黒死将の砦

「なあ、やっぱりあの禿げ頭のいう通り投降してみせるのか、隊長さんよ」


 アレクセイの声を背に受けつつ、長い地下通路を歩き続けると、ようやく前方から陽の光が射し込んできた。おそらくこの先が、出口の古井戸につながっているのだろう。


「まずは守備兵がどれくらいいるのか確かめよう。こちらの人数より多ければ、戦うわけにはいかない」


 僕自身はジャライルに復讐したい一心で、日々自分を鍛え続けてきた。アレクセイも多少、剣は遣える。しかし他の13人は素人同然だ。よほど向こうが油断していない限り、半分の数のジャライル兵にだって敵わないだろう。


「僕が最初に登る。安全を確かめたら改めて合図するよ」


 覚悟を決めると、僕は目の前の梯子に手をかけた。長い梯子を登りきると、降り注ぐ強い陽光に僕は思わず目を閉ざした。ゆっくりと目を開けると、丈の短い草があたり一面を覆っていた。南には小高い丘があり、頂きに木の柵で囲まれた小さなグラードが立っている。


(あれが、トゥーラ砦だろう)


 目的地を発見できたことで、僕の緊張は少しだけほどけた。でも、まだ気は抜けない。砦の周囲に騎馬の影が見えないことを確かめると、僕は井戸の底の仲間を手招きした。


「しかし、ずいぶんと長閑のどかなもんだな、ここは」


 どこか皮肉な調子で、アレクセイが言う。丘のふもとまで歩いていっても、まったく人影が見あたらない。近くに数匹の馬が呑気に草を食む姿が見えるだけだ。

 

「うん?あれは……」


 僕が砦に目を凝らすと、木造りの門が軋み音を立てて開き、中から三人の騎兵が現れた。先頭を走る人物は黒光りする鎧の背に、緋色のマントをなびかせている。


「おいユーリー、まさか、あいつは」


 疾風のように丘を駆け下るその人物は、まさしく黒い死のように、僕たちをめがけて突き進んできた。


「ひ、ひいっ」


 アレクセイが悲鳴を漏らし、一目散に駆け出すと、残った不死隊の兵士たちも蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまった。


「ほう、お前は逃げないのか」


 馬上から降りそそいだその声は、思いのほか柔らかい響きだった。僕は影を地面に縫いつけられたかのように、その場から動けずにいた。心臓は早鐘のように打っていたが、なぜかこの得体の知れない将に、僕は魅入られていたのだった。


「トヴェリのユーリーだな。私について来るがいい」


 呆気にとられている僕を前に、黒死将バートルは馬首を返すと、悠然と砦の中へと引き返していった。僕が逃げるなどとはまったく思っていない様子だ。


(なぜ、バートルがこんなところにいるんだ。それにどうして僕の名前を)


 いくつもの疑問を振り払いつつ、僕は丘の上へと続く道を足早にのぼっていった。






 ◇






「さて、お前がこの砦に赴いた理由を聞かせてもらおうか」


 僕は砦で一番大きな屋敷の中へ入るよう促され、バートルの前に膝まづいていた。床にはジャライル風に黒貂の絨毯が敷かれていて、足元に心地よい柔らかさを感じる。


「閣下、拷問で口を割らせますか」


 僕が口を閉ざしたままでいるので、近習の一人がバートルにそう問いかけた。しかしバートルは静かに首を振った。


「これなら答える気になる、ユーリー?」


 バートルが兜を脱ぐと、甘い芳香が辺りにただよった。兜の下からあらわれた素顔に、僕は目を見張る。


「お久しぶりね」


 亜麻色の髪こそ短く刈っているけれど、少し下がった目尻といい、いつも微笑んでいるような口元といい、その顔を忘れられるはずもない。ずっと会いたいと願っていた人の顔が、そこにはあった。


「オリガ姉が黒死将バートルだったなんて、そんな」

「ごめんなさい、驚かせてしまったわね。実は、貴方がここに来るように仕向けたのは私なの」

「どういうことなんだよ、オリガ姉」

「私の陣営に忍び込んだロージャの斥候を捕らえたから、命を助けるかわりにトヴェリに返して、この砦が手薄だと伝えてもらうことにしたの。禿頭公が不死隊を組織していることはすでに彼らから聞いていたから、そう伝えれば禿頭公はここに貴方たちを差し向けると思って」

