四 黒玉

 敬一が最初に引き金を引いてから、二人は相棒から一転、出会ったら殺しあうまでの険悪な関係になっていた。狭い世界である、この話は瞬く間に同業者に広がり、巻き込まれてはかなわないと同業者は彼ら二人に積極的に関わるのをやめ、上司もまた、彼らを同じ仕事に就かせるのをやめた。二人もまたそれでいいと考え、仕事以外では鼠と猫のように追いかけて逃げだしを繰り返していた。

 何ヶ月とそれが続けば、さすがに二人も疲れてきていた。敬一は招待状を作ってまで「元相棒」を呼び出し、修二は罠とわかっていながらもこれに応じてしまうくらいには、この追いかけっこを終わりにしたかったである。

 敬一はいまだ己の武器すら構えようとしない修二に舌打ちしてから、

「構えろよ、宮本。死ぬわけにはいかないんだろ?」

「必要ない。この距離から同時に攻撃したって、俺が勝てるはずもない。招待状に応じた時点で、俺は負けている。そしておれがここに来たのは、あることを確かめるためだから」

「何を確かめるっていうんだ」

「君が持っている銃の中に入っている弾は、銀とジェットが混ぜ込まれたものか?」

「……答える必要性を感じない。ただ、お前の落とし物であることは確かだ」

 修二はただ一言「そう」と口にすると、肩をすくめた。自分の部屋からいつの間にかなくなっていた「宮本修二」の遺品。銀とジェットと呼ばれるとある物質が混ぜ込まれ作られた、この世に数発しかない、ある特殊効果を持った弾丸。それを使って殺されるのであれば、修二にとっては自分が相手に宮本修二であると思われていることに他ならない喜ばしいことであり、彼が成り代わった「宮本修二」にとっては悲しいことであり、修二にとってはある意味救いであることに違いなかった。

「じゃあ、もういい。君は俺に消えてほしいんだろう? ならそう願いながら俺に撃ち込めばいい」

「…………」

「それができないのなら、今後一切俺への執拗な攻撃をやめろ」

 敬一は何も答えなかった。代わりに、親指を動かして撃鉄を起こす。この距離で修二が勝てる確率は十分にあるのだ。生きたいと言葉にしたのであれば、騙し討ちをしてでも修二は勝とうとするはずであると敬一は考えたのだ。「宮本修二」は近距離での戦闘を好む。二人で一緒に仕事をするときは、「彼」が囮となって相手を撹乱し、その隙に敬一が射殺するパターンがほとんどであった。今敬一の目の前にいる修二が囮であるならば、撃ったその次の瞬間に殺されかねない。なぜ起こしたのかといえば、あの文脈から察するに、あのタイミングで撃鉄を起こさねば、攻撃の意思なしとみなしてすぐさまに殺しにくる可能性があると敬一は考えたからだ。実際のところ、修二はそうしようとしていたのである。敬一が撃鉄を起こしたとき、彼は納得すると同時に舌打ちがしたくてたまらなかったのだ。

 正直にいえば、今の修二には敬一の銃弾をかわせるほどの技量も、反射神経もない。これは自分が生まれてまだ一年以上経っていないという点に尽きる。彼と行動を共にしていた「修二」であればいざ知らず、修二と敬一の間には、半年程度の付き合い―しかも修二にとっては最悪な―しかないのだ。秒速約四百メートルでこちらに飛んでくるものを避けてみせるなどできようもなかった。

 修二は自分が生き残るための作戦を何度も練り直し、最終的に情に訴える作戦に落ち着いたのだが、それは彼が撃鉄を起こした時点で水泡に帰してしまった。今の敬一には修二の言葉などもはや通じないということだろう。

 ――この男はやっぱり面倒だ。舌打ちしたい気持ちをこらえて、笑顔を見せる。この作戦がだめであればもう、俺に生き残るすべなど残っていないからだった。

 修二の精一杯の笑顔を見た敬一は、ただでさえ最悪な自分の内心にさらに泥を浴びせかけられた気分に陥った。

 別人が、「彼」とそっくりな顔で笑っている。そのことが彼の頭の中を真っ黒に染め上げていった。今更、そんな顔をされたところで遅すぎるのだ。修二が銃弾の紛失に気づいたように、敬一も知ってしまったのである。

