めようとする。

 これは、何というか、鎧なのではないか。

 時代錯誤甚だしい、金属製の鎧の足の部分。

 何という名称だっただろう。

 地球文明考古学博物館のどしょっぱつの方に飾られていたはずなのだけれど。

 ゆるゆると体を起こす。

 つま先、膝、腰、と視線が鎧の上の方へ進んでいって、着用者その人と目が合った時、アムはすべてを悟った。

「アララファル」

 先ほどまでリチャードであって、今は爬虫類的な瞳を持ったその顔が、微かに表情を見せる。

「儂の名をここまで直截的に呼ぶとはな」

「あ」

 と、アムは絶句した。

 助けを求めて横を見ると、トゥトゥは平伏の姿勢で顔を上げようともしない。

「ただいまは、儂は機嫌が良い故に許してやらんでもない。仏の顔も三度と言う」

「その言葉―――」

 再度アムは絶句した。

 黄金の王の前で絶句しまくるのは不敬極まりないような気もしたが、仕方ない。

 仏の顔も三度まで、そのスラングは古い地球の言葉だったはずだ。

 言語学者だから知っているようなものの、決して一般的な知識ではない。

 人の姿をした龍は、口角をわずかに上げて言った。

「何を考え違えておるのか知らんが」

 今度は本当に笑っているらしい。

 くつくつと小さな声がもれる。

「お主らは我が神話を外から観察しておるにあらず、ただ我が神話の一部分であるのみ。我が世界の内にありて、雷の巡るもの、天を行くものはすべて儂のモノである。分かり易く偉大さを言うてやれば、例えそれが形を成さぬ電子的な知識であっても、電波として漂う以上は儂の脳髄に納まるということだ」

「質問を」

 アムは勇気を出してそう言った。

「許そう」

 と、龍は答える。

「言語学者として教えていただきたいことがあります。無礼なのは承知しておりますが」

「回りくどく申さんでよい」

 この質問がこの場にどれだけ相応しくないかは重々承知の上で、それでも探求心からアムは口に出した。

「ア(龍に対する敬称)-ララ(空、天)-ファル(龍)というお名前は、本当のお名前なのでしょうか」

「ほう?」

 先を促すように黄金の王は小首を傾げる。

「あまりにも意味が整い過ぎている」

「成程、小賢しい」

 アムの耳元で空気が振動したような気がした。

 ぶーん、という微かな耳鳴りのような音。

 それが黄金の王が足の重心を右から左に移し替えたから発生した静電気の類なのか、それとも彼の気分の変化により気圧がこじれたからなのかはわからない。

「答えをやろう。儂の名が先にあった。意味は後からついた。我らが三柱の兄弟の名を、セムタムどもがそう解釈したが故にな。しかし」

 何故だ、と黄金の王は言った。

 アムは龍の赤い瞳を見上げる。

 絶対的に人間とは異種族である証の、漆黒の縦線が走る瞳を。

「私はこの星を守りたいと思っています。知ることは力です。相手のことを知れば、多くの知性体は進んで敵対関係を結ぼうとはしません。完全に理解することなんてできないことはわかっています。それでも、私は、この星の美しさを世界に知らしめ、それからこの星の静けさを保存していきたいと、心から願います」

「心がけは殊勝だが、無用だな。何故なら我が眼は遍く星々を見通して居る」

「ならばご存知でしょう。言語学者のたわごととお聞き逃し下さい」

「くどい」

「神にも黄昏があります。どれだけの神話が没落していったのか。どれだけの神々が世界のあちらこちらで黙殺されてきたのか。私は心配なんです」

 黄金の王の瞳がくっと見開かれた。

 アムは気圧されながらも続ける。

 ひとつ、賭けをした。

「エヴァンはセムタムと協力していました。あなたを殺すために」

「何」

「恐らく、もう既にエヴァンは悟っていたんです。どれだけ正確にかはわからない。でも電子の世界に情報を流せばあなたがそれを自らの知識にするということを。逆に言えばアナログな方法で伝える情報であればあなたに知られないということを。そして、この星の外に興味を持ったセムタムが、最早あなたを害することをためらわないということを」