「でも、どうして僕が不死隊に入っていたことがわかったんだ」

「それも斥候から聞いたわ。トヴェリの内情について、私達はかなりの情報を持っているのよ」


 オリガは静かな、しかし自信に満ちた声で言った。おそらく、彼女の言っていることは本当なのだろう。オリガに完全に手玉に取られていた禿頭公を、僕は少し哀れに思った。


「僕に会ってどうする気だったんだ、オリガ姉。ただ昔話がしたかったわけじゃないんだろう」


 胸の奥で、懐かしさと悲しさとが入り混じっていた。オリガがジャライルの手先になってロージャと戦っているという事実を、僕はまだ受け止めきれていなかった。


「貴方の口から、改めてミハイルを説得してほしいの。降伏すれば、トヴェリの兵と民の命は助ける。ジャライルの支配に協力すれば、働きに応じて出世もできるとね。私がこうして一軍を率いているのがその証拠」

「僕にトヴェリ征服の片棒をかつげっていうのか」

「ユーリー、禿頭公が私や貴方に何をしてくれたというの?」


 オリガの口調に棘が混じった。確かにミハイルはジャライルに捕らえられたオリガを助けてくれなかったし、それを非難した僕を牢に閉じ込めた。むしろミハイルは憎んで余りある相手なのだ。だからといって、簡単にジャライルに膝を屈する気になれるはずもない。


「オリガ姉がミハイルを憎む気持ちはわかるよ。でもトヴェリには僕の仲間がいるんだ。裏切れるわけがないだろ」

「わからない子ね。トヴェリの民の命を救いたいなら、一日でも早くジャライルに降伏するべきなのよ。抵抗すればどういうことになるか、その身で知ってからでは遅いの」

「どうなるっていうんだよ。僕はジャライルの馬も弓も怖くないぞ」

「貴方は何もわかっていないわ、ユーリー」


 苦しげにかぶりを振ると、オリガは右手の壁にかけてある絵を指さした。絵は白い布で覆われているが、近習がその布を外す。


「逆らえば、トヴェリも必ずこうなるのよ」


 その絵には、燃えさかる城塞の前に山と積まれた頭蓋骨が描かれていた。それを見つめる大汗ハンと思しき人物が、金箔を塗った髑髏の盃を目の前に掲げていた。その姿は、まさしく悪魔タルタルそのものだった。






 ◇





 その日の晩、僕はオリガに盛大なもてなしを受けた。テーブルの上には贅を尽くした料理が並べられ、碧色に光る夜光杯には葡萄酒が注がれた。ジャライルにつけばこれだけいい思いができる、と彼女は伝えたかったようだ。

 結局、三日間もジャライルの歓待を受けたあと、僕はトヴェリへと戻った。うす暗い地下道のじめついた空気を吸いながらも、僕はまだジャライルにつくべきかどうかを決めかねていた。


(オリガ姉とは戦いたくない。でも……)


 ジャライルと戦う道を選べば、遠からずオリガが見せてくれたあの地獄絵図がトヴェリでも展開することになるだろう。罪人まで兵士として動員しているトヴェリでは、とてもジャライルの大軍には抗し得ない。しかも守将はあの臆病なミハイルで、攻めるのは他ならぬ黒死将その人なのだ。


 地下道を抜けた僕を待っていたのは、城兵の疑わしげな眼差しだった。僕は大広間まで連れてこられ、ミハイルの前に引き出された。


「敵地から戻ってきたにしては、ずいぶん顔の色艶がいいな。どうやらジャライルに手懐けられたとみえる」

「決してそんなことはありません。実は、トゥーラ砦には黒死将バートルがおりました。僕は、あの者の言葉を伝えにきたのです」


 僕がそこまで言うとミハイルはやおら椅子から立ち上がり、野良犬でも追い払うかのように僕の肩を蹴った。


「愚か者め。私がトゥーラの兵糧を焼き払えと命じたことも忘れ、黒死将の手下に成り下がったか。大方金をつかまされ、私を降伏させれば千人隊長にでもしてやると言われたのだろう。こやつを懲罰房に閉じ込めろ」


 鉛の塊を飲み下したように、胸の中が重くなった。兵士が左右から僕の腕を取り、そのまま地下牢へと引きずっていった。

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