「その顔をやめろ、偽物。修二の顔で笑うんじゃねえよ。成り代わるならもっとうまくやることだ」

 ぴしりと向かい側の笑顔が固まる。ややあって、でてきたのは、なんら感情がみえない顔であった。

「いつ知ったの」

「修二が助けて懇意にしていた情報屋が、お前の様子が変だっていうんで、独自に調べてたんだ。そして、その結果を俺に渡してくれたんだ。ちょうど、この落とし物を見つけた直後だったよ」

「ならなんでここに呼び出した」

「それは決まっている。――死んだ人間は生き返らないからだ」

 違う。と直感的に修二は悟った。

 彼は自分が「宮本修二」として生きることを怒っているのではない。ただ言われるがままそれを容認したこの体と、「宮本修二」が許せない。最初は忘れたことへの憎悪だったのが、ここにきて義憤に変わっている。中途半端に変わったせいで、相手を死なせることが、亡き「相棒」への説教であり、弔いであると言っている。修二は声に出して失笑してしまった。笑うべきでない立場であるのに、彼は笑ってしまったのである。正確にいうならば、笑うしかなかったのであるが。

 ――ああもう、これは本当に勝てない。

 今更、宮本修二ではない名前に変えて生きるといったところで、敬一は自分のことを許しはしない。宮本修二を名乗らされた彼は、最初から選択を誤っていた。否、「宮本修二」という人間が行った行為そのものが、最初からすべて間違えていたのだ。

 突然の笑い声に困惑する敬一に修二は近づいていく。すかさず気を張りなおした彼を意に介すことなく歩いていき、やがて境界線として敷いた招待状を跨いだ片足が地についたところで、――パンッと、乾いた音がスタジアム中に響いた。それとほぼ同時に、修二の胸元から赤がにじみだし、地面にぽつりぽつりと落ちて点を描いていく。ややあって、彼は落ちていくそれに引きずられるかのように、仰向けに倒れた。留場を忘れた赤色が彼を中心にして円状に広がっていく。

 修二が力を振り絞って顔を上げれば、向かおうとしていたその場所で、敬一が持つ銃の銃口から、独特のにおいとともに硝煙がでていた。煙と、自分の視界が曖昧なせいで、敬一の顔はよく見えなかった。

 ――だけど、これでいい。これで誰もが悲しまない結末が来るはずだ。悲しむのは、死んだ「宮本修二」だけだ。

 彼は口から血を吐きながら、小さく笑った。笑うのを咎めるように、前方から革靴の音がする。音は修二の目の前で止まり、もうほとんど見えなくなっていた彼の視界は完全に黒く染まった。

「馬鹿じゃねえのか。銃持っている相手に笑いながら近づく奴がいるか。あいつにも何度もひやひやさせられて、何度注意したか分かりやしない。本当、別人だってわかっていても、根本的には変わらないんだな……クローンっていうのは」

 ――知るか。と、目の前で死にかけている男が言っているように敬一には見えた。

 もうすぐこの男は死ぬだろう。クローンが作れるようになったといっても、その技術を買うには人間一人につき家が一軒建つぐらいの金額だと「宮本修二」が言っていた記憶があった。上司も二度も払う気は起きないはずだ。これで「宮本修二」は完全に死亡したことになり、役所にも死亡届が出される。敬一の相棒は、もうこの世に、彼の傍に帰ってくることはない。それでいいと彼は思った。

 最後に目の前で自分の銃弾に撃たれて死んだ男を見た。そういえば、この男はなぜ「願いながら撃て」などと訳もわからないことを言ったのだろう。そんな必要は、普通であればないはずで、それどころか、わざわざ彼に教えることでもないのだ。

 まあ、今考えていても仕方がない。と、敬一は首を横に振った。

 彼のことを上に報告しなければならない。始末書で済めばいいかと考え、文面を頭に想像したところでふと、敬一は自らが殺した男を見た。

 今、自分の目の前で死んでいるこの男は。

 ――一体、誰だったっけ?


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そして二人は回想する。 御薗定嘉 @ry-ku

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