 自分で話しながら、恐ろしさがつのっていく。

 エヴァンはこの数か月、何度も日用品の発注を間違えていた。

 電子的な注文書と、紙ベースの注文書を重複して送っていたのをアムは知っている。

 彼のうっかりミスだと思っていた。

 だがそうではないと、今は確信している。

 彼は、自分の発注に対して龍が反応するかを実験していたのだ。

 そして今回のハーヴェスト撃墜をもって、仮説は証明されたのだろう。

 何を発注していたのかはすべてが終わったらデータベースに問い合わせてみよう。

 アムは続ける。

「モーターボートや銃は、小さな部品を密かに運び入れ組み立てることであなたの目を欺くことができるでしょう。ですがそのボートを操っているのがセムタム、あなたの民だとしたらどうですか」

 黄金の王は頗る気分を害したようであったが、静かに耳を傾けていた。

 アムの推理通り、黄金の王には初耳であったということだろう。

「王よ、どうか気づいてください。この星の神話には綻びが出来つつあります」

 とうに絶滅した巨大な獣が唸るような気配がして、管制室の窓が割れた。

 ガラスの破片に打たれたブラインドがまるで金管楽器としての才能に目覚めたが如く鳴る。

 ごく近いところに雷が落ちた。

「だがまあ面白い。見込んだとおりに」

 赤い目に宿った険をすっと緩めて、黄金の王は言う。

 さて、と龍は一拍置いてから視線を動かした。

 黄金の王の顔など見えていないはずなのに、手を突き頭を下げた姿勢で息を殺していたトゥトゥの肩がびくりと跳ねる。

「セムタムよ。許す、顔を上げい」

 今朝がた、思い切った名指しの暴言を吐いた後だ。

 トゥトゥだって怖いだろう。

 ずいぶんと遠い記憶のように思えるけれど、まだモーターボートに追い回されてからよう

 やく半日が経ったくらいだ。

「トゥトゥ=ナオルフ。お主の口の悪さは如何なる育ちによるものか。さぞかしセムタムの中でも煙たがられておるだろうな」

 無回答。

 黄金の王は静かにトゥトゥの背を見ている。

 赤い筋が一本走った、それ以外は不名誉に綺麗な背中。

「お主の余白は<選択肢>という名のオルフであったのだがな。だがまあ、己が選択で筋を刻んだのであれば、我が戯れを無に帰した事は良しとしよう。有り余る力は我がために使え。それで今朝がたの無礼は帳消しにしてやる」

 黄金の王は、尊大に言い放つ。

 トゥトゥはやはり何も言わなかった。

「トゥトゥ=ナオルフ、お主に我が冠鱗をくれてやろう。剣に仕立てることを許す。セムタムどもが最早忘れ去った方法で、お主に力を与えることであろう」



 祝祭が始まった。

 ララ・アファラ・モナ、すなわち天の龍を祭るこの行事の開始は、黄金の王の楽器とされる鱗銅鑼によって告げられる。

 それは、雷の音に似ていなくもない。

 三柱の龍に捧げる祭りは、セムタム達にとって最高のレジャーであった。

 海龍の長にして誕生の象徴神アラコファルを称えるラコ・アファラ・モナの祭りでは、この一年の内に新たに作成した武具や生活用品を売る見本市が大々的に開かれる。

 大地を司る英知の神アラチョファルに知恵を見せるラチョ・アファラ・モナは、語り部たちにより毎年新たな物語が謡われる演劇大会の様相を示す。

 では、ララ・アファラ・モナは、といえばセムタムのオリンピックと呼ぶべきであろう。

 カヌー競技や武芸を競う、体力自慢たちの大一番。

 武神アララファルに捧げる汗と涙の一週間である。

 アララファルが降臨した島であるとして、本年度のララ・アファラ・モナの開催地は空港島になった。

 エヴァンの担っていた日常業務と、新たに書く論文『アルマナイマ星における知性体とその特性を活かしたテロリズム抑止についての可能性』の下書き、その論文に続く予定の特許申請「空港到着時保安システム<ララ・スキャナー>」の手続きが、アムの仕事量を膨大に増やしている。

 嫌ではなかった。

 それがアムの生きる道だと定めていたから。

 でも、せめてトゥトゥの晴れ舞台くらいは応援に行かねばと思って、文字通り走ってきたのである。

 アムが砂浜を見下ろす丸太の観戦席に座って

「負けるなトゥトゥ!金メダルをもぎ取るのよ」

 声援を送ると

「負けるわけねえだろがあ!」

 トゥトゥは大声で、相変わらずの憎まれ口を返す。

 観戦席がわっと盛り上がった。

 ふたりの大立ち回りは、すでに群島域に住むセムタムの間では知らぬ者はいない。

 不埒な余所者を退治したふたりのアカト、アムとトゥトゥ。

 次なる競技はカヌー短距離走。

 レースは砂浜から始まる。

 内容はいたってシンプルだ。

 ふたりの競技者が一斉に砂浜からカヌーを押し出し飛び乗って、一つ先の島をぐるりと回って戻ってくる、その速さを競う。

 カヌーが自前の物であれば、それ以外に制約事項は無い。

 予選からの三戦をぶっちぎりで勝ち抜いたトゥトゥはこれから決勝戦に挑む。

 相手はこの競技を五連覇中の強豪エタリ。

 色黒で小柄だが、いかにも精悍なセムタム族らしい男だ。

 成人姓ラコポゥ(海を駆ける者)に恥じぬ快速船の造り手は、スタートの合図を前にトゥトゥと静かににらみ合っている。

 トゥトゥは腰に佩いた黄金の剣の柄をぎゅっと押さえていた。

 黄金の冠鱗から鍛えた、彼のシンボル。

 カヌー競技の王様エタリ=ラコポゥと、アララファル直々にオルフを刻まれたトゥトゥ=ナオルフ改めララカフィ(空の漕ぎ手)の決勝戦こそが、今回の祭りの目玉と言っても過言ではない。

 鱗銅鑼が鳴らされると、両者一斉に砂浜を蹴立てて走り出した。

 トゥトゥの長い長い髪の束が、龍の尾のように翻る。

 身を乗り出して観戦していたアムの横に、何気なく誰かが腰を下ろす。

 こちらも何気なく視線を下げると、そこにいたのは

「ア、ララフ……」

 金髪、顔を縁取る顎髭、少し垂れた目をした青年は唇に指を当てた。

「リチャードだ。お主の文明では、これは<静かに>の意であったな?」

 さながら壊れた人形のようにかくかくとアムは頷く。

 今回は、黄金の鎧は着ていない。

 如何にも柔らかなくたりとした布地のシャツに、平凡なストレートパンツを合わせている。

 足元は飾らない革靴。

 何処にでもいるビジネスマン、何処にでもいるくたびれた観光客に見えるだろう。

 すらりと手足の長い長身だから、お忍びのモデルと言っても通じるかもしれない。

 ただし黄色いシャツにはうっすらと黒い縞が入っている。

 地球トラの柄。

 センスは悪いっぽいな、とアムは密かに思った。

 流行に取り残されているのはこちらも同じだが。

「ジェスチャーの全盛は前文明の頃でしたが、まだ通じます」

「左様か」

「お帰りなさいませ」

「次の便ではテロリスト二名。ただし落としはせんがな。あれのココアが届くだろう」

「スキャナーを試してみます」

 あれの、と言いながら人型に化けた龍は海に視線を飛ばす。

 黄金の王の視線の先では白い帆を勇ましく張った二隻のファッカムセラン・カヌーが競り合いながらまるで飛ぶように海を駆けていく。

 アムは頭を下げた。

 この黄金の王は人型に擬態し、諜報活動を展開している。

 全能の龍として空を駆けていた方が安気であろうにわざわざ制約の多い人の身に混ざるのは、そちらの方が刺激的で楽しいからだそうだ。

 そして、アルマナイマ星を外からの文明で汚染したくないのだというアムの理念に、協力してくれる気があるらしい。

 これ以上に頼もしい味方はいないが、恐ろしくもある。

 リチャード=アララファルは目を細めてアムを振り返った。

「……何か?」

 ふ、と黄金の王は笑った。

「なに、お主の見解を聞きたいと思うてな」

「トゥトゥなら、エタリにも勝てるかもしれません」

「ふん、あれは弟のお気に入りだからな。勝ってもらわねば困る。どれ、風でも吹かせてやるとするか」

「ずるい」

 アムが言うと、黄金の王は不敵に目を光らせる。

「恩寵は有難く受け取るものだ」

 人型の龍は、人間臭く肩のストレッチをしてからアムと共に身を乗り出した。

 風の音がアムの耳元で唸る。

 矢のように放たれた風はエメラルドグリーンの海の囁きとなり、ラグーンをひらりと飛び越し、やがてトゥトゥのカヌーに張られた白い帆を押していくのだろう。

 アムは口元に手を当てて声を振り絞る。

「頑張れ、トゥトゥ!」

 おう、待ってろよ、という返事が彼方から聞こえた気がした。


 ◆


 本日のアルマナイマ国際宇宙港の天候は晴れ、現在の気温は30℃、波はラグーン内ではほぼ0m、外洋ではやや高くなっており、スコールと落雷の頻度は気分次第です。

 どうぞ良い旅を。


(了)